2010年11月05日

経験することに正しいとか間違いなんてない・・・クリスとアーロンの物語にふれて

ひらめきこの日記では、映画「イン・トゥ・ザ・ワイルド」の内容に触れています。未見で気になる方はこの先をお読みになるかどうか、ご検討ください。
(誰がこんな長い日記に付き合うってんだ・・・?わーい(嬉しい顔)

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

裕福で恵まれた人生の路線を後にして、自分と世界とのつながりについての真理を求めてアラスカへと旅立ち、人知れず消えていった青年クリストファー・マッカンドレス。彼を描いた映画イン・トゥ・ザ・ワイルドを、公開からずいぶんと遅れて見た。

2008年アカデミー賞にもノミネートされたとても美しい作品で、この映画を見終わった僕の想いは、ここ数日読んでいたもうひとつの物語と自然とつながっていった。ユタ州ブルーキャニオンで遭難し、岩魂に挟まれた自らの右手を切り落として奇跡の生還を遂げた、アーロン・ラルストンの「奇跡の6日間」という体験手記だ。直接には無関係のこのふたりとそれぞれの経験に接して、僕の中には湧き上がってくる想いがある。

これまでの人生とそれを取り巻くすべてに偽りと虚しさを覚え、クリストファー・マッカンドレスは、大学を卒業後アレックス・スーパートランプ(偉大な放浪者アレックス)と名乗り、過去と決別して大自然の荒野を目指す。アーロン・ラルストンはアウトドアをこよなく愛し、自然の中に身を置くことに夢中で、単独で多少の危険を冒してでも冒険することをやめない。生存が直接試される場面に人が直面した時、たぶん人間はそれまでとは全く異なる新たなチャネルが開かれて大きく変化するのかもしれない。

「命あっての物種 ・・・「死んでしまえば元も子もない」・・・誰もがきいたことのある当たり前がある。そう・・・確かに命は大切にするべきだし無駄にしたくはない。でも、自ら歩んだ道の結果が死に至ったからといって、すべてが無駄となってしまうとは思えない。ふたりの経験を見た時に僕はそう思う。

自ら選んだ人生の途中で、クリスは命を落とし、アーロンは傷つくも生還を果たす。ふたりの経験はそれぞれに異なっていて、生か死かという点では正反対のコントラストを放っている。では、死んでしまったクリスは間違った人生の選択をしたのだろうか? 生きて渓谷から戻れたアーロンはクリスよりも正しかったのだろうか? ふたりの経験から僕が感じるのは、生きていく中で出会うすべてのことに、正しいとか間違いとか…そんなものなど、本当はないのかもしれない…ということだ。もし誰かの人生についてそういうことが語られるとすれば、それはその人生を歩んだわけではない全くの他人があとで勝手に付す解釈にすぎない。

クリスは今までとは異なる本来の自分を求め、それを証明する旅に出かけた。スーパートランプと名乗り、それこそが真実の発見への道に他ならず、この世界と自分との関わりを確認することになると考えていたのかもしれない。しかし映画の最後に、彼が残した言葉・・・それは、「物事を正しい名前で呼ぶ」というものだった。

僕が想像するに、彼が目指した荒野での日々を通じて見いだしたものは、今までとは別の自分などではなく、これまでの人生の中で触れてきた、もともと持っていたすべてのものと自分自身の価値の再確認だったのではないだろうか? 「僕の一生は幸せだった。みんなに神のご加護を!」と書き残したクリスの一生とは、うち捨てられたあの不思議なバスで独り過ごした日々だけではなく、クリス自身が嫌悪を抱いて後にしたそれまでの家庭での時間も、きっと含まれていたのだと思う。

自分自身に「本来」というものがあるのだとしても、それが今までと異なるものとは限らない。故に彼が最後のメッセージに書き残したサインはアレックス・スーパートランプではなく、捨て去ることをあれほど望んでいた親からもらった名前、クリストファー・ジェイソン・マッカンドレスだった。「物事を正しい名で呼ぶ」とは、その名を持つ自分自身を正しく受け入れて見つめること、つまり自分が何者であるのかを理解し、そのことに価値を置くことなのだと僕は思う。

確かに、クリスは命を落とすことになった。それは彼自身にとっても予想外に早い死だったかもしれない。彼の妹も両親も、旅の途中で出会った多くの人にとっても、彼の死は悲しい出来事だったにちがいない。そのことで彼の人生についてどんな厳しい解釈を付すのも自由だ。でも僕は考えてしまう。

彼がとった行動によって、この世界とそこに住む人たち(我々も含めて)には、それがなかった場合には存在し得なかった経験(人によっては変化や気づき)が生まれた。彼が生きた時間はわずかに24年間・・・しかし確かに彼が「在った」ことの影響は、この世界にあるのだと思う。そしてそれはクリスだけに限らず、僕らすべてにもいえることなのではないだろうか?たとえ目に見える記録が何も残ってはいないような、名もない生き方であっても、誰かが生まれ、そして生きた・・・ということには、事実としての影響力と価値が存在すると僕は信じている。

もうひとつの物語の主人公アーロン・ラルストンにとって、岩塊に片腕を挟まれたままの状態で、生死のギリギリのところで過ごした127hours(約5日間)は、おそらく人生の中で最もゆっくりと、そして容赦なく流れていった時間に思えたことと思う。重さ500sを超える岩塊に右腕を挟まれて身動きができなくなった状態から無傷で脱出することは叶わず、彼は自ら右腕を切断して生還を果たした。その状況はまさに極限といえるものだと思う。人間はできればそんな極限など経験しないにこしたことはないとは思うのだけど、そうしてはじめて見えてくることや、悟れること・・・そういうことは確かにあるのかもしれない。

アーロンは、岩壁に捕らわれているさなか、身体と精神が弱っていくにつれて幾度もトランスを経験し、時間と場所を越えて、まさかこんなところに自分が動けずにいることなど知る由もないであろう、大切な家族や友人達とふれあい、自分の人生がたくさんの未完を抱えたまま終わりに至るかもしれないその時に、ひとりの人間として自分が果たして何を望んで生きているのかを見つめることになる。

彼が経験したことは、いわゆる「万が一」の出来事で、誰もが経験せずに済ませたいと思うはずの過酷な経験だ。でも彼はその万が一が自分の身に起きたことを全く残念には思ってはいない。手記(「奇跡の6日間」小学館)の中でアーロンは、「ぼくの人生で起きたこと、いまも起きていることを考えると、ぼくは大変恵まれていると思う」とまで書いている。タイムスリップして過去に戻れたとしても、自分は再びあの岩の裂け目に降りていく・・・彼は生還を果たした後も、あの時の選択を後悔していないし、「結局ぼくは、変わっていない」と言い切っている。そして今もアウトドアマン、登山家として世界の高峰に挑戦しつづけているのだ。

アーロン・ラルストン

もしかしたら、あんな体験をして身体にハンディも背負いながら、再び危険に挑戦しつづけるなんて、愚かだし間違っていると、彼の人生の歩み方に意義を唱える人もいるかもしれないし、そう考えるのはもちろん自由だ。

でも僕はこうも感じる。クリスの場合と同じく、アーロンもあの経験によって、自分についての本来が、何処か別のところにあるのではなく、自分自身の中に初めからあったのだと気付くに至ったのではないだろうか? それだから今でさえ、ハンディを負っていながらも大自然に挑戦し続けるのは、それが自分にとって最も自分らしい姿だと感じる生き方を選んでいるに過ぎないのではないだろうか? 人は、何か外から与えられたものによって豊かになるのではなく、命と与えられた人生の時間を楽しむのに必要なものはすべて元々もっているのかもしれない。

僕はクリスやアーロンが経験したような、命に関わる極限なんていうものに直面したことはないし、多分そんな危険にはこれからも遭わないだろうと思っているが、もっとゆるくて、ごく普通の日常を送っている僕のような者にも、辛いこと、悲しいこと、不愉快なことはいつでも降って湧くことだろうし、もちろん楽しく愉快なことだっていつでも起き得る。でも、そこに正誤の概念を交えてしまったら、僕はきっと幾つもの後悔を抱え込んでしまうことになるのではないだろうか?

自分が経験するものに、正しいとか間違いなんてない・・・。

それがクリスとアーロンの物語から僕が感じることだ。クリストファー・ジェイソン・マッカンドレスは、家族と友人たちから離れてたった独りで人生の最後を迎えた。彼はその過程で、幸福とは、分かち合う人がいてはじめて実感できるものだという結論に達する。その発見は、彼が経験した孤独と飢餓を超えて、彼の人生に意味を付し、価値ある生を生きてきたのだという満足をもたらしたのかもしれない。

うち捨てられたバスを背に微笑むクリストファー・ジェイソン・マッカンドレス


発見された遺体とともにあったカメラに納められたフィルムには、彼の最後の場所となったあのバスを背景に、独りで満ち足りた笑顔を見せるクリスの姿が写っていた。

ここまで、まさか読んでいただいたあなた・・・感謝しますexclamation×2ぴかぴか(新しい)


posted by フランキン at 23:10| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

意識も感情も含めたプロセスのすべてが語られ表現されてはじめて、その体験を知ることに価値が生まれ貴重なものとなる…映画「127Hours」


ダニー・ボイル監督のこの新作映画の元となっている、ユタ州ブルージョンキャニオンで岩石に挟まれた状態から、自ら片腕を切断して奇跡の生還を果たしたアーロン・ラルストンが自身でこの過酷な体験を綴った「奇跡の6日間」 (小学館)を今読んでいるところです。読みながら気付くのは、過酷な状況の中に完全に孤絶し絶望的な時間が過ぎていく中で、ラルストンがその一分一分に自分の目が何を見つめ、どんな音を聴き、何を考え感じていたのか 非常につぶさに記憶しており、彼の人生の中でこの127時間が、おそらく最もゆっくりと、そして濃密に容赦のなく過ぎていった時間なのだろうということです。

アーロン・ラルストン 奇跡の6日間

ラルストンの他には誰ひとり人の姿のない渇いた岩と岩の間(スロットというらしい)に、彼を釘付けにして身動きできなくしてしまった岩石の大きさと重さからして、おそらくその窮地に陥った当初から、自分が生還するためには腕を切らなければならないと気付いていたと思われます。しかし誰にとっても同じだと思いますが、それは自殺するに等しい選択であって、その行為を決定的に実行するまでには多くの逡巡があったことを手記から感じ取れます。そうして幾日かを辛うじて過ごしながら、彼は生き残ることに賭けた決定的な行為、自らの腕の切断を実行することになります。そこに至るまでのプロセスで揺れる彼の想いは切実です。

この映画の描写において、その腕の切断シーンの生々しさがいろいろと物議を醸しているとのことですが、アーロン・ラルストンの体験が意味することを本当に人々に知ってもらうということを、ラルストン本人の言葉(例えば手記や講演など)以外の方法で、つまり映画という形で露出させるということを考えるとすれば、彼自身の手記が読み手に語りかけ強く迫ってくるものを僅かでも歪めたり見落とすことがあっては意味がないと僕は率直に思います。

127hours 127hours

地上に生きている人間たちの中で、いったいどれほどの人が極限というものを体験するのだろう? それはお金や資産や名誉やビジネスなどが絡んだ、人間が作った経済社会という枠の中でのものではなく、本当に明日までは生きられないかもしれない…という、絶望的で選択肢のない状況のことです。もちろん僕は人間は極限なんてものは本当は体験しないにこしたことはないと思っています。しかしたぶん、真の極限状況の中でしか見えないものというのは、本当にあるのでしょう。おそらく、アーロン・ラルストンの体験は、それを知ろうとする者にとっては、もしかすると自分自身の中にもあるかもしれない、人間として持っている内奥の力や可能性、それによって芽生える希望、微かなところから拓ける少しだけ先の未来を垣間見させてくれる、貴重な体験として大いに意味深いものだと思っています。

ただ、体験というものは、特にこのように誰もがおそらく生涯経験しないであろう体験については、一連の出来事の中の特定のシーンだけでは、それを語ることも伝えることも、ましてやそんな極限状況など想像すらし得ない受け手が理解することなど到底叶わないものです。重要な局面でなぜ、どのように、そしてどんなつもりでその決断に至ったのか? その意識も感情も含めたプロセスのすべてが語られ表現されてはじめて、その体験を知ることに価値が生まれ、過酷で二度と繰り返したくはない体験であったとしても、貴重なものと考えられるようになるのだと思います。逆に言えば、極限とその中での人間の有り様を真に伝えたいと思うのであれば、腕の切断シーンも欠かせないプロセスのひとつであり、それをラルストンの記憶のとおりに表現しないなら、はじめからこのような映画は作らないほうが賢明ではないでしょうか。ニュースの中でのダニー・ボイル監督の言葉は、生きるために必要だったラルストンの腕切断を出産に例え、決して目を背けるべきものではないことを強調し、脚本のサイモン・ボーフォイは「アーロンが実際に体験したことを忠実に描く責任があった」と述べています。しんどい映画なのでしょうが、僕はこの描き方で良かったのではないかと考えています。(まだ未見なはずなのに…笑)

ラルストンの手記にまた戻りますが、彼の書いた「奇跡の6日間」は、決して腕の切断から想像されるような、おぞましい体験ばかりが書かれているわけではありません。身動きが封じられたスロットの中で、自分などまったく無き者であるかのように陽が昇りやがて暮れていく…冷え切った暗い岩と岩の間で太陽の光のありがたみを感じ、一滴の水が、一口の食べ物がいかに自分の身体の細胞ひとつひとつにとって大切なものであり、これまで人生を生きてきた自分は生かされていたのだという感謝を呼び起こします。想いは時間や場所を跳び越えて、今この遭難の事実を知る由もないはずの家族や親しかった友人達へと飛び、関わった多くの人たちとのふれあいや未完結なままの為すべきことへの愛情や後悔、そして彼らへのもはや届かない親愛を独りで噛みしめ、再び完全に孤絶した細いスロットの中にいる自分に戻ってくる…。手記のうちの大半は、この極限の中で彼が自分自身の生命と真っ直ぐに向き合いながら廻った内省的な思索の記録です。記憶と意味の残る読書体験をしたいと思われる方なら、読んでみることを僕もお薦めします。

物議がかもされているという127Hoursですが、確かに観客を選ぶ作品といえるかもしれませんね。生理感覚的に血を見ることができないし、したくないという人は、映画館に行く…行かない…についての選択肢が自分にあるのだということを、思い起こしていただきたい映画かもしれません。(ちなみにフランキンは血を見たいわけじゃないです。
そんな映画は他にいくらでもあるけど、別にそういうのを見たいとは思わないです。)

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サーチ(調べる)ダニー・ボイル監督作品『127 Hours Trailer』
posted by フランキン at 18:34| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「冒険者たち」のマヌーは確かに野沢那智さんだった。

好きを超えて僕が今まで見た中で最も愛する映画は、
小さな頃にテレビで見たフランス映画
「冒険者たち」(Les Aventuriers)です。
その主人公のひとり、「マヌー」を演じていたのが
アラン・ドロンであり、吹き替えはもちろん野沢那智さんでした。



小さな頃、映画をテレビで見ることが多かった自分にとって、
声優は物語と俳優そのものであり、
いつまでも残りつづける映画の記憶を決定づけました。

「冒険者たち」は、もちろん仏語の原板も大好きですが、
野沢那智さんのアラン・ドロンの「マヌー」と、
森山周一郎さんのリノ・バンチュラの「ロラン」の声は、
きっとこれからも僕にとっての「冒険者たち」の記憶となっていくのでしょう。
きっと同じ記憶を持つ人は多いんじゃないかな?

白石冬美さんとの絶妙なペアでの木曜深夜のTBSラジオ番組、
「パック・イン・ミュージック」(水パ)は、
やはり忘れられない思い出です。
ここからちょこっと聴けます。

僕が映画が好きになった機会をたくさん作ってくれた
一時代を築いた声優さんたちの声が、
時とともに次第に聴けなくなっていくのは、やはり寂しい・・・

野沢那智さん、ご冥福をお祈りします。ぴかぴか(新しい)
posted by フランキン at 11:39| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

サードマン〜アーロン・ラルストン〜ダニーボイルの127hours

ダニー・ボイル監督の新作映画
127Hoursを見たいと思っている。

ほんの2日ほどまえに読み終えた、
「奇跡の生還へと導く人 極限状況のサードマン現象」
という本の中で、 この映画の元となった
アーロン・ラルストンの経験した極限状況のことが書かれていた。

127hours 127hours

自分がずっと考えてきたことにもつながる非常に興味深い本だった。
今日はツイッターでこのサードマン現象についての本のことを
午前になんども呟いていたので、このタイミングで
「127Hours」という映画についての情報に接するというのも、
ある意味絶妙なものを感じる。

本のタイトルにも含まれているサードマン現象とは、極限の中で
生身の人間として出来ること、 考え得るすべてを尽くした後、
生きると決めている人の多くが体験する守護的な「存在」の気配のこと。
(この本へのフランキンの感想はサーチ(調べる)これ)

ユタ州のブルーキャニオンでのロッククライミング中に、
落下してきた重さ360キロの岩と岩壁との間に片腕を挟まれ
岩壁の途中で動けなくなってしまったラルストンは、
それでも決して「生きる」ことをあきらめなかった。

数日間、映画ではその長さが
「127Hours」であることをタイトルが示しているが、
彼が生存のために選んだ選択は、自ら片腕を切断するという
ぞっとするほど恐ろしいものだった。
持っていたナイフは鋭利さをすでに失っており、
麻酔もない状態でのセルフ手術は凄惨なものとなったと思われる。
映画の観客に失神する人が出たというのはそのシーンなのだろう。

アーロン・ラルストン

自由になったラルストンは、
その後片腕だけで18メートルの岩壁を懸垂降下し、
最後には救助されることになる。

この経験を振り返って、ラルストンはこの生還劇の中で経験した、
ある奇妙で特異な体験について語った。
「奇跡の生還へと導く人 極限状況のサードマン現象」P238には
次のような彼の言葉が書かれている。

「あのキャニオンには僕ひとりではなく、何か大きな存在があった」

ダニー・ボイル監督のこの新作映画に
この点が描かれているのか?
だとすればどのように表現しているのか?
それは分からないが、いずれにしても、
「生きる」ということに焦点をあてた大変興味を惹かれる映画だと思う。

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サーチ(調べる)極限状況のサードマン現象〜人間という生命の形について未到達の真実の存在を感じ畏怖さえ覚える

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ひらめき「奇跡の生還へと導く人 極限状況のサードマン現象」
著者のジョン・ガイガーによる
サードマン現象についてのツイとはサーチ(調べる)ここ

ひらめきダニー・ボイル監督作品『127 Hours Trailer』


posted by フランキン at 18:15| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

極限状況のサードマン現象〜人間という生命の形について未到達の真実の存在を感じ畏怖さえ覚える

奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」

大変興味深い本です。

この本の中で、
読み手は実際に起きた幾つもの極限に接します。
それはさながら、凍りついた南北極点への道程や厳冬の山岳、
荒れ狂う嵐と寒さに翻弄される救命ボートの上等々・・・
人間の生存を拒絶するかのような大自然を舞台にした
何十冊もの冒険物語を一気に駆け抜けていくかのようで、
途中でページをめくるのをやめられないほど興奮に満ちています。

極限の中で生身の人間として出来ること、
考え得るすべてを尽くした後、
生きると決めている人の多くが体験する
守護的な「存在」の気配。

生か死かの状況で、自分と仲間たちの他に
もうひとり誰かがいる・・
故にこの種の体験を「サードマン現象」というのだそうで、
自分としては初めて耳にする興味深い言葉でした。

本書の中では、奇跡の生還を遂げたあのシャクルトンや
「翼よあれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグをはじめ、
世界にその名が知られる幾人もの探険家を含めた
極限状況での実体験が数多く例として挙げられ、
極限から生還した大勢の人たちにとっては、
実はこのサードマン現象がごく一般的と言っても良いほど、
比較的によく知られた現象なのだとはじめて知りました。

著者のジョン・ガイガー自身も探検家の顔を兼ねるひとりであり、
大自然に挑戦してきた多くの探検家たちをリスペクトしつつ、
それゆえに体験者の心理に大いに理解を示しながら、
いったいこの現象はなんなのか・・・?という問いに対して、
非常にバランスの取れた考察と検証を展開していきます。

その過程は非常に刺激的で、冒険探検記、脳神経科学、
神秘体験やスピリチュアル・・・等々
様々な角度から関心を持つ非常に幅広い範囲の読者に、
大変おもしろい読書体験をもたらしてくれるはずです。

本書では、サードマン現象を体験した人々がそれを通して
しばしば宗教的な気づきに至る人たちが多いことにも触れ、
彼らが自分の体験に関して抱いている感触を肯定しながらも、
神秘的な源からの現象だとする結論に安易に飛びつくことはせず、
この現象との関わりが考えられる人類の意識構造の歴史と、
脳科学的な探求によって明らかになったことを提示する努力が払われています。

しかし同時に、現代の脳神経をめぐる科学によってさえ、
すべての謎が解明されるというわけでもなく、
形而上的な要因の可能性が
排除されるわけではないことを示唆しながら、
人間の生命と精神のしくみににおける
知識と経験の未到達な地点に、
比較的近い未来にやがては達することになるかもしれないという、
ワクワクするような展望が感じられます。

一読者の感想としては、現時点での脳科学的説明の試みと
それでも謎が残るこの現象についての考察から、
人間という生命の形について
なお明らかになるべき真実の存在を感じさせられ、
思わず畏怖をさえ覚える興味深い一冊でした。

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posted by フランキン at 02:50| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

多くの洋画ファンを作ってきた大声優さん達の若き日の仕事ぶりとの再会に感無量!

襲われた幌馬車 [DVD]
襲われた幌馬車 [DVD]

なんと!この映画のDVDが発売されていたとは!!少年の頃にテレビの洋画劇場で映画を吹き替え版で見ることが多かった自分にとって、この作品はもしかしたら2度と目にすることはできない映画なのか!?と、半分あきらめていました。

CGなど、影も形もないころに、当時の誰もが本当に目にすることを憧れたはずのアリゾナの“聖地”セドナの一日の長さと乾いた大自然の美しさ・・・そのすべてをまさしくオールロケで見せてくれた「襲われた幌馬車」は、映画の底力を感じさせる良き時代のハリウッドが残してくれた貴重な一本といえます。

この作品よりも前に、「アラモ」でジョン・ウェイン扮するデイビー・クロケットと友情を分かち、あのアラモの闘いで壮絶な最後を遂げる荒削りで型にはまらない西部の男、ジム・ボウイ大佐を演じたリチャード・ウィドマークの好漢ぶりに心酔した僕は、真夜中に再放送された「襲われた幌馬車」をひとりで見、砂埃にまみれたブロンドの髪にあの斜に構えた目つきと気迫と凄みの中にどこか安心させる雰囲気を醸すリチャード・ウィドマークという役者の存在感に完全にやられてしまいました。

さて、テレビで映画を見ることが多かった世代の宿命として、字幕よりも圧倒的に吹き替え版による映画鑑賞が多かったというのは言うまでもありません。当時はまだまだ西部劇が人気をはくしている時代で、この「襲われた幌馬車」もそれに違わず吹き替え版での記憶です。というわけで、この映画が強く印象に残ることとなった背景に、この映画で吹き替えを演じている声優さんたちの存在は、自分にとっては大変大きなものです。古い洋画作品のDVDの場合、日本語吹き替えが中途半端に途切れ途切れであったり全く無かったりすることもありますが、うれしいことに今回のDVD化には、まさにあの時テレビで見た時と同じ、1973年6月22日放映 ゴールデン洋画劇場日本語吹き替え版を72分も伴っているということを知り、小躍りしたいほどです。

リチャード・ウィドマークを演じた大塚周夫さんの独特の絞りの利いた声、そして後には宇宙戦艦ヤマトのスターシアを演じ、ある意味伝説的な美しさを感じさせる故・武藤礼子さんをはじめ、一時代を築いてきた大声優さんたちの仕事ぶりが、確かに日本における多くの洋画ファンを作ってきたことを証しするこのDVDはまさに貴重な一枚であると感じているのは、多分僕独りではないはず・・・そう思ってます。
posted by フランキン at 01:37| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

マイレージ・マイライフ

マイレージ、マイライフ [DVD]

ちょっとだけネタバレも含みます。

世界的大不況と云われるようになって久しいですが、
映画の中で解雇通告に直面する人々の表情と言葉からは、
ここまでアメリカの経済は疲弊してしまっているのかと、
改めて愕然とさせられ、この社会がこれまで形作ってきた何もかも…
そこに確かなものなど何ひとつないのだと痛感させられます。

そんな現実を突きつけられながら目にするひとりの男の生き方。
成すべき仕事と報酬、
そして誰もが羨望するステイタスにつつまれ、
軽快な人間関係を楽しみ、
いつでも空を駆け抜けていくようなライフスタイル・・・
ジョージ・クルーニーが演ずるライアン・ビンガムという男。
彼が獲得したかに見える人生には一瞬羨望を覚えます。

もちろんそれは、ただ単に彼が幸運であったとか
人よりも機会に恵まれていたと言ってしまえるものではありません。
彼がいつしか唯一の「夢」、また最も「具体的なリアル」として捉えている
マイレージを1000万マイル貯めるという目標と同じく、
小さな始まりからコツコツと努力と共に積み重ねてきたものなのでしょう。

事実ビンガムの生活は実に徹底しています。
スケジュールは常にフルスケジュール・・・
でもそんな彼から多忙な印象を受けることありません。
完璧なセルフコントロールとスケジュール管理、
自分の日常から「余計」と思えるものは徹底的にリストラし、
必要なものはバックパックひとつに仕舞い込むことができる・・・
そんな信念を自ら実践しています

厄介なものや余計なものは自分のバックパックに一切入れない・・・
でも、人々との関わりの中でいつしか彼は気づいていきます。

何ひとつ・・・本当に大切なものさえも、
何も入れないままここまで来てしまった。

自分が強く求め、望んでいるもの・・・それらは本当に
自分自身の中の本来の必要を満たしてくれるものなのか?
この映画は、見ている僕にそんな問いかけを、
無理なく投げかけてくれるものでした。

この社会に形作られている
目に見える様々にしかリアルを感じられないとしたら、
本当に大切なものを何も持たないまま、
ある日突然空の上で、
自分は地上の何処にもいないのだと気づくのかもしれない。

映画の原題「Up in the Air」が示すものと
ラストでただ大気が流れるだけの音・・・
あの空虚感がたまりませんね。

本当にに大切なことってなんだろう・・・?
それは時に泥臭かったり、面倒なことであったり、
自分自身を与えることだったり、
余計に時間や労力を費やさなければならない・・・
そんなものだったりするのかもしれません。

ジョージ・クルーニーが実に魅力的に演じている
主人公ライアン・ビンガム。
彼が数日のうちに経験する幾つかの出会いとその顛末、
そして皮肉な経験と
彼の内側に生じてもはや消えないであろう変化の兆し・・・
映画を通してその成り行きを見守る側も、
自分自身の価値観を洗いなおす機会に恵まれます。
素晴らしい109分間でした。
posted by フランキン at 20:33| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月10日

ビーチレッドに流れたあの歌の風景

ビーチレッド戦記(67年) コーネル・ワイルド監督 主演


わたしの彼は 戦いに行った
やがて海の彼方から 
わたしのもとに届いた 一通の手紙



私は 滾る憎悪をもって 敵と向かい合った
私たちは共に この島を手に入れるために来た
そして向かい合った 
暗いジャングルの中 国の違うふたりが 
ある日 ビーチレッドで 私と敵と…

敵は 私と同じように若かった
私たちは殺し合い そして 彼が先に死んだ
青い空の下 私と同じような 血を流しながら
ある日 ビーチレッドで 私の敵が…

今や憎悪は消え去り 私の心は痛む
なぜ殺しあわねばならないのか…



わたしの彼は ついにわたしのもとへ帰ってきた
魂を 海のむこうにおいて
昔の彼は もどらない…


〔吹き替え版の記憶より 声 納谷悟郎 小原乃梨子〕


映画館という経験が何しろはじめてだったはず…まだ学校にも行っていなかった小さな頃、両親が映画を見に行くのに、たぶん父母に抱かれながら、見に行ったというよりも連れて行ってもらったのがこの作品。ビーチレッド戦記(Beach Red)

8月のこの時期、ふとこの映画のことを思い出していたら、なんと今週、WOWOWで放送していたみたいで、この記事を書いているこの瞬間にもやっているらしい。ちょっとびっくりした。(WOWOWは我が家では見れないけど…)

僕が見たことのある戦争を描いた作品の中で、この映画は特別な位置を占めている。映画の表現技術の進歩と共に、最近の作品とじかに比べてしまえば見劣りは否めないものの、しかしそこに描写・表現しようとしているものの真実味は、数ある戦争を扱った映画作品の中でも群を抜いている。

南の島のジャングルで対峙する米兵と日本兵…米海兵隊の上陸…海岸線での激しい戦闘…そしてジャングル戦…。近年の「プライベートライアン」のオープニングと同様に…と言っても過言ではないほどの熾烈さを極めた上陸描写…。(事実、プライベートライアンでの上陸用舟艇の中の兵士の心理や、海岸線での攻防を、激しさと怯えを帯びた兵士の視点から描いたスピルバーグは、絶対にこの「ビーチレッド戦記」の幾つかのシーンにインスパイアされていると確信する)。しかし戦闘描写が斬新であったということ以上に、これだけ戦争への嫌忌を誘うものであるにも関わらず、制作されたのが67年というベトナム戦争がまだまだこれからでもあったはずの時期であること、そして他の多くのアメリカ映画の中でも、戦争を片側からではなく日米両側の兵士の視点から表現しようとする試みが、当時としては極めて珍しい作品であるといえると思う。

映画は戦闘のさなかでの、日米の兵士ひとりひとりの心の内側と、彼らが戦場でも内に秘めて持つ暖かな家庭の思い出などのモノローグを交差させながら、見ている者が殺し合うことへの矛盾と哀しみを心の中に自然と芽生えさせることに成功している。

僕はこの映画を両親につれられて映画館に入った(見に行ったとはとても言えない…笑)時には殆ど理解できなかった。ただ、砲火によって腕を吹き飛ばされた米兵が銃火の中に呆然と立ちすくむ姿や、火炎放射器によってトーチカから焼きだされる日本兵、互いに負傷し動けなくなった日米の兵士の間で水とタバコを交換しようとするシーンなどが強烈に子供心に印象を残していた。そして実はそれからずっと後になって、ある夏休みの昼間にテレビで放送されたこの作品を見てはじめてきちんと通して見たことになる。

中でもこの映画が見る者の心に残す風景というのは、映画の冒頭にながれる、戦場に行った兵士の帰りを待つ妻と彼女のもとにとどいた夫からの手紙のストーリーをつづったジーン・ウォーレスの歌が醸すものに負うところが大きい。テレビではもちろん吹き替え板であったわけだが、この映画の大切な要素でもあるこの歌とともに、吹き替え版では流れる歌を背景に歌詞の一部が翻訳され、それを映画の中でも実生活の中でも夫婦であったコーネル・ワイルドとジーン・ウーォレスの心の声として、納谷悟郎小原乃梨子が語りを入れ、その響きに小さかった僕も心を詰らせてしまったのを憶えている。正確とは言えないけれども、今でもその時のふたりの語りを空で言えるというのは、当時の僕は相当にこの映画の言わんとするところに心を動かされたのだろうと思う。この記事に貼り付けたそのジーン・ウォーレスの歌の後に書き込んだ歌詞は、その時の記憶に残る納谷悟郎さんと小原乃梨子さんの語りを思い出したものだ。
 
posted by フランキン at 22:47| 静岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月07日

シカゴへ向かう空に消えた男

クリーム時代のエリック・クラプトン
最も印象深いギタープレイを今に残す好ナンバーであり、
ブルースミュージックの伝説的元祖とも言える
ロバート・ジョンソンの曲
クロスロードの名を付したライヴイベント、
クロスローズ・ギター・フェスティバル2010
クラプトンと彼のギター仲間たちのライブが
近くドキュメンタリー映画となり全米で公開されることになるのだそうだ。
http://eiga.com/buzz/20100707/5/

これはすごく楽しみな映像になりそう。
そうそうたる出演メンバーにワクワクする。

でもここに彼がいてほしかった・・・
スティーヴィー・レイ・ヴォーン。。。
80年〜90年、ブルースシーンを彗星のように駆け抜けて、
シカゴに向かう夜空に消えた男。



おいステーヴイー・・・
あのボロボロでもグイグイ迫ってくるサウンドのストラト、
今は誰が持ってるんだい?
posted by フランキン at 13:15| 静岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月05日

七夕の夜「黒澤明 生誕100年祭 IN 宮島」で8人目の侍が上映!

広島県宮島において、黒澤明 生誕100年祭 IN 宮島というイベントが7月1日より今開催されています。

黒澤監督の映画には気迫のようなものを感じます。そんな黒澤明監督の世界をできたらたっぷりと味わいたいという映画好きには、それこそまたとないありがたいイベントとなりそうです。7月7日には七夕プレゼント企画ということで、黒澤明監督作品オールナイト上映会上映会があり、七人の侍羅生門といった、これぞ黒澤!というにふさわしい作品が夜通し上映されます。

そしてこのブログ記事でぜひ知っていただきたいのは、黒澤監督のこれら名だたる大作映画の上映とともに、黒澤監督へのオマージュ作品としてアメリカで制作され、数々の短編映画賞を受賞し、昨年のアカデミー賞の選考にも残るのではと期待された8人目の侍(THE 8TH SAMURAI)が上映されるということです。THE 8TH SAMURAI

あの七人の侍には、実は8人目の侍がいた…というこの作品、制作はアメリカですがキャストはオール日本人という異色の短編映画です。そして八人目の侍を演じるこの映画の主役は、クリント・イーストウッド監督の硫黄島からの手紙で印象的な日本軍将校大久保中尉を演じ、僕のラジオ番組ノアノアな風をうけてにも出演してくれた俳優、尾崎英二郎さんです。彼はこの作品で米のSHOW OFF YOUR SHORTS映画祭における主演男優賞を受賞しています。

会場を訪れ、この上映会をご覧になれる方は、この貴重な機会に黒澤明監督作品の大作映画とともに是非ご鑑賞ください!
posted by フランキン at 10:53| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

南仏ピレネー山脈あたりからつながった記憶の中でハンニバルと象が山を越えていく

雷と高圧電流の記事雷に対してコメントをくれた方が南仏にお住まい、そしてピレネー山脈の近くだと聞いて想像力と記憶力が連動してマインドマップ的に脳内検索にひっかかって思い出されたのが、あのアルプス越えという前代未聞の奇想天外な戦術でローマを恐怖に陥れたというカルタゴの将軍ハンニバルのことと、もうひとつはやはり別のアルプス越えを描いた美しくも痛快な映画脱走山脈のこと。

まずはハンニバルだけど、どうしても映画「羊たちの沈黙」でハンニバル・レクターを演じたアンソニー・ホプキンスの顔を思い出してしまいそうな名前のこの将軍、実はハンニバル・バルカ(Hannibal Barca バルカは「雷光」の意味だそうで雷つながり・・・と強引に繋げてみる)といいローマとカルタゴの間で紀元前219年から紀元前201年に戦われた第二次ポエニ戦争で、南の海上からの攻撃を予想して備えていたローマ軍を、なんとアルプス山脈を数万の大軍と戦象を率いて越えて北からイタリアになだれ込み、背後からローマを攻めるという歴史に残る戦いを展開した人物。

さて、アルプス越えはもちろん有名な話だけど、ハンニバルは実はアルプス山脈を越える前に、イベリア半島からイタリア方面へと密かに進撃するために、今のスペインとフランスの国境付近に走るピレネー山脈をまずは越えなければならず、そうすると彼とその軍はふたつの山脈を越えるという過酷なルートを通ってローマを驚愕させたことになるわけで、数千年が経っても伝説としてその名が歴史の中にとどろき続けているっていうのは、さすがカミナリのようだなと思う。

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posted by フランキン at 12:03| 静岡 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月17日

本編「サロゲート」よりおもしろかった「カイルXY」のお試しエピソード。

映画「サロゲート」のDVDに
お試し視聴版として1エピソードだけくっついてきてたので見たのが
カイルXYという海外ドラマの新シリーズ。

これが「サロゲート」よりもおもしろかったので、
早速シーズン1の最初の2枚をレンタルしてきた。
カイルXY
伊東のGEOは、先行して市内に2店舗あるTSUTAYAのむこうをはって
料金の安さで客を増やしてるようだけど、
続きを読む
posted by フランキン at 11:31| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月31日

米国人作家ディーヴァーが描く女王陛下の007


007シリーズをなんとアメリカの作家ジェフリー・ディーヴァーが執筆することになったのだというこのニュース。英国の女王陛下の007の物語を米国人の作家が描くとなると、英国人からするとちょっと複雑な気持ちになってしまうのも分からないわけじゃないですが、日本人の僕からすると個人的には歓迎しているというのが正直なところです。

ジェフリー・ディーヴァーの小説は昨年あたりから僕も幾作品か読了していて、非常に映画的というか、どちらかといえば海外ドラマ的(これは賛辞のつもり)でテンポのいい、大抵は一気読みしてしまえるような作品が多かったです。デンゼル・ワシンシンとアンジェリーナ・ジョリーのコンビをメインキャストに据えて映画化されたボーンコレクターをはじめとして知られているリンカーン・ライム・シリーズも僕のお気に入りの連作長編シリーズです。

でも敢えてどれかひとつをお気に入りのディーヴァー作品を挙げてみると、スピード感といいストーリーのロールに振り回される度合いといい、最も好きな作品は凶悪な脱獄犯に拉致されたスクールバスと人質となった聾の少女たち・・・というような、一見いかにもB級アクション映画のような状況設定の物語を、徹底した取材に基づいた膨大な情報を駆使して構築された作品の世界に変貌させた静寂の叫びだったかな? 登場人物と読者の両方が放り込まれるシチュエーションによって直面させられるリアリティのすごさには舌をまきました。

ジェフリー・ディーヴァーによって書かれていく007ジェームズ・ボンド。実はイアン・フレミングの原作を一度も読んだことのない自分ですが、この機会に読んでみるか・・・っていう気にもなっています。もちろん、翻訳されないと僕には読めないわけですが・・・。
posted by フランキン at 13:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

「その街のこども」…心に沁みこんでくるっていうのはこういう感覚なんだ

絶対見てほしいと心から思うドラマはなかなか無い。
でもこの作品はそうなのです。

阪神・淡路大震災15年特集ドラマ
その街のこども

再放送が決定しているようです。
ひらめき放送日時:2010年5月5日(水・祝) 
午後4時45分から 総合テレビ・全国放送


まだ未見の方はこの機会にぜひご覧になってください。
ラストに流れた阿部芙蓉美さんの歌も、
こういうのが心に沁みるという感覚なのだと思う。
ちなみに僕がこのドラマを見て感じたことは、
以下のいくつかの記事でこのブログににもアップしています。

サーチ(調べる)2010年01月30日
それぞれのスピードで、いつかは辿り着くのかも…「その街のこども」再放送を見て
サーチ(調べる)2010年01月25日
もう視聴率なんていらない!
サーチ(調べる)2010年01月19日
「その街のこども」の再放送希望
サーチ(調べる)2010年01月18日
「その街のこども」…一夜明けての覚え書き
サーチ(調べる)2010年01月18日
その街のこども
posted by フランキン at 11:35| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月10日

ソウルコレクター

ソウル・コレクター
ソウル・コレクター

自分自身について、
自分以上にたくさんの人たちが知らぬ間に知っていて、
悪意をもった何者かによって
自分の人生がのっとられていく・・・

あとに残されるのは、
自分が生きた覚えのない人生の残骸と、
犯したことのない罪と罰・・・

ジェフリー・ディーヴァーの
リンカーン・ライム シリーズの最新作ソウルコレクター
なんとも背筋がゾクっとなるような、
それでいて本当に何処かで起きていそうで怖いストーリーだった。

比較的無知なまま情報化社会に漂っているらしい自分としては、
個人情報とプライバシーに関わる諸々が、
ここまで深刻な問題を孕んでいるものなのだとちょっと実感。

原題は「The Broken Window」なんだけど、
ディーヴァー自身が日本向けにと候補に挙げたのだという
「ソウルコレクター」というタイトルも、
いつのまにかまるで魂を抜き取られるかのように
意に反して自身の個を失いながら現実が崩壊していくような
得体の知れない不安も助長していてこれもなかなかいいかもしれない。
posted by フランキン at 11:31| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

制服警官モノが見たいんですけど。

ひらめき「ロックフォードの事件メモ」
ダーモット・マローニー主演でリメイク


完全にオリジナルなストーリーって生まれにくいのかな?
リメイク関連で流れてるニュースには

・リメイク版「スーパーガール」に美人歌手テイラー・スウィフト?
・大ヒットミステリー「ミレニアム」がハリウッドでリメイクへ
・韓国映画「ボイス」がハリウッドでリメイクへ

リメイクのオンパレードですね。
懐かしいのが様変わりして見れるというのは楽しい反面、
どこかにあったね・・・こういうの・・・
というところに留まりそうなものが量産されてるのも事実。

今回のロックフォード氏はどんな感じかな〜?
もちろん、期待はしてますけど・・・楽しみです^^

とりあえず、「ADAM-12」
2度目のリメイクを希望します(笑)
このドラマで「ミランダ警告」という法的手順を初めて知り、
刑事ものじゃなく制服警官ものの面白さを知ったのですね〜^^

サーチ(調べる)60年代〜70年代放映のADAM-12


サーチ(調べる)こっちの「NEW ADAM-12」は見てないなぁ〜


だんぜん、60年代もののADAM-12のDVD日本リリース希望しますexclamation×2
ラベル:ADAM-12 リメイク
posted by フランキン at 13:23| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

ハリウッドリメイクで本国にはためく黄色いハンカチの物語


寡黙で何かワケがありそうな男に高倉健、そしてひたむきなヒロインに倍賞千恵子山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」で初めて見たこのコンビは、日本の映画界が生んだある意味黄金のコンビです。この後に続いた「遥かなる山り呼び声」、そして倉本聡が高倉健をイメージして書いたという脚本の映画「駅 STATION」でも、このふたりが織り成す、さながら流行歌の中の男と女を活写したかのように親しみ深く、日本人の心に入り込んでくるふたりの形は、映画史上に残る絶対に忘れられない銀幕の中でのふたりであると思います。

この「幸せの黄色いハンカチ」が、ハリウッドによってリメイクされたのだそうです。「イエロー・ハンカチーフ」(The Yellow Hankerchief)。出演はこのニュースにあるとおり、ウィリアム・ハートマリア・ベロ、そして今や「トワイライト〜初恋〜」とそれにつづくシリーズで人気絶頂のクリステン・スチュワートという顔ぶれのようです。

さて、この「イエロー・ハンカチーフ」が山田監督の「幸せの黄色いハンカチ」のリメイクであるのはそのとおりなのですが、この物語のルーツはもともとアメリカであることはあまり知られていません。ニューヨーカー作家であるピート・ハミルが書いたこの物語、日本語で読める原作としてはの短編小説集「ニューヨーク・スケッチブック」の巻末に載せられています。とても短いストーリーですが、シンプルに心に残ります。つまり、今回の映画は確かに日本映画のリメイクですが、作品としてはアメリカ生まれのストーリーが逆輸入のような形で母国に戻るという形になります。

山田洋次監督といえば、先の挙げた「遥かなる山の呼び声」も、そのタイトルが示すように、ヴィクター・ヤングの同名の曲がメインテーマとして名高い、ジョージ・スティーヴンス監督の「シェーン」(1953年)をモチーフにした作品で、雪を被る山々が美しい雪解け頃のワイオミングの開拓地から、女性がひとりで切り盛りする北海道の牧場へと変わってはいても、物語のシチュエーションはそのまま取り込んだようなストーリーとなっています。振り返ってみると、山田洋次監督のハリウッド作品へのオマージュのようなものも感じますね。

幸せの黄色いハンカチ 遥かなる山の呼び声 ニューヨーク・スケッチブック (河出文庫)

フランキンとしては、この「幸せの黄色いハンカチ」と「遥かなる山の呼び声」は、何度見てもまた見たくなる数本の映画のリストに入っています。さて、今回ふるさとへく返り咲くことになったアメリカ版、つまり後に作られているとはいえある意味では元祖ともいえる「イエロー・ハンカチーフ」。殺伐とした世の中で、人と人の結びつきと、犯した過ちへの後悔や人同士が信頼し合うこと等々が散りばめられながら、一筋につづられるロードムービーに身をゆだねて、ささやかな幸せをかみ締めてみるのもいいかもしれません。日本公開はいつなのでしょうね?静かな…そしてささやかな期待が胸に沸いてきます。

ところで、山田洋次監督が33年前の「幸せな黄色いハンカチ」のロケ地であるひらめき夕張を訪れたのだそうです。感慨もひとしおだったことでしょう。あの黄色い旗は、今もそしてずっと先も、目いっぱい風にはためきながら、人々が訪れるのを待っていることと思います。


ついでに高倉健出演の映画の中の食べ物関連の記事
サーチ(調べる) 健と食こちら
 
posted by フランキン at 04:33| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

歌う曙の惹かれて見た〜GLEE

この↓曙のCMに惹かれて、今GLEE、初めて見てますが、


こういう学園ものって、いいかもしれない。
海外ドラマの学園ものって、
エンターテインメントとしての音楽パフォーマンスが、
中途半端じゃないところがいいですね。



実力主義のあちらでは、
多分全員相当なオーディションを生き残ってるんでしょうね。
ストーリーとしては分かり易くて単純でも、
なかなか見応えがあります。
(アメアイのサイモン・コーウェルもジャッジしてたりして…笑)

エピソード1の一場面…去り行く先生の背中に、
どこからともなく聴こえてくる生徒たちの歌声・・・
昔の日本の青春ものにもよく見かけたような気がするけど、
こういうのって、時々あって欲しいドラマなんだよな〜
  
ラベル:glee FOX
posted by フランキン at 23:40| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

映画化された「シャッターアイランド」〜おい、ホントにあの島に行くのか…


遅ればせながら、このニュースではじめて
シヤッターアイランドが映画化されたことを知りました。

shutterisland.jpg

原作はこれも映画化されたミスティックリバーの作者でもある、
デニス・ルヘインの小説
シャッター・アイランド (ハヤカワ・ミステリ文庫)
単行本が発刊された時にはラスト近くの章が袋綴じがされていて、
かなり思わせぶりな一冊でしたが、
連鎖する謎の解明が醸すおどろおどろしさと、
正気と狂気の境が次第に曖昧になっていく感覚が
読み手をぐいぐいと幻惑していく濃密な物語でした。

映画のほうは、監督がマーティン・スコセッシ
主演がレオナルド・ディカプリオ
あの濃密な世界を映像化するにはまさにピッタリかもしれません。
読んでからずい分と経つので、
ストーリーの細かいところは記憶から欠落してしまってますが、
その分、映画は別作品として楽しめそうな気がします。

さて、そのディカプリオとスコセッシが、
映画「シャッターアイランド」のPRのために
イタリアはローマを訪れました。
参照のためにリンクしたニュース記事は、
その様子の写真のみのようですが…

映画『シャッター アイランド(Shutter Island)』
日本公開は4月9日
 
posted by フランキン at 16:07| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

渡辺あや脚本「火の魚」というドラマ

1月17日の震災記念日、そして30日の再放送と、
二度に渡り放送され、すばらしい作品として記憶に残る
NHKドラマその街のこども

脚本は渡辺あやという女性でした。
恥ずかしながら、この人の書いた脚本の作品を見るのは、
この「その街のこども」がはじめてでした。

少なくともあのドラマは、
まるでどこかで交わされている人同士の関わりと会話を、
普通に切り取ってきてたようなプライベート感が漂い、
ドラマの中のふたりと同じ時間、同じ空気、
同じ気持ちを傍らで見つめているような気がしてきて、
見ている自分がどんどんドラマの中に
溶け込んでいくことができる心に残る作品でした。

同じ渡辺あや脚本のドラマがもうひとつ放送されます。
3月13日(土)PM9:00〜9:53放送のNHKドラマ
火の魚

原作は明治から昭和にかけて生きた
詩人であり、小説家でもある室生犀星の作品。
そして今回も、ドラマはふたりの人物を中心に語られていく。
年老いた小説家と、若い女性編集者…

「その街のこども」を見て感じたのだけど、
渡辺あやという女性が書くドラマの面白さは、
人と人の間にある距離感と、
同じ空気を吸いながらも異なる自分を持つ者同士が、
言葉を交わしながら言葉そのものではなく、
語られていないことを感じ取りながら、
相手と自分自身の関係性に少しずつ気づいていく・・・
その過程にあるのだと思います。

台詞回しのインパクトでドラマを表現する作品が多い中、
それらとは少し異なって、
なんとも旨味のようものを感じさせてくれる楽しみがあるのです。
それはまるで本を読む時に感じられるのと似た、
その行間に漂うものが染みてくるような感覚…というのかな。
そんな味わいがあります。

さて、この火の魚…歳も感覚も事情も異なるふたりが、
相手との互いに譲らぬ関わりの中で、
はたしてどんな言葉…どんな空気を感じさてくれるのか?

期待が静かに膨らんできます。
見終わった時に、見ることができて感謝したくなるような作品…
そんなドラマが見たい。
 
posted by フランキン at 13:11| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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