2013年01月22日

冬の蚊たちのはやり気なフライング

昨日は久しぶりに、部屋の中を蚊がひとつ飛んでいるのを見ました。蚊の姿を見たのは自宅の部屋だけではなく、夜遅く入りに行った近くのホテルの温泉の休憩室にもひとつ飛んでいて、どちらも夏の終わり頃の哀れ蚊のような弱々しさはなく、いたって元気な飛び方をしていました。

昨日はここのところ続いていた空気の冷たさが少しだけ緩んで、気温計を見た時には前夜よりも5度ほど上がって6度あたりを指していた時間もあって、なるほどこの気温の上がり方が、部屋の中の何処かで越冬中の蚊を呼び覚まし、そのうちの気が早い数匹に、春を夢見たフライングをさせたということなのかもしれません。

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2013年01月19日

ガス燈の灯が消えていく・・・ララとリリーの物語

在りし日のララ・アンデルセン

ドイツはベルリンの街角から、ずっと灯りつづけてきたガス燈が消えてしまうらしい。夕方のニュースで触れられていました。テレビ画面の中には、古くからのドイツの街並みと仄かに暖かみを帯びたガスの火が灯る街燈のCGイメージの中に、キャスターとゲストの女優さんが立っていました。僕はこんな風なレトロな街灯を目にすると、日本語の「街燈」という言葉とともに、もうひとつカタカナの言葉が浮かんできます。「ラテルネ」(Latelne)…少年の頃に僕がはじめて知ったドイツ語の言葉です。

中学生の頃、家族が寝静まった深夜にひとり布団の中で続きを読む
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2013年01月15日

雪の世界・・・High Winds White Sky



小さな頃の雪の記憶・・・なぜか大人になってから経験したどの雪の日よりも、深く厚く積もっていたような感触があります。きっとそれは、自分の身体が今よりももっと小さくて、子供の視点と体感をもって取り込まれた雪の風景だからなのでしょう。

雪が降る・・・雪が積もる・・・五感という区切りでは割り切れない幾つかの感覚が閉ざされて、少しだけ世界が小さく、そして近くなったような妙な感覚・・・ありますよね。

柔らかな積雪の表面を踏み抜くようにして、たまに長靴の中に入り込んでくる雪が足にふれる度に冷たい思いをしながら、白一色に様変わりしたいつもの道を通ると、自分を取り巻いていたはずの音が雪の中へと吸い込まれて、聴こえてるのは自分の息づかいと、音もなく空から落ちてきた雪が先に積もった雪にふれてたてるサラサラという細かな音のみです。バサっ・・・ドサっ・・・という唐突な音に振り返って見上げた先には、いつもより細く黒々として見える木々の枝をぐるりと巻き込んだように取りついた雪の白が不安定なバランスを保っていることに気づいたり・・・。

何もかもがいつもと違う・・・その中心に自分がいるような、でもいつまでもそれが続くわけではなくて、明日にはもうこの光景も変わってしまうことを心の何処かで悟りながら、音も色も失せた世界を、限られた感覚の中で受け止めながら歩いていると、自分も雪に覆われて隠されていく周りの樹や石と変わらない無生の存在のひつとになったような一体感が湧き上がってきます。

小学2年の時の小さかった頃のある冬の日の朝は、確かこんな感じでした。学校に向かっていく途中、学校の方角から戻ってきた近所の上級生のお兄ちゃんたちが、「今日は学校休みになるって」・・・と、教えてくれた・・・天候で日常がすっかり変わった、はじめての経験・・・。

シェアした曲は、カナダのシンガーソングライター、Bruce Cockburnが1971年にリリースしたアルバムHigh Winds White Skyからのタイトル曲、High Winds White Sky≠ナすが、邦題は「雪の世界」というものです。あの小さな頃の雪の日の・・・そしてたぶん今でも雪が降った翌朝の白い世界にはぴったりの一曲として、僕にとっては、冬には必ずなんどか聴いてしまう曲です。動画に静止したままのジャケットの雪の風景・・・これも自分の雪の日の感触そのまんまに感じます。
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2013年01月06日

テネシー・ワルツ



もしかしたら人類最初の音楽は、何か楽しい出来事を経験した初期の人類の誰かが、思わず発したハミングに過ぎなかったのかもしれない・・・近くにいた誰かがそれに感応して同じく音を返してみると、別々に発せられた二つの音がひとつになって響く感じがじつに愉快で気持ちが好く、人はその時々の気分や感情を音によって表しながら、自分の中に起きている経験を互いに伝え、分け合うことができるのだと気付くようになった・・・そんなことを時々考えます。いつしか人は風が吹き、海や空が鳴る音、森の中で鳴く鳥の声や、獣たちが発する独特の咆哮や金切り声、そこに音の強弱や高低の妙を感じ取り、同じようにそれを真似してみたり・・・そうやって旋律が生まれ、拍子を打つことの楽しさが見出され、やがて、この地球上の大気を震動させて伝わる、音という見えないものの存在と、それを受け止める人それぞれの中にある聴覚と心という機能・・・言い換えれば、人の外と内との連動によって生じる特異な経験が、理屈を越えて働きかけてくる経験が、やがては、音楽・・・という、人類にとってかけがえのないものへと育まれてきた・・・想像してみると、音楽にちなんで様々な物語ができあがりそうな気もしてきます。

そんな人と音と音楽との関わりを思い巡らし、人と音楽との関わりのルーツを辿ってみると、きっとショービジネスや採算、流行りなどとは無関係だった音楽の姿が必ずあるはず・・・そんな想いが湧き上がってきて、それがすごく大切で純な感覚のように、僕には思えてきます。流行りというカテゴリーから離れて既に久しく、それでも長きに渡って、時には幾つもの世代に渡ってメロディと歌詞が、そして歌声が親しまれてきた曲を耳にするような時、人と音楽の関わりの形のひとつの原型に近いものを感じることがあります。今日の場合は、Patti Pageが1950年(昭和25年)にヒットさせた、The Tennessee Waltz を聴いて改めてその感覚を味わうことになりました。

今日になって知ったのですが、アメリカのポピュラー音楽の生き証人のようなひとりの女性シンガーが、一日に亡くなっていたのですね。パティ・ペイジの歌うテネシー・ワルツ。僕が生まれるずっと前に世に流れた歌なのだけど、映画好きの僕は、これまで幾度となく様々な映像とともに流れて耳にしてきた曲であり、歌声です。シェアした動画の中で歌う年老いてもステージに立ち歌うパティと、それを受け止めるオーディエンスの表情を見ていると、本当に、音楽ってビジネスとは関係のないところで純粋に人と関わるものなのだと、つくづく感じさせられたのでした。

生涯現役の歌手として世にありつづけたPatti Page・・・ご冥福をお祈りします。
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2013年01月01日

ポカレカレ・アナ

年末年始になんとなく口ずさんでいたのがこれ。ネロリと二人して少し前に見たある韓流ドラマの中で流れたシンプルなメロデと詩があまりに印象に残ったので調べてみると、韓国では「恋歌」(연가/ヨンガ)として広く親しまれているという曲で、どうやら朝鮮戦争の時に連合軍として戦闘に参加したニュージーランド軍の兵士達により伝えられて広がった、マオリ族の民謡を元に歌われる「ポカレカレ・アナ」(Pokarekare Ana)という曲なのだと知りました。



愛する人が戻ることを願う切ない曲なのだけど、そのメロディの広がりは、聴く人の想いの風景に海と空の広さを感じさせてくれる気がします。新しい年を迎えた伊豆の海と空の青さ、深さ、高さを感じながら、1月1日の今日、僕の中ではずっとこの曲が流れていました。

映像はHayley WestenraのPVのようですが、この映像と歌声に接しながら、もうひとつ思い出したのが、飛 浩隆の「グラン・ヴァカンス―廃園の天使」というSF小説の中の幾つかの場面です。南欧の港町を模した仮想リゾート「数値海岸(コスタ・デル・ヌメロ)」に、訪れるはずのゲストが絶えて既に1000年・・・終わることのない夏に取り残されたAIたちが経験する世界の終わりの物語。〈この本を読んだことのない人にはわかりづらい話ですね。ゴメンナサイ 汗〉

その中で、清らかな光と波に洗われる海岸で戯れる少年と少女、ジュールとジュリーが砂の中に見つけて拾い上げるのが、創造力を具現化する光を奥に秘めた、硝視体〈グラス・アイ〉と呼ばれる小さな小石です。Hayleyのこの動画、なんとなく物語の主人公の少女ジュリー・プランタンを彷彿させます。イメージが広がります。

というわけで、今年はじめてシェアするミュージックは、僕にとっては、あるドラマと小説の中の風景、そして太陽の光が注ぐニュージーランドの海辺と伊豆の海岸を重ねて感じられるPokarekare Ana≠Hayley Westenraで。醸されるこの広がりは新年にはふさわしい気がします。
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2012年12月28日

人々の潮流


大空には大気の流れがあって、海の水にも潮流があるのと同じく、この地球の表面に在るものすべてには、時の流れとともに経てきた道筋があるのかもしれません。シェアしたこのニュースに接して感じたのは、生き物にも・・・人間にも、一種の潮流のようなものがあって、その道筋で経験され蓄積されてきたものの原型は世代を越えて受け継がれ、それぞれに分かたれながらも再び何処かで合流することを夢見ているかのような・・・なんとなく、そんな壮大なドラマを感じます。

古代にヤコブ(後にイスラエルと改名)というヘブライ人がいて、続きを読む
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2012年12月24日

This Endris Night 2012のクリスマスイブ

世界には千年も二千年も・・・さらにはもっとそれ以上の時の彼方から今に残るいろいろな物語があって、そのほとんどが当初は人から人へと口伝えにより世代を越えて残されてきたのだと思います。いつしか巻物や冊子本の技術が見出されて広く遠くまで物語は流布されていく・・・もちろんそこには何千という世代の人々の関わりとともに幾つもの特色が上書きされて、もしかしたら現代に形を成す物語の多くは、無数の断片の集大成なのかもしれません。

だとすれば、大切に昔から残されてきたストーリーには、確かに真実の要素が含まれているのだろうと感じます。気の遠くなるような長い時の流れの中でそれらの物語が人々の中に育んできた文化というか習慣というか・・・やはり人類にとっては貴重な宝なのかもしません。クリスチャンではない自分がクリスマスを意識するということ・・・それはたぶん、人々の中に現に存在する、平和や親しみを求め、それを祈り抱きしめ合うかのような感触を覚えるからです。

エレクトリカルに彩られた街々のクリスマスから少し離れて、小さな部屋の中・・・赤くて温もりのある火・・・大きな窓の傍・・・大切に思う家族が交わす言葉や笑顔等々・・・ずっと先の何処かで記憶を辿った時に思い出として甦ってくるのは、決して煌びやかとは限らない・・・もしかしたら、あれも無かった・・・これも無かった・・・というようなシンプルな風景の中に、身近にいた人々がよみがえってくる・・・そういうものかもしれない・・・Dan Fogelbergが歌うThis Endris Night が流れてくると、そんな風に思えてきます。

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2012年12月22日

雨がいつのまにかやんでいて・・・

遠くで声をあげているカラスに気がついて窓の外に目をやると、水平線の彼方に曇り空が破れ少しずつ光が広がり始めてました。それとともに雨の名残のような霧が漂いはじめ、雨の中でも薄く見えていた天城の山々はすっぽりと覆われてしまいました。正午を40分後に控えて・・・空の表情が変わっていきます。まぁ、朝の内のしっかり真っ直ぐの大つぶ雨の風景にすっかり慣れてしまったので、今日は雨が降ろうが太陽が注いでくれようが、僕としてはこの後どちらでも好いです。雨でも曇りでも晴れになってくれても、いずれにしても気分は上々。霧が濃くなってきた・・・伊豆高原・・・昼前に、ちょっと風景が動いてくれています。曲はB.B King Eric Claptonで、Come Rain or Come Shine

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2012年12月17日

「バンドリーダーの贈りもの」(Leader of the band)



昨日が命日だったということで、昨夜ウォールにあげたのがDan Fogelbergの「懐かしき恋人の歌」(Same Old Lang Syne)でした。彼が遺した音楽はたくさんの働きかけをもって人々の中にこれからも流れていくのだろうと思います。Dan Fogelbergは同じく音楽家であった父親への気持ちを「バンドリーダーの贈りもの」(Leader of the band)という曲の中に歌って表現しました。誰かの人生が誰かのそれと重なって、ひとりの人が表したものから受けとられた大切なものが、またさらに誰かへと受け継がれていく・・・内に溢れるものを表現する機会、そして才能への気づき、そして昇華・・・そのどれもが単独で生じるのではなく、誰かや何かとの関わりの中から生まれてカタチにされていく・・・そのことに気付いた時、人はごくふつうに、そして熱い想いを伴った感謝の心を抱くことになるのかもしれません。

シェアした動画は、続きを読む
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2012年12月16日

懐かしき恋人の歌

今から20年くらい時を遡ってみれば、街の中にはまだまだCD&レコードショップがいくつも有って、たまたま立ち寄った店の中に流れていた曲や、目当てのものとは違う、それまでは知らなかったアーティストのアルバムのジャケットにやけに惹かれてジャケ買いしたりと、思いがけない仕方で、大好きだと感じる音楽に出会ったりということがよくありました。

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「白い」ということ。

海は蒼いだけではなく時には限りなく白い・・・ひとつの雲も形を成していない今朝のような晴れた日には、海面全体がすべての光の波長を反射して僕の視覚の識別能力の限界を遙かに超えて膨張して見える。どんな表現を遣って言い表したとしても目にしている海の色を誰かに正確に伝えることはたぶん出来ないことで、たぶん「白」という表現には、無数の要素と可能性を内に含んで広がっていくあるひとつの状態を指しているのだと、光に溢れる今朝の海を見ながら思う。「白」という状態・・・どうやらそれは光や色の世界だけではなく、音の世界、そして最近では香り≠フ世界にも存在することが分かってきたという。捉えきれないものを白と呼ぶのなら、人の感覚の外にはどれだけの世界が広がっているのだろう?

今朝の海は白くてまぶしい・・・この経験をどうしたらその場にいない人にも等しく感じてもらえるのか?その術をもたないことに再び気付かされた・・・そんな想いにかられた午前10時30分の伊豆高原より。。。
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2012年12月08日

ふたつのメロディ・・・そして「太平洋の亡霊」

もう二度と見れないであろう、または聴けないであろうと思っていた映像や音楽に劇的な再会を果たすことが出来る・・・ネット時代の恩恵として、そういう体験が可能になったということも、数えられるかもしれません。実は僕の中に、どうしてももう一度聴きたい・・・見たい・・・と思っていた映像、そしてその中に流れていたあるメロディがあります。

幼い頃に耳にして、子供ながらに強く心を揺さぶられ、断片的に憶えている、ある二つのメロディ・・・。二つとも、続きを読む
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2012年11月27日

BELIEVE IN ME

真夜中なのだけど、空が高いな。。。数時間前、深夜になって見上げた月はだいぶ丸くなってきていて、そしてすごく高いところにあるように感じました。今朝になってみると・・・やっぱりすごく空が高い。遮るものがなく、放たれた時のままのようにして辺りに注いでくれた今朝の太陽の光は、どことなく信頼に応えてくれたような感じがして、昨夜のプチ嵐の記憶がまだ残っている今朝の僕には、ちょっとホッとさせてくれる注ぎ方に感じられます。伊豆七島の影が水平線の彼方にくっきりと見える・・・今朝の伊豆高原は光にあふれていて、空がとっても高く見えます。Dan FogelbergのBelieve in Me▼・・裏表のない誠意を感じる詩とメロディ・・・



あまりにも多くの心が
感じるままを信じることに失敗して
傷ついてきた
でも信頼とは
言葉で話されるようなものではないし
愛とはそれが真実ではれば
決して間違うことのないもの

もし僕がたったひとつのことしかできないとしたら
僕は歌を書き歌うだろう
君の疑問を消すような歌を
そして僕を信頼するような歌を


(訳詞:山本さゆり ライナーノートより一部抜粋)

太陽ができることはたったひとつ・・・一度も途切れたことのない日毎注がれる光は聴こえてくる歌のようなものかもしれません。この世界のすべてがそれを信じて今朝を迎えた・・・そんな想いが胸にあふれてくるような・・・午前9時の伊豆高原です。おはようございます。
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2012年11月23日

キラキラと金色で黄色くてオレンジな日

けっこう長文な日記です。すみません。(^_^;)

今日11月23日。そういえば・・・と思い起こしたのが小さな少年の頃の記憶。キンロウカンシャノヒ・・・という言葉の響きが、まだ漢字をあまり知らなかった小学生の頃の僕には、やけにキラキラした響きの音に聞こえて、なんとなく金色で黄色くてオレンジな日だなぁ〜などと、そもそもの意味など全く意識せずに、当時の子供の感触のみでキンロウカンシャノヒと呼んでいました。

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2012年11月20日

夜と戯れはしゃぎまわる枯葉たち

動から静へ・・・今夜の伊豆高原はそんな感じです。3時間ほど前の外出先では、遠く近くに立つ無数の木々を揺さぶる風の音が、ざわざわと互いに干渉し合いながら圧力を増して迫ってきました。車のヘッドライトに照らされたアスファルトの路面を、風に飛ばされて寄せ集められる枯葉たちが勢いよく渦巻く様子は、人知れず現れては夜と戯れはしゃぎまわる民話の中の子供たちの一団と出会ったように感じられました。

いつのまにか風がなくなって・・・伊豆高原はこの時間、いつもと同じく深くて静かな夜になっています。生き返ったように舞っていた枯葉たちも、今は再び生気を枯らしたように力なく地面に横たわる・・・何もかもが動きを止めて光もなく静かに、夜がさらにさらにと更けていきます。

今夜のラストは、先ほど車を走らせながら目にした、風に舞ってあそぶ枯葉たちの背景に、BGMのように心の中に鳴っていた、Bill Evans Trio (1960) のAutumn Leaves≠ナす。皆様、素敵な夢を・・・夜が明けたら、また。。。おやすみなさい。

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2012年09月20日

僕は大丈夫・・・

僕は大丈夫・・・あの子は大丈夫・・・

大丈夫・・・というわずかな文字での言葉が、果たしてどんな気持ちを背景に口にされたものなのか・・・? それを耳にした人は、心して受け止めなければならないと、時に思います。

人は自分の心の中のものを、どれだけ相手に分かるように伝えることができるのだろう?誰かが何かを伝えるために発した言葉のうちの幾つくらいを、人はきちんと聴き取り、分かり得るのだろう?

誰かの心の中のもの・・・今この瞬間の経験に感じているものを、人は必ずしも100パーセント伝え切ることはできず、また100パーセント受け止め得るとも限らないのだとすれば、人は人との関わりの中で、自分の全体のほんの一部分をわずかな言葉に託して伝え合っていることになります。誰かの声や言葉に接する時には、人は、そのわずかなものにしっかりと心と両耳を向けて聴くべき理由を、誰もがもっているのかもしれません。

熱海のラジオを終えてしばしのドライブ・・・伊豆高原に帰ってきて午後6時のテレビのニュースを見た時に、幼い子供が死んでしまったというニュースがふたつありました。そのふたつの事件はともに、親の手によって子供の命が消されてしまったものでした。両親から食べ物が与えられず餓死に至らされた2歳のひとりの男の子のお腹の中からは、空腹のために口にいれたに違いない髪の毛などが大量に見つかったのだといいます。その子の思いや感じていたものの一部でさえ、本人以外が捉えることは最後までなかった・・・悲しいですね。

語られていないこと・・・隠されている心の中・・・こういうニュースに接する度に、身近な子供たちの笑顔を大切にしたい・・・と心から思います。1987年にリリースされたSuzannne Vegaのアルバム SOLITUDE STANDINGの中に収められている曲LUKAを思い出しました。「僕は大丈夫・・・」・・・少年ルカも、そんな風に語ります。



LUKA Suzannne Vega

ボクの名前はルカ
2階に住んでいるんだ
君のうちの真上に
そう、ボクのこと、見たことあるでしょ
真夜中に、何が聞こえても
たとえば、怒鳴り声とか、ケンカとか・・・
どうしたの?って、きかないでね
何があったの?って、きかないで
何もきかないでね
ボクって、不器用なんだよ
生意気そうにしないようにしてるんだけど
ボクって、バカなんだよ
自信ありそうにしないようにしてるんだけど・・・
あの人達、ボクが泣くまで、たたくんだ
たたかれても、さからっちゃいけないんだ
口ごたえしちゃいけないんだ
黙って
おとなしくしてるんだ
うん、ボク、大丈夫だと思う
ちゃんと、うちに帰るよ
もう、心配しないで
とにかく、君には関係ないことだから
ボク、ひとりになりたいんだ
物を壊したり、投げたりしないところで・・・
ボクのこと、何もきかないで
大丈夫だから
もう、何もきかないで

※訳詞 山本さゆり
(アルバム、ライナーノートより)
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2012年09月07日

「赤とんぼ」という歌を改めて知りました。

朝夕と、窓のすぐ外を飛ぶ赤とんぼの数が日毎に増えてきました。スイスイと彼らが飛んでみせてくれるその高さも次第に高くなってきて、その様子に何時の間にか入れ替わっている秋の空気の流れを感じます。何気なく想いに浮かんでくるのが、〜「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か・・・」〜と唄う、あの「赤とんぼ」の歌です。なだらかに流れてゆっくりと高みを越し、すぐに手許にもどってくるようなそのシンプルな詞と旋律は、僕の中にも何処かで共有されているらしい幾つかの色や人々の姿をともなった原風景のようなものを心の中に描き出してくれます。

ちょっと自分の無知をさらけ出す日記を書き留めておきたいと思います。あくまで僕の場合のことですが、続きを読む
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2012年09月06日

なぜ彼らはこの場所で一緒に見つかったのか!?有史以前にいったい何が?


こういうニュースに接する度にいつも思うのは、これらの動物たちは、どうして此処・・・この場所で死んだのだろう?・・・ということです。ニュースの詳細ついては僕は知りようもないのですが、文面からすると下水処理場の建設現場の地表から20メートルほどの地中から・・・となっているので、ある程度狭い範囲で、つまりはこれらの古代の生き物たちは、命を落とした時にこの同じ場所におり、死も、ほぼ同時に訪れたのではないか?・・・ということを感じさせられます。

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2012年08月16日

慟哭の花を見た夏の記憶

深夜帰宅して、もう昨日へと過ぎてしまった8月15日を思いながら、つらつらと書いてしまったものを、何はともあれウォールに日記として残しておこうと思います。思い出すことに任せて気持ちのままに文字にしたものなので、何の方向性も目的もなく、ただ今の僕の心情とその理由についての個人的な振り返りの記録です。

少年の頃の夏休みの記憶には、何のうしろめたさも感じることなく、今日も明日も夏休み・・・という解放感の中で見たテレビの記憶があります。学校がある日には見れないはずの時間のものばかりで、どんな番組を見たのかはほとんどすべて忘れてしまったのですが、ふたつほど、今でも強く印象に残っているものがあります。

70年代というのは、テレビドラマの中の表現の仕方が今よりもゆるい部分もあり、いわゆる昼ドラ(昼メロ?)と呼ばれる、主婦をターゲットとして放送されていたメロドラマには、何となく子供が見るようなモンじゃない・・・といった気恥ずかしさのようなものが感じられ、近づいちゃいけない・・・みたいな健気な躊躇いがいつもありました。小学生の頃のある日・・・外では蝉がじんじん鳴き続け、エアコンなんてなかった部屋の窓は開け放したままで、外のことなんて今ほどは気にしなかった、内にも外にも包み隠さない日常がまだまだ健在であった頃のある夏休み・・・その昼ドラ≠ニいうものを小学生であった僕ははじめて見たのでした。

でも、小さなモノクロのブラウン管に映し出されたのは、僕が想像していた大人の男女が絡み合うような色恋モノではなく、兵隊さん、洞窟、戦車、座布団を頭に括ったように見えた防空頭巾をかぶった女の人たち、そして、涙・・・でした。そこには少年の僕には想像もつかない、死がいつでも隣り合わせの中に生きる人たちの姿があり、生きたくても生きられない人たち、大切な人たちが次々の命を落としていく戦争の風景・・・それが子供心にショックで、故に惹き込まれるようにして、その時間は外に遊びに行くのも忘れて連日見入ってしまったのです。

慟哭の花.jpg

「慟哭の花」・・・というのがそのタイトルで、第二次大戦の終わり頃に熾烈を極めた沖縄戦の中に生きた、いわゆるひめゆり部隊≠ニして今も語り継がれる女子学徒看護隊員の女性たちを主人公においた物語でした。慟哭≠ニいう二文字が読めなかった僕は、父に、これ、なんと読むの?・・・と訊きました。「どうこく」と読むのだと教えてくれたのですが、今度はその意味がちっとも分からず、つづけて「なんていう意味なの? と訊きました。「悲しくて悲しくて泣いてしまうことだよ」・・・と教えてもらいました。読めないだけじゃなく意味も分からなかった慟哭≠ニいう言葉には、子供の耳と心にもなにやら尋常でない重いものを感じていたので、その意味がわかってドラマに描かれていることが更にぐっと近づいてくるような気がしたのを今でも憶えています。悲しくて泣く・・・というのすぐに想い浮かぶ様子だし、自分だって経験済みのことなのだけど、でもそれをこんなに難しい、子供の耳にも重い響きをもって感じられる慟哭≠ネんていう言葉を使っているというのは、きっと戦争を経験した人たちが感じた悲しみというのは、僕なんかには想像もできないほどに酷く辛いものだったに違いない・・・と、まだまだ子供であった僕は、その頃まだ健在であったお祖母ちゃんの話も、もっとちゃんと聴かなきゃいけないなぁ〜となどと思い直したのでした。

※写真は、1971年8月2日から9月10日(調べたら分かった^^)までフジテレビで放送された『慟哭の花』の貴重なワンカット。このドラマの挿入歌「ひめゆりの唄」を歌っていた歌手の古都清乃さんのホームページから拝借しました。

もうひとつ記憶に残っているのは、小学生がふだんは見ているはずもない朝のワイドショーの中のことです。ある日のこと、夏休み中の小学生の特権ともいえる寝坊をして起きた僕は、誰もいない部屋につけっぱなしのままになったテレビでたまたまやっていた小川宏ショーという番組に釘付けになってしまいました。夏休みといえば8月15日の終戦記念日が近づくにつれ、各テレビ局も終戦の特集に、たぶん今よりも多くの時間を割いていたように思います。終戦から25年ほどしか経っていなかったあの頃は、67年が過ぎた平成の今とはメディアの取りあげ方も扱い方もそこに反映されている精神もかなり異なっていたのだと思うのですが、その日の小川宏ショーもそれに違わず終戦特集がメインになって、かなり真剣なコーナーが進行中でした。

スタジオにはひとりの元日本兵の男性が自分の経験を語ってもらうために招かれていました。番組のレギュラー出演者たちに相対するようにしてひとつの椅子に腰を下ろした男性は、サングラスに帽子、そして顔をそっくり覆ってしまいそうなほど大きなマスクをしていました。でも、マスクでは隠しきれない両頬の端に大きな傷跡がチラリと見えていて、それに気づいた僕は、その男性が語る戦場での体験をにいっそうの迫真性と生々しさを感じたのでした。その頬の傷は、米兵の放った小銃の弾丸が両の頬を貫通した時の銃創なのだそうで、当時よくテレビで見ていたコンバットなどの戦争ドラマなどでは感じたことのなかった血を流すことの痛み≠感じました。どんな話をその男性がしたのかはもう記憶の彼方なのですが、ひとつだけ忘れられないこと・・・それは、小川宏の次の質問に対する男性の答えが意味することの重さです。

小川宏:「ズバリ訊きます。・・・戦場で、敵兵を殺したことがありますか?」
元日本兵:「・・・あります」

僕にはこの時のふたりの質問と答えが忘れられません。戦場で男性は、至近距離で米兵に対することになり、既に傷ついて戦意を喪失していたそのアメリカ兵を、その怯えに満ちた顔を間近に見つめながら殺したのだと、覚悟と悔恨の気持ちがにじんだ声でポツリポツリと、しかし子供の僕にも伝わるほどに決意を込めて語るのでした。その様子は子供の目から見てもあまりに哀れで悲しく、僕がまだ生まれる前のこの世の中が通り過ぎてきた戦争という社会情勢≠ェもたらしたものの重さと、それを殆ど知らずにいる自分とのギャップを痛烈に思い知らされたのでした。

少年の頃の、たかがテレビを見ただけの記憶なのだけど、以来、僕は戦争についての話には、きちんと耳を・・・それも両耳を傾けて聴こう・・・そう思うようになりました。小学生だったとはいえ、それは多分、僕にとっては後にも影響を残す思いの変化で、その思いが、今も強く僕の中には在るように感じます。あれからずいぶんと時が流れました。その間に幾十回もの終戦記念日が訪れては去っていきました。戦争の頃のことをいつも話してくれていた明治生まれのお祖母ちゃんもとうに亡くなって久しく、世の中も変わりました。もちろん、終戦の日の前後には、メディアにもこの日を意識した多くの話題が今ものぼります。しかし、僕が小学生の頃に感じさせられたような、戦争に対して抱かれていた悲しみや嫌忌の念、後悔と決意のようなものはもはや感じられないような気がしています。戦争の記憶がまだ20数年前・・・というのと、67年前というのとでは、メディアの中で番組の制作に当たっている人もそれを見ている人も、年齢も考え方もスタンスも異なっていて、それは無理もない、当然のことなのだろうと思います。現在はいろいろな賢い専門家や知識人≠ェ登場しては、戦争とその中での経験についての解釈≠し、説明≠し、現代とこれからを生きる日本人にとって必要とされるらしい戦争についての考え方を、他の多くの話題の中に交えて触れるようにして語って聞かせてくれます。そのどれもがとても客観的であり、何かきちんと整理されつつ、心が伴わないままに、情勢の変化に応じて過去の経験の意味を希釈しつつ、戦争へのプロセスをより容易なものへと変化させる方向へと、いま世の中は向かっていきつつあるようにも感じます。

日本を取り巻く周囲の国々の動静とそれを象徴する諸々の出来事、そして、そういった情勢を許してしまっているようにも見える政府の及び腰のようにも感じられる対応を見るにつけ、この社会と人々は、相当なフラストレーションを抱えているように思います。メディアはもちろん、より大衆の、そして個人の抱いている想いが反映されている率が高いネット上で見る言葉の多くにも、それらに対応するために、日本は変わらなければならない!・・・という風潮が強く表れているように感じます。国防を考え、徴兵制を復活し、核武装さえも真剣に考えるべき・・・そんな主張にもしばしば直面します。今後世の中はますます、古いとされる考え方や、障害となる決まり事や習慣的に尊重されてきた信条・・・そして、日本人の戦争観や世界情勢についての考え方に間違いなく潜在的に落ち着きをもたらしてきたはずの、67年前の経験としての戦争の記憶と感情≠、前に進むための障害とみなす時が、やがてはくるのだろうと思います。しかし、本当にそれで良いのでしょうか?

こんな長い文を書いているのはなぜなのだろう?・・・たぶんそれは、何よりも自分の為なのかもしれません。僕の感覚はあまりに理想主義的で、現実感がないとよく言われます。だとしても僕は、変化する情勢や計算の上に成り立つ論理だけではなく、経験によってしか得られないはずの戦争のという情勢が、いったいどんな経験を人に強いるものなのか? そのことから目を離さないでこれからもいたいと思っています。
posted by フランキン at 00:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月31日

八日目の蝉たちの声は何が決めるの!?

伊豆に移転してきたのは2003年の暮れ近く・・・はじめての伊豆の夏は2004年ということになります。その年の夏は猛暑・・・それを象徴して感じさせたのが、シャッ!シャッ!シャッ!という少し重めの鳴き方が特徴のクマゼミの大群でした。神奈川にいた頃にはクマゼミは他のセミたちに比較して希少で、夏の間の早朝に何度かその声を耳にすることがあるくらいだったので、伊豆ではじめて迎えた夏のクマゼミの大発生には、少年の頃のセミ捕りでもなかなかお目にかかれなかった種のセミがこんなにわらわらシャッシャッとそこら中に現れてくれるのが面白くてワクワクしてしまったものです。

大室山ちかくの道筋にて
大室山ちかくの道筋にて

夏の風景と記憶には欠かせないセミの声ですが、続きを読む
posted by フランキン at 11:58| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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