2007年08月09日

本当にもったいないのは…?

今日の放送の中でも話題として取り上げましたが、
こんなニュースが流れていました。
押収象牙3t、焼却もったいない…経産省が取り扱い協議へ
「焼却か、活用か。大阪府警が摘発した密輸事件で押収された過去最多の約3トン(約100頭分)の象牙(ぞうげ)をめぐり、経済産業省が頭を悩ませている…」

人間って、日本人って、勝手なもんですね。
いろんな考え方があるのでしょうが、
ボクとしては、
どんなに象牙がお金になるものだとしても、
通常の密輸品の場合と同じように、
焼却処分にして欲しい…そう思います。

日本は世界で最も象牙を欲しがる国だといわれています。
象牙の需要があるかぎり密猟や密輸は後を絶たない…
人間の私利私欲だけでなく、貧困などの要素も加わって、
止まらないサイクルが回転し続ける…
そしてやがて、象は地球からいなくなる。


このニュースに取り上げられている3トンの象牙を
日本人が利用してもしなくても、
象の行く末には影響しないはず…
だから利用しない手はない。
そう考える人は多いのでしょう。

国によってのちがいはありますが、
例えば象が生息する国であるケニアやザンビアなどでは、
自然死した象からのものや違法に隠されていた象牙を、
あえて公開焼却するといいます。
どれだけそれらが高額の資産に成り得るとしてもです。
象牙の取り引きを自分たちは望んでいない…
それを強烈に印象づける処分だと思います。


灰にするのは余りにもったいない…

経済産業省の人々も含め、
焼却はもったいないという人たちは言うまでもなく、
象牙がもたらす利得をみすみす失うことをもったいない…
と思うのでしょうね。

もったいないという言葉を使うべき対象を間違ってはいませんか?

本当にもったいないのは、押収された象牙ではなく、
象牙を取るということのためだけに無残にも殺された、
象の命に対して用いられるべき言葉ではないでしょうか?
人間の決めた経済というかってな思い込みを満たすために彼らを殺し、
地球上から彼らの存在をかき消してしまったことこそを、
もったいないと感じるべきなのです。


3トンの象牙をとるのに、
およそ100頭もの象が殺害されているといいます。
彼らは自然に帰されるべきです。
ボクら人間が死んでなら、葬られるのと同じように…

ニュースの内容からして、これらの押収された象牙は、
焼却されることはなく、利用されることになるのでしょうね。
でも忘れちゃいけないこと…
絶対に思いを向けずにいてはならないこともある…
シンシア・モスという人が書いた本(英文)の中に、
こんな文章があります。
ボクも心からそう思います。

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象牙は確かに美しい物質である。装飾品や彫刻に使われる他のどんな物質とも違って、白熱光の輝きと温かさを帯びている。しかしわたしは、象牙が象の牙であることを人々は忘れているのではなかろうかといつも思っている。象牙(アイボリー)という言葉は我々の頭の中では象という概念から切り離されている。象牙(アイボリー)をヒスイ、チーク材、コクタン、こはく、さらには金や銀などと同様に考えがちであるが、大きな違いがある。つまり、これら他の物質は動物から得るものではないが,象牙は門歯が形を変えたものである。したがって次の点に気づくには幾分理解の飛躍が必要である。それはつまり、美しい象牙のブレスレットや精巧な彫り物を手に持つ時、その象牙の品物は、かつてはその牙を使って餌を食べたり、土を掘ったり、つついたり、遊んだり、戦ったりして歩き回っていた象から得たものであること、さらにはその象牙の品物を人の手に載せるには、その象は死なねばならなかったということである
posted by フランキン at 20:55| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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