2015年04月02日

風に立つライオン

小説や映画のPRなどで使われる「感動」という言葉が働きかけてくるものがあまり好きではなくて、「感動の」・・・とか、「泣ける・・・」などと言葉が付されている作品に出会うと何となく後回しにしてしまうか完全に無視してしまう傾向が僕にはあります。

もちろん、PRの意味で付されている感動という言葉と作品の中身そのものとは何の関係もないわけで、僕自身の勝手な選り好みからせっかく良い作品に出会う機会だったのに、それを遠ざけて損をしてしまう・・・僕にはそういうことがきっと幾つもあったのだろうと思います。

「風に立つライオン」は、さだまさしさんの歌う同じタイトルの曲が大好きだったこともあり、あの歌の中の人物と風景がどんな感じに物語として映像化されたのか興味がありました。なので今日、あ、もう昨日(4/1映画の日^^)ですが、観に行きました。

さだまさしさんの歌には、実際にアフリカで診療に携わった実在のモデルとなる医師がいたということはこれまでも聴いたことがありましたが、でもだからといってこの映画、元となる歌と同様に決してドキュメンタリー的なものとはならずに、主人公となる医師と親しい関係にある数人の人々のモノローグからなる極めてリアルな(よい意味での)寓話のような印象を抱きました。

きっと同じような経緯で、そして同じような環境と現実の中に自らの人生を見つけ歩んでいるであろう幾人もの人々の経験・・・物語というのは、強いて言えばそういった幾つもの人生の統合された表現のようなものであって、だからこそそれに接した時に、異なる多くの人々が自分自身の中に重なり合う部分を見出し、心を動かすのだろうと思います。感動というのは、きっとその時にこそはじめて見る人読む人の中に芽生え、その人自身の人生の風景とともに命を持つに至るのだと思います。

僕はアフリカに行ったこともなければ、過酷な環境の中で命を懸けた仕事をしたこともありません。でも、この映画の中に登場した主人公の医師、航一郎(大沢たかお)、看護師のワカコ(石原さとみ)、離島医療の道を選んだ主人公の恋人、貴子(真木よう子)が物語の中で浮かべた表情の幾つかは、まるで僕自身のアルバムの中の写真に写る人物のように心に残ります。映像と僕の想像力との狭間で、きっと彼らの生き方やありさまの幾つかが僕の中の何かと共振したからなのだろうと思います。

ひとつの出来事があって、つながりの有る無しに関わらず、その出来事が起きたが故に人生が動かされる・・・立つ位置によって、見つめる方向によって物語は幾通りにもなり、そのすべてに重なり合う襞がある。個人の人生も、この世界も、そうやって創られていくのだろうと感じました。
さだまさしさんの詞のように、最高潮に達して歌い上げられるような感動・・・というよりも、憶えておきたい人たちの記憶・・・そんな風に思える幾人かの人々・・・映画や小説が思い出になり得るという、僕にとっては久しぶりの感覚でした。

感動というものは、誰かにより前もって約束される必要もなく、自ら期待する必要もさらさらなく、こうやってささやかに浸透してきては心にふれてくるだけで、僕にはもうそれで十分です。曲は「風に立つライオン」・・・さだまさし。
posted by フランキン at 04:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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