2013年06月20日

「津田令子の旅の香り」2013年6月20日 放送後記

旅の香り6月20日 放送後記

旅の香り 2013.6/20

 雨の音、雨のにおい、雨の恵みを感じながらの「旅の香り」いかがでしたでしょうか。
激しく降ったかと思えば小雨になったり、そしてやんではまた降り出したりというめまぐるしく変化する天候の中、東京から車を走らせ熱海へ向かう。両サイドに広がる風景に目を奪われそうになりながら。平塚のサービスエリアに近づいた頃、雲の間を縫うように姿を見せはじめた富士山を追いかけながら西へすすんでいく。
スタジオから海に目をむけると、さっきまで見えなかった水平線が、かなりはっきり見えるようになってきた。青い空、碧い海というのではなく全体的にグレーになっている。そこへ太陽の光が射し込んでいるのがよくがわかる。そんなオープニングトークのあと・・・・・
今回のテーマ「旅の形態」について語り合う。「旅」の今昔、流行、今もてはやされいる新しい旅(ニューツーリズム)についてなどなど。
「この曲を聴くと旅に出たくなる」という曲ってありませんか。たとえば、フランキンさんが、1曲目にセレクトしてくれた赤坂達三の「My Fevorite Things」。誰もが「ああ、この曲ね」といい「そうだ、京都行こう」と西をめざした。この曲はJR東海のコマーシャルに用いられたもの。山口百恵の歌う「いい日 旅立ち」は、ディスカバージャパンに欠かせなかった。どの駅にもポスターが大きく貼られていたので、記憶に残っている人も多いはずだ。
ディスカバージャパンは、日本国中に新し旅のブームを呼び起こし、国鉄のイメージを大きく変えた。新しい旅を創造した史上最大の広告キャンペーンといえる。その手法も規模も他に類がない。そういう意味では、昭和45年に開催された大阪万博以来のインパクトの強さではないだろうか。カニ族、アンノン族などという流行語も巻き込みながら、ディスカバージャパンは、その後「いい日 旅立ち」、「フルムーン」などに引き継がれ、JRになった現在もそのDNAは、生き続けている。 
旅の原点は、庶民が一斉に伊勢神宮を目指した「おかげ参り」という説がある。以来数百年をかけて旅の形は、多様化しすぎた。十人十色から一人一色になり、今では一人百色といった具合だ。その時の気分、季節、によって目指す場所(旅先)はぐるっと変わる。七変化などというものでは飽き足らない。おそらくこの傾向は、現在、未来へと果てしなく続くのだと思う。誰に縛られることもなく、思い立ったらすぐに、気の向くままにの「旅」として定着していくだろう。「旅の香り」では、これを永遠のテーマとして、これからも追いかけていきたいと思う。

熱海についてひとこと

熱海 景観 熱海 夜景
熱海 昭和の風情 熱海 金色夜叉

かつて(昭和30年以降)「新婚旅行」の憧れの地として沸き、高度成長期には社員旅行や、町内旅行をはじめとする団体旅行の聖地として賑わっていた。さらに遡ると明治以降、要人や文化人の隠れ家(別荘地)として人気を集めた。新聞に連載されのちにベストセラー小説となった『金色夜叉』により、その知名度は一気に上がることになる。熱海は輝かしい「憧れの温泉地」として、脚光を浴び続けてきたのだ。熱海の温泉の起源は、およそ1250年前。それからどれだけの月日が、経っているのか考えてみてほしい。熱海は、長い間国内観光の振興に大きく貢献してきた。バブルの崩壊後は、どの温泉地も団体客の激減で苦戦を強いられ、熱海でも休館するホテルが見受けられるようになった。しかし、ここ数年、熱海の風情(温泉情緒)に「昭和モダン&昭和浪漫」を感じ、熱海に惹かれる人たちが多くなってきた。新たな「別荘族」「リゾマン(リゾートマンション)族」、週末だけ通う「週末族」また夏休みや、年末年始などの長期休暇にやってくる「ロンバケ族」などから、「熱海は、サイコ〜」という声が、出るようになった。
今、熱海は、再び注目を集めている。そしてこれからも日本の観光地を「ぐいっと」引っ張り続けていくだろう。

津田令子


旅の香り


posted by フランキン at 21:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 津田令子の「旅の香り」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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