2005年06月23日

本当はリスクを背負ってるんだと思う

15歳の少年が両親を殺害・・草津の温泉街で
身柄を確保された・・
報道されているニュースの中に
少年が無差別殺人ゲームに夢中になっていた・・
ということが取り上げられていました。

少年が実際にどの程度ゲーム熱中し、
事件へ至る過程に、
どの程度ゲームの影響が介在しているのかは、
これまでに起きてきた、類似する様々な事件と同じく、
結論は出ない問題なのだろうと思います。

そう考えると、事件の過程に、
この種のゲームの存在への言及があったとしても
原因として特定したような表現をしてしまうとすれば
不正確なものになってしまうと思いました

ただ・・眉をひそめてしまうのは、
バランスをとろうとしての表現なんだろうけど、
ゲームの影響なんてない・・とほとんど断言してしまうような、
よくあるテレビのゲストコメンテーターの発言。
一体自分の発言の正しさを、どの程度、
どんな根拠に基づいて確信しているのだろう?

今日目に入ってきたのは、
殺人ゲームなどを批判しているのは
「自分たちの時代にはそういうものがなかった世代の人間が
それらを全く理解できないので、
これは問題だ などと槍玉にあげている・・」というもの。

「今の子供たちからすれば
昔からあるマンガや雑誌 テレビなどと同じく、
メディアのひとつに過ぎない」
ともいってました。

ボクは、遊び道具のひとつとしてのゲームの存在は否定しない
どの時代にも玩具や遊びの道具は常にあって、
時代の進展と共に、ゲームも、こまやメンコやボール遊びなど 、
昔からあるものに加えられてきたもののひとつに過ぎないと思う。

しかし 子供は(大人だって・・)
遊びそのものからも、遊び方からも、
また今日のコメンテーターが引き合いに出した、メディアからも、
大なり小なりさまざまな影響を受けるのは、
当然ではないのかな?とも思うんです。

少し前のニュース23で、
米軍が、兵士のメンタルトレーニングに積極的に、
シューティング戦争シュミレーションゲームを取り入れている・・
ということが取り上げられていました。

第二次大戦の際には、徴兵されて前線に行った米軍兵士が
いざ相手兵と対峙した時に、引き金を引いて人を殺すという
行動が取れる確率は、非常に低かった。
しかし戦争ゲームを取り入れた結果、
その確率は90パーセント以上へと、飛躍的に向上(?)したという。
米軍は、戦闘能力向上のため、装備の充実と同じく、
殺人を躊躇しないように、兵士のメンタル面に目を向けている・・
そういう内容でした。

殺人訓練の云わば専門家でもある軍隊が、
殺人ゲームの有効性(?)を、
人を殺すという行為への敷居を低くする影響力があることを、
事実として公に認め、逆にそれを訓練に活用している。

こういったことを考えると、
ゲームの存在自体は否定しないけど、
個々の種類や内容が及ぼす影響を、ひとことで否定してしまったり
笑い飛ばしてしまうような態度は、果たしてどうなんだろう?
と、正直感じます。

「そういう殺人ゲームをやっている子供が
みんな事件を犯しているわけではないし・・」
といって、事件と殺人ゲームとの関わりを
簡単に切り離してしまうような発言も良く聞きますが、
そりゃ当然でしょ・・と思います。
人間は機械ではないんだから、
反応や影響の度合いも人それぞれ・・
でもそれは、=安全・問題なし。ということになるのかな?

どんどん新しいものが登場して、
次々に人の心を捉えてく・・
新しいものはその前のものを超えなければ人の心を動かさない・・
だからどんどんエスカレートしていく・・
今、酷い・・と感じるものでも、次には大したものではなくなる・・
そこにはいつでもビジネスが絡んでいて、
好ましくない影響が危惧されても、あまりあれこれ考えないで、
なんでも許容させようとする力が働いている・・
それが自由であって、好ましい社会なんだと思い込まされる・・

もっとも、コメンテーターの言葉にその都度反応する
必要もないわけなんだけど、
どこかおかしい・・です。

いつでも人間の社会は問題を抱えてきたけど
何か異質なものが入り込み、入り組んだ複雑さが増して、
限界を超えてさらにどこかへ向かっていってしまってる・・
そんな感が拭えないのは・・
きっとボクだけではないんだろうな〜・・と思います。

すべてのことは今許されているけど・・
すべてのことが必ず有益なわけではないし、
ある場合には、はじめに持っていたはずの
自分の好ましい資質を、損なってしまうことだってあり得る・・
それを進歩とか、成長とか言う人もいるけど
本当はただ単に心にカサブタが出来てしまって
刺激に慣れてしまった自分が、、
反応できないだけなのかもしれないのに・・

子供も大人も、実はみんな物凄く大きなリスクを背負った上で、
今この自由な社会を楽しんでいる
んだなぁ〜って思うのは、
多分ボクだけじゃない・・ですよね。。。

(イタズラに長文・・失礼しました)

☆☆☆追記しますね☆☆☆

ボクがこの記事をUPしたのは
今回の少年の事件について語ろうと思ったわけではありません。
彼の心を代弁して説明することなんて、とてもできないです。
ただ、それに付随して出てきた、殺人ゲームの危険性についての
報道の仕方に少し?を感じて
ボクの個人的な印象を書かせていただきました。
ゲーム=事件、という断定的な表現をするとすれば
それは少し短絡的過ぎると思っています。

バランスが必要だと思います。
かといってボクは
自分がバランスが取れているとは思っていません。
そうありたいという気持ちは強く持っていますが・・

危険とか、影響とかを語るとき、
ボクが何を危惧してのことなのか・・?
そのことだけ追記します。

悲惨なことはいつでもあったし、
過去にだって、過激なゲームに匹敵する内容のものも
たくさんあったのだとと思います。
だから一概に昔は善かった・・今のものは危ない・・
そうは思っていません。

危険・・それって何だろう?
何かの事件という結果に結びつくかどうか?
それだけが危険というものではないと思っています。
同じゲームをしていても、事件を起こすことなどなく、
普通に過ごしている人がいることも事実です。

ただ、事件を起こしていないから、人を害していないから、
だからそれは危険ではない・・という考えも、
ボクは疑問なんです。
人は子供であっても大人であっても、
見るもの・・聴くもの・・接するもの・・などから
ある程度の影響を必ず受けるものだと思っています。
全く影響から自分を守ることなど、誰にも不可能だと思います。
自ら好んでのことであっても、
そうした無差別殺人ゲームなどに接っすることによって、
他人に害を及ぼすことがなくても、
自分を害し、しかもそれに気づかない・・あるいは
気づきたくない・・ということはないのでしょうか?

いつの時代にも、過去は今よりもましだった・・という声を聴きます。
それを、人間の社会は悪くなっているように見えても、
それほど変わっているわけではないんだ・・
そう捉えることももちろん可能ですが、
逆に、常に深刻さを増しながら時代は流れている・・
そういう見方にも至ります。

でも、人間社会は変わらず機能しているじゃない・・
子供たちの多くは変わらず成長し、成人していってるじゃない・・
と、いうかもしれません。
果たして本当にそうなのでしょうか?

周りに何があっても、
子供たちの成長や精神の清さ、強さは信じたい・・
何があっても、何に接しても、変わることなく成長してくれる
そういう気持ちはいつでも持っていたい。
自分の子供であればなおのことそう思います。

でも・・
子供たち(大人たちだって)の心に不必要に試練を与え、
場合によっては損なってしまいかねないものが、
あまりにも多く容易に接することが出来、
それが一大産業であるゆえに
さらにさらに効果的に人の心を捉えられるように提供され、
それがますますエスカレートしていく流れには
やはり危惧を抱いてしまうのです。

ボクはそれをリスクと表現しましたが、
そうは捉えないで過ごすことも可能ですし、自由です。
(当たり前ですね。^^)
でもボクは、やはりリスクとして意識してしまうようです。

(長文にまた長文・・本当に失礼しました。
あくまでボクの感想です。)
posted by フランキン at 15:04| Comment(7) | TrackBack(3) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分たちが子供の時には…といった具合に
評論家の「大先生」たちは語りますけれど、
実際には同じような凄惨な事件もありました。
その頃の評論家も自分たちの子供の頃には…と
いう言葉を並べ立てていたという内容の
記事を読んだことがあります。自分たちが
子供の時には「子供」だから知らないだけで
そういう事件は何処かしらで起きていたのです。

ゲームが悪いというのならば「かちかち山」は
どうだろう? あれなんか、内容それ自体は
もの凄くひどいことを書いているんですよね。
すぐに「ゲーム」が悪いと非難する人たちは
そういうことにはどう反応するんだろう?
ちょっと安楽的だと準専門家からしても思います。
Posted by Gin at 2005年06月23日 23:02
早速トラックバックありがとうございます。
18の若造の脳味噌にはかなり難しかったのですが、ゲームが米兵の訓練にも使われているなんて初めて聞きました。
自分たちの若い頃は〜…なんて時代錯誤もいいとこだと思います。ゲームの世界より残酷なのは、私達のような子どもまで犯罪に巻き込んでしまう社会を作った大人達ではないでしょうか。
このような事件が少なくなることを願って止みません。

こちらからもトラックバックさせて頂きます。本当にありがとうございます。
Posted by malacia(room of stranger) at 2005年06月23日 23:38
★malaciaさん、こんばんは〜

記事を読ませていただき、
すごく気持ちはわかりました。
ひとつの事例ですべてを否定しようとする見方に
違和感を感じていること、
また同時に、malaciaさんがゲームを楽しみながらも
心のどこかで、危惧を覚えていることも感じられました。

おっしゃるように、今の子供たちや若い人たちの風潮を
大人が批判するのは勝手ですが、
それを作り上げてきたのは自分たち大人であるということを
忘れちゃいけないですね。

コメントありがとうございます。
率直なコメント・・考えさせられました。
ありがとうございました!!

★Ginさん、こんばんは〜
コメントありがとうございます。

どの時代にも凄惨なもの・・
美化されてはいても、「本当は怖い・・」なんていうもの、
色々とありましたよね、確かに・・
そういったフィクションだけでなく、
過去には実際に人の死に接するという体験を、
それも尋常ではない仕方で、例えば戦争のような形で
実体験している人たちもいるわけで・・

そう考えると一概にどれが?・・とか、どのゲームが・・?
とか、言えなくなるのも事実だと思います。
だからボクも、ゲーム=悪=排除せよ
だとは思いません。
そういう論調はやはり?です。

ただ、思うのは、繰り返しの激しさと、
それらとの距離の短さというか、安易さです。
こういうことは常にあった・・と安心してしまうのも
ボクにとっては現実的ではなく思ってしまいます。

ボクは専門家でも、準専門家でもありませんし、
過去の時代に照らして今は・・というような
「一方的な」現代批判もNGですが、
(過去に照らして見えてくることもあるとも思ってますが)
何やら今の傾向に、
落ち着けない危惧を感じることも確かです。
Posted by フランキン at 2005年06月24日 00:09
はじめまして
「異論反論オブジェクション」!?
歴史、文化、経済、報道、メディア・・・。

そもそも事件の多くはその時々の時代を写す鏡だと言われますが、自分の経験では理解出来ない事件が多すぎると感じてます。

何が正しくて、何が間違っているか・・・
微妙な違いはあるでしょうが、現在、未来につて漠然と不安を抱えているひとは多いのではないでしょうか?

混沌とした時代、難しいことには関わらずに生きて行く事は出来るけど、
身近な問題から少しずつ関心を持って生きていければいいなぁと思います。
Posted by うり坊 at 2005年06月24日 13:02
きのう、草津までゲームが介在するつもりだった。
Posted by BlogPetの「ぽよ」 at 2005年06月24日 15:28
フランキンさん、長文の投稿、お疲れ様です!
最近、わが子ら(19才と16才)世代の犯罪が多くて心を痛めております。
ちょうど長女の幼少期からゲームが流行り出し、近所でも子供たちが外で遊んでいる姿を見かけなくなりました。特に男の子たちは3歳頃から家にこもってゲーム遊びに熱中してたのです。うちはダンナと私の意見が合って、娘たちにはゲームは与えない、その代わりに画用紙、色紙、クレパス、はさみ、のりなどを与えていました。
それでも、本人たちはゲームをやりたかったようで、友達のお宅にお邪魔してはゲームをさせてもらっていたようです。わが家の子育て方針がよかったかどうかは自信がありません。
しかし、最近のゲーム世代で育った近所の10代の男の子たちを見てて、まず、こちらから挨拶をしても目をそらしたりして挨拶ができません。
私たち世代の親がもっと子供たちに教えなければいけないことを怠って、子育てをゲームに頼ってしまったツケが今になって表れているのは確かだと思いますよ。
Posted by なおみ at 2005年06月24日 17:11
★うり坊さん
はじめまして・・いらっしゃいませ。
そうですね。
身近なところから、関心を持って、考えて・・
そもそも問題が本当に存在してるのか?
あるとしたら一体何なの?
少しづつ見定めることって
大切かな?
なんて思います。
自分で考えることを放棄してしまえば
それは周りのものに自分と家族や子供たちの
主導権を譲り渡すことになるような気がします。

コメント・・ありがとうございました!

★なおみさん
すべてを完璧にこなすことは出来ませんけど
最善は尽くしたいし、
多分親ならだれでもそのつもりでいるはずなんですが・・

やっぱり社会の成り立ち自体が、
家族のコミュニケーションの形を希薄で簡略化してしまったり、
場合によっては失ってしまったり・・
そういうことも実際に起きてしまうことだと思いますね。
家族(親子が)が互いに関心を示さなければ、
誰かが・・あるいは何かがその代わりを買って出てしまい、
自分の役割を譲り渡してしまうことになったり・・

ボクもたくさん後悔がありますよ。
でも、今から行えることもきっとあるはずで
そちらの方にも思いを向けていきたいですね。
Posted by フランキン at 2005年06月24日 22:12
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