満月というのは気づいた時には既に今日の空に浮かんでいて、観察者である僕をいつでも一歩先んじています。ポッカリと浮かぶ月・・・などと言い表したくなるのは、きっといきなり視界の中心を占めてしまうその唐突なありさまから受ける印象も含んでのことかもしれません。満月というのは限りなく丸いのだけれど、もし予備的な知識(今や常識だとしても)がなければ、僕はその丸い形を「円」として受け止めていたことでしょう。夜が深まるにつれて空がさらに暗くなり月の明るさが更に増してくると、目を細めて見つめる月の表面に印された、古来から無数の人々の想像力を刺激しつづける模様に絵と動きを感じるようになります。幾つもの神話や民話が見出されてきたあの丸い月を円ではなく「球」として見つめるということ・・・今やそんな当たり前も、そこに至るまでにはずいぶんと長い時間の流れと人間の意識の変遷があったのかもしれません。
今夜の満月も、すっかり中天にかかりました。月の光が音を立てるようにして注ぐ伊豆高原で月を見つめる・・・足元の小さな小石や木々の枝葉もそれぞれにくっきりとした影を帯び始め、ちょっと不思議な気分で今夜の空を観察している自分もいつのまにか風景の一部となっているような気がしてきました。
シェアした動画は、ニュージーランドはウェリントンのマウントビクトリア展望台に上がる月のリアルタイムビデオです。人々のシルエットがなんとなく童話的です。こんな風にゆっくりと月に戯れてみるのもいいなぁ〜^^
『丸い月を円ではなく「球」として見つめるということ』
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感性に共感します…。球、はスフィアとも訳せますが、ちなみに【地球の意識】のことを、ある科学者の造語で、【ヌースフィア】っていうのですって。
月と地球と、それから私達の命の源、太陽と。
常日頃当たり前の、これらの天体が存在する宇宙の中に生きてるってことを、改めて、
フランキンさんのこの記事で感じました。感謝。
昨夜の月も、すごく明るい綺麗な月でしたね。
スフィア・・・
この呼び方にはとても惹かれるものがありますね。
城ヶ崎のポットホールの球体を、
僕はそう呼んで紹介しています。
自然界、そして宇宙の中の究極の形状は、
きっと球体なのかもしれませんね。
もし人類の歴史がさらにこのさきにも数千年延びるとすれば、
人間が宇宙を航行するための宇宙船は、
みな完全な球体になっているような気がしますね。
宇宙の意識!なるほど、kaoruさんのいうことはいつも深淵ですね!
コメント感謝!