2013年03月24日

「おみせやさん」という言い方

道に面した店舗・・・というよりも「オミセヤサン」と呼ぶ方がしっくりと似合って感じられる風景が、昔は何処の町の道筋にもたくさん見られたものです。毎日行き来する道筋にはごく身近な人々の営みがあって、町に住む人々が互いにその必要を賄い合うかのように、それぞれの個別の必要に特化した「お店屋さん」がありました。その名残りがきっと、今も普通に使われている「八百屋さん」とか「魚屋さん」、「パン屋さん」「お菓子屋さん」「パーマ屋さん」(^^)といったような「お店屋さん」の呼び方なのかもしれません。昔と比べれば遥かに便利な世の中になった現代の大きなスーパーや、あちこちで流行りの何でも売ってるドラッグストアの中の「〇△◇売り場」などという表現とは、なんとなく違った温もりが感じられるように思います。

日々の必要を賄ってくれる「店」というお金とモノのやり取りの場所に「・・・屋さん」と付けて言い表す言葉が成り立ってきたプロセスには、それぞれ必要を賄い合いながら生きる人々の暮らしの中にあった持ちつ持たれつ∞お互いさまというような感覚、そして人と人の関わりの中にあった距離の短さ、尊敬や感謝のような想いも表れているように感じます。

人と暮らしと生業の今昔

昭和の街並みの風景を求める映画の撮影などにも選ばれることが多い伊東市の街中を車で走っていると、「ああ、確かこんな感じだったなぁ~」・・・というような風景にふと目が惹かれることが度々あります。信号待ちのわずかな時間・・・車道に面したガラス戸の向こうのこじんまりと秩序の保たれた小さなスペースの中に、人と暮らしと生業を通じて関わり合ってきた人々の温もりを感じました。


posted by フランキン at 22:46| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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