2013年02月09日

不思議なものだ、ライオンがもうこの世にいなくなるのかと思うと


〜「不思議なものだ、ライオンがもうこの世にいなくなるのかと思うと」〜

フィリップ・ワイリーとエドウィン・パーマーによって1932年に書かれた小説、WHEN WORLDS COLLIDE (邦題「地球最後の日)の冒頭の辺りで、壁に掛けられたライオンの剥製に目をやりながら、ある天文学者がつぶやくようにして発する言葉です。小学生の頃にこの物語のジュナイブル版の翻訳本を読んで、何気なく発せられたこの台詞が醸し出す意味合いが強烈に印象に残ったのを今も憶えています。当時の僕にとって、ある日を境にして慣れ親しんだ周りの世界がガラっと変わってしまう・・・そんなことが有るかもしれない、と想像することは、違和感と緊張感の混じり合ったジワジワとした非現実をつき付けてくるものに思えました。

81年も昔に書かれた小説ですが、ストーリーのディテールはこんな感じです。(Amazonにチョッと興奮気味の僕が寄せた感想より)

地球に接近する二つの連星…
ひとつは地球と衝突し、もうひとつは
元の地球の軌道に乗り新たな地球となるコースを進む。
荒れ狂う天変地異と暴徒化する人類の中で、故郷の地球を捨て、
ただ一度の脱出のチャンスにかける勇気ある人々。

少年時代に、かつてジュブナイル版の書籍を読んで
強烈に印象に残している人は多いと思う傑作!

巷にはディザスターものの映画や小説が溢れているが、
この本が持つ圧倒的なリアリティと
破滅に面した人間たちの切実さは、
書かれてから70年が経過しているにも関わらず
今でも読者に迫ってくる…

「不思議なものだ、ライオンがもうこの世にいなくなるのかと思うと」

自ら世界の終わりの元凶である二つの天体の大発見という、
人類史上最も皮肉な栄誉のもとで、
壁に掛かった剥製をみつめるブロンソン教授の口から
思わず漏れてでるつぶやき…

作者の眼は、あくまで破滅の光景を冷徹に描きながらも、
危機に立ち向かい、泥と灰にまみれながらも
自らの英知を極めて活路を見出し、
圧倒的に確率の低い希望へとすがろうとしながら
最後の時間を生きる人類への愛情に満ちています。

未だこの作品を越える映画にも小説にも出会っていない…
何度読み直しても、こんなに時代が経過しても、
自分の中で少しも廃れることのない一冊です。


僕が少年の頃に手にしたジュナイブル版は集英社のもので、少年向きの翻訳ではあっても大変原作に忠実な一冊だったのですが、小説そのものだけではなく巻末の「あとがき」も非常に興味深いものでした。

その中で、宇宙では本当に天体の死というものあり得るのだ・・・ということを、「新星」や超新星」といった言葉とともに僕は初めて知ったのでした。その他にも、宇宙を放浪するハレー彗星が76年ごとの周期で地球に接近していることや、明治時代にはその近接通過の際に地球の大気が短時間ではあるけれども失われるらしいという噂が広まり、大勢の人々が自転車のタイヤチューブに空気を溜めて生き延びようとしたために自転車のチューブが売り切れてしまったこと、太陽系の火星と木星の軌道の間には小惑星帯というものがあって、無数の小さな小惑星が漂っており、もしかしたら過去にそこに在った惑星が何かの理由で破壊され、その残骸が今もそこにあるということなのではないか?(今はそんな考えは古いのかもだけど)等々、読み終えたばかりの物語のリアリティを増す様々なことを初めて知り、それに刺激されて好奇心だけは強い少年としてその時期を過ごしたように思います。僕にとってのこの読書体験は、深いところで今も諸々の事物に対する見方や考え方、物事の感じ方に影響を残しているものと思っています。

さて、前置き(まだ前置きか!?笑)がえらく長くなりましたが、シェアしたニュースは、直径45メートルほどの小惑星が、日本時間の今月16日未明に地球を周回している人工衛星の大半よりも内側の軌道で地球に接近通過していくのだと伝えているものです。でも、地球との衝突の危険はないと断言しているものなので、徒に不安を抱かせるようなものではありませんが、このニュースに触れてすぐに思いお越したのがワイリー&パーマーの80年前の、この小説でした。そして先に挙げたブロンソン教授のあのつぶやきも再び思い起こされたのでした。

「不思議なものだ、ライオンがもうこの世にいなくなるのかと思うと」

人間の創り上げた社会や秩序はもちろんのこと、僕らがずっと続くはずと思えている事々のすべて・・・それらがある日を境に一変してしまうということはあり得るのだ・・・ということ、それを、あの311の大津波と大震災の破壊の風景の中に、人生とその中で享受し得るものについての価値観の激変とともに僕らの世代は見たのだと感じます。もしも身の周りの当たり前の風景がすべて不確かなものだとしたら・・・そういうことを機会あるごとに考えてみるということは、今という時間と日毎の経験を、もっともっと大切にしたいと、人に促す働きかけがあります。

今日の夕方も、南海トラフ地震についての特集番組をテレビでやっていました。曽野綾子さんは、311の震災を振り返り、その著書「揺れる大地に立って」の中で、運命は途方もなく人を裏切る≠ニ述べていましたが、先ほどのテレビ番組では、地震についての専門家の教授が、「南海トラフ地震は必ずいつか来ます」・・・と、明快に述べていました。東海地方を襲う大地震は遠くない何時かに間違いなく起きるもので、そういう意味では、決して裏切られる≠アとはないのだと皮肉な現実を突き付けられたように感じました。

終わりのことを思うということ・・・それは決してネガティブで暗い思考であるとは限らず、時に人を極めて前向きにさせてくれる気がします。小惑星接近のニュースを見て、過去の本のことやら身の周りのことやら、個人的にグルグルと思いが廻った今日の午後でした。


posted by フランキン at 19:47| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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