2013年02月05日

森のフクロウとプロメテウスのエイリアン


フクロウといえば、ファンタジーストーリーのハリー・ポッターに登場するフクロウのヘドウィグをはじめ、どこぞの家庭教師センターのフクロウ博士などなど、幾つものキャラクターが思い出されます。頭部をクルクルっと回転させるしぐさがじつに愛嬌があって可愛らしく感じるのだけれど、じつはあの頭部旋回動作は、たいていの生き物にとっては(特に人間には)命を即縮めてしまう行為なのだそうです。身体の向きはそのままにして、頭だけを真後ろに向けて後ろにいる人と会話してる自分を想像するだけで、ごく普通の人間の僕としてはちょっと苦しくなってしまいます。でも、なんとフクロウの場合、左右それぞれに真逆(真後ろ)を超えて270度まで回転させられるというのだから、オカルト映画の「エクソシスト」に出てくる悪魔に憑かれた少女リーガン並みの超自然的荒業を当たり前にこなしていることになります。

「あんなことやって・・・なんで自然界には脳卒中で死んでしまったフクロウが見つからないのか!?」

森のフクロウたちには脳卒中がない・・・。こんなことを僕は思ったこともなかったのですが、好奇心と観察力が旺盛な科学者たちはこういう疑問をキチンと抱いて答えを探し求めるのですね。このほど、狩りをして生きている彼らの身体、取り分け血管の仕組みについての驚くべき事実が明らかになったのでした。

その事実というのはニュース記事を読めばわかることなのですが、ひとつ思うのは、記事の中で使われている「必要な形態的適応」という概念です。こういった概念について読んだり見たりする時にいつも考えてしまうのは、その適応がその生命の種としての存続に関わるほど必要不可欠なものであるゆえに為されたものだとするならば、その変化が遂げられるまでは、その生き物はどのようにして環境の中で生き残ってきたのだろう?という、「ニワトリが先か?タマゴが先か?」的な素朴な疑問です。僕には、このフクロウの形態的特質について考える時、必要によって変化しながら生き残る生命の可変性≠ニいうもの以上に、ひとつひとつの生命の完璧性≠フほうを強く感じてしまうのです。もしかしてフクロウは、はじめからこのようだったのではなかろうか?・・・ということです。

僕は進化論を否定はしませんが、100%受け入れ切っているわけではない一人なんだなぁ〜と最近思います。また、宗教的な思想からの創造論をそっくりそのまま信じているわけでもありません。でもとにかく、生命には紛れもない誕生の瞬間が過去の何処にあり、その結果として現にここにひとつの個体として生きている自分があり、その自分には両親があり祖父母かおり、過去へと延々とつながる受け継いだ生命の道筋を持って生きているわけですから、必ず始まりというものはあるはずで、無知であることのゆえに素朴すぎる命のはじまりについての強い関心(人からみれ微笑ましい)を持っています。

話はちょっと逸れますが、「プロメテウス」という映画をDVDで最近見ました。「ブレードランナー」また「エイリアン」などの傑作で知られるリドリー・スコット監督によるSF映画です。この映画の冒頭・・・生命感のない無機質な地球らしき惑星の水の畔で、ひとりの異星人が、自身の分解と共に内に秘められていた二重螺旋が水の中へと放たれる・・・そんな感じで物語は始まります。映画はその後、世界各地の古代遺跡の中に、古代からの共通したサインのようなものを見出し、主人公たちはそれが指し示す遥か彼方のとある星系へと旅をして、そこで人類が今まで知る由もなかった自らの生命のルーツに直面する・・・というもので、70年代の「エイリアン」のちょっとおどろおどろした世界観ともリンクする、なかなか面白い作品でした。

ここでやはりひとつ思いに留まるのが、登場人物たちが彼方の星LV−226までの長い旅をする理由が、人類誕生の秘密を見出すためであるということ、そしてそれが、西暦2089年を起点とする・・・つまりは今からずっと先の未来におけるストーリーなのだということなんです。今では誰もが人間も含めてすべての生き物は地球を起源とする進化の過程によって存在するようになったという話を当たり前のものとして受け入れて、とりわけ人間の前段階は猿であったと、疑うこともありません。でもこの映画では、そういったもはや常識化している進化論が生命の始まりについての単なるひとつの仮説に過ぎないものなのだということを思い起こさせてくれます。生命の始まりについての真実・・・映画が描くように、今から76年後の世界でさえ探し求められるそういったものがもしあるのなら、単純に進化論を肯定も否定もできないような気がしている自分は、それほどオカシな奴ではないのかもしれない・・・なんて、ちょっと安心できたりもします。

フクロウの頭部旋回能力、しかも特異な血管の仕組みを持ち、血管を切断したり血流を止めてしまうこともなく易々と首を一回転させてしまえる彼ら・・・これは進化の頂点にいると自ら称している人間には出来ない芸当で、その点でいえば、フクロウは人間よりも優れており、完璧な生き物として僕には思えます。ちょっと流行って久しい言葉&概念ですが、生き物すべてはそれぞれがやっぱり、オンリー・ワンなのかもしれないなぁ〜と、改めて思えて来るのでした。


posted by フランキン at 19:15| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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