2012年11月23日

キラキラと金色で黄色くてオレンジな日

けっこう長文な日記です。すみません。(^_^;)

今日11月23日。そういえば・・・と思い起こしたのが小さな少年の頃の記憶。キンロウカンシャノヒ・・・という言葉の響きが、まだ漢字をあまり知らなかった小学生の頃の僕には、やけにキラキラした響きの音に聞こえて、なんとなく金色で黄色くてオレンジな日だなぁ〜などと、そもそもの意味など全く意識せずに、当時の子供の感触のみでキンロウカンシャノヒと呼んでいました。

神奈川県の藤沢小学校が僕の通っていた小学校ですが、勤労感謝の日の前後には必ず体育館(あの頃は講堂って呼んでた)に児童が集められて、勤労感謝の日の式典のようなものが行われました。数人の大人の人が壇上に上がって其処に置かれた椅子に腰掛け、先ずは校長先生、そして当時の藤沢市長が集まった児童たちに短い話をし、そして紹介された見知らぬ大人数人がひとりひとり紹介され、その人が学校と子供たちのためにどんな貢献をしてくれているのかを説明され、代表した児童の誰か(だったと思う)が感謝の徴として花束を渡すのでした。

もうずっと昔のことなのだけど、当時すごく心に触れて今でも憶えているのが、ひとりの和服姿のお婆さんがいつも必ず紹介されていたことです。自分の家にも祖母がいて、当時多分いわゆるお祖母ちゃんっ子だったであろう僕は、そのお婆さんに何となく親しみを覚えて見つめたのでした。

司会の先生の紹介によると、そのお婆さんは、家でコツコツと手縫いで雑巾を縫って、年間に何十枚(たぶん何百枚)も学校に寄付をしくれていたのだそうです。児童の手で行われる学校の掃除の時間には、しっかりと縫われた綺麗な雑巾がいつでも不足することなく使えたのですが、そのことを思い出して、なぁ〜るほど・・・あの雑巾はあのお婆さんが作ってくれていたものなんだ・・・と、子供心にもそのお婆さんの姿を見つめながら温かい気持ちになったのを憶えています。

お婆さんが、どんな理由で、つまりはどんな気持ちからそんなにたくさんの雑巾を縫って届けてくれていたのか?・・・「もしかしたら亡くした子供でもいたのだろうか?」・・・「お婆さんもこの古い小学校の卒業生だったのだろうか?」・・・それとも「ただ、子供が好きだったということなのだろうか?」・・・僕にはわかりません(聴いたのだけど忘れているのかも)でした。流れた時間の長さからすれば、とうてい今もご健在でいらっしゃるとは思えませんが、いずれにしても、無償であれだけたくさんの雑巾を届ける・・・という行為は、気持ちが伴わなければできないことだったはずと、既に他界されているに違いないそのお婆さんの印象を思い出し、今になってありがく思う僕がいます。

もうひとり紹介されていたのが、学校内で毎日姿を見かける用務員のおじさんでした。普段は言葉を交わすこともほとんど無く、声を聴く時があるとすれば大抵は何か注意をされる時だけのような印象しか無く、学校内にいる大人の人ではあるけれど先生というわけではない・・・そんなことから、僕ら児童もそのおじさんのことを知ろうとすることもなく、ただいろいろと世話をしてくれる仕事をしている人・・・という印象しか持っていませんでした。

先生が紹介してくれたおじさんの日頃の仕事についての話を聴いていると、知らないところでずいぶんとたくさんのことをしてくれてる人だったんだなぁ〜と急に思えてきました。当時は大きな生き物の檻が学校にはあって、僕は一年生に上がる前から、近所のお兄さんたちが出場する運動会を見に行く度に、なんだか動物園みたいで楽しいなぁ〜なんて思っていたのですが、餌やりの世話などの一部を児童の係がしていたとしても、あの檻の生き物たちの世話をしていたのは実質ほとんどあのおじさんだったのですよね。学校のガラスが割れたり何かが壊れたり、朝夕の登下校の為の校舎の管理や夜間の見回り等々、そんな時にも、このおじさんが朝から晩まで僕たち児童が安全にこの学校での時間を過ごせるようにと、雑用を一手に引き受けてくれていたんですよね。学校で見かける度に無口でちょっと怖い(と勝手に思い込んだ)雰囲気もあっただけのおじさんだったのですが、なんだか感心してしまって、ありがたい気持ちに包まれたのを憶えています。

あれからたくさんの時が流れて、今思うと、知らないところで、直接・関節を問わず、ずいぶんと色んな人が僕の日常に関わってくれていたのだなぁ〜なんて思います。僕は雑巾を縫ってくれたお婆さんにも、用務員のおじさんとも言葉を交わすことはほとんどありませんでしたが、「ありがとう」・・・という気持ちがあの式典の時に湧いてきたことだけは憶えています。でもそれを、僕は直接ふたりに近づいて伝えるということは、一度も無かったのです。感謝という気持ち・・・それは、抱いているだけではきっと不十分なのだと今は思えます。それを言葉として、態度や振る舞いを通して、相手に判る仕方で伝えてはじめて「ありがとう」の気持ちは自己満足を越えた価値を持って伝わり広がっていくのですよね。

人は一生の間に、いったい何人?何十人?何百人の人の世話になるのだろう?どう考えても、受けとることのほうが、与えることよりも何倍も多いような気がします。だとすれば、感謝を伝えるために口にすべき言葉は、自分にとって、日々の中での「主な」言葉として自然と位置づけられていなければおかしい・・・そんな風に思います。片手の指の数で数え切れてしまうほどのたった5文字だけで言い表せてしまう「ありがとう」という言葉・・・この言葉には魔法があると僕は今は思います。伝えた瞬間に、それを受けとった相手だけでなく、それを口にした自分自身も、一緒に豊かになれる・・・そういう言葉だと思います。受けるより与える方が幸福・・・という黄金率と呼ばれる概念がありますが、与える…ということ・・・そんこと、どれくらい機会があるだろうか?と、僕は自信がなかなか持てない少年でした。でも、今は思います。誰かから何かを受けとった瞬間に、その人には与えることのできるものを手にしたことになる・・・それが「ありがとう」の言葉なのかもしれません。

雑巾のお婆さん・・・あの頃すでに七十をとうに越えていたと思います。用務員のおじさんは、僕が小学校在学中に退職して、それ以来僕の人生(今だから人生なんて言葉をつかってるけど^^)とは関わりが絶えました。それから何十年・・・機会はその時にしかないのですよね。

キンロウカンシャノヒ・・・小学生の頃に抱いた印象というものはなかなか簡単には消え去らないようです。相変わらずキラキラと金色で黄色くてオレンジな祝日として、勤労感謝という言葉は僕の中にあります。そんなキラキラした記憶を辿っているうちに、遠い日に確かにあの式典のあの壇上に立って花束を受けとっていたあのふたりのことが、いきいきと甦ってきました。

曲は、KOKIAの歌(続いてるな^^)で、ありがとう



posted by フランキン at 21:36| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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