2012年07月27日

創世の月

夜を司る光として創世の頃に定められたといわれる月は永遠に地球に寄り添ってくれているわけでわないのだと、最近知りました。もしも月が無かったなら、何もかもが違っていたのかもしれません。そしていつの日か・・・この地球から月が離れていく時には、すべてが終わりを迎えるのかもしれません。それが何十億年先のことだとしてもそれは事実・・・人間も他のすべての生き物も、無限にも思える宇宙の観点から見れば本当に束の間の巡り合わせの中に育まれ、生きているのですね。それは出会いであって巡り合わせ・・・滔々と流れる時間の中で見るもの聴くものふれるものずへてが本当はすごく儚くて・・・でも生き物である僕らの心臓の大きさと鼓動の数には充分なほどにふさわしく確かなものなのなのでしょうね。

真っ二つより少しだけ丸みを帯びた月が、仄かに染まった夕暮れから闇が深まるにつれ形を鋭利にしていくのを見つていると、月も地も人も何もかも、こうして巡り会っての今なんだなぁ〜と、しみじみ感じ入ってしまう真夏の夜になりました。曲は、Thao Nguyen Xanh、Sad Romance<買@イオリンという楽器の音が奏でるメロディは、継ぎ目なくずっとつづいていくものをいきいきと思い起こさせますが、でも同時にいつかは途切れるかもしれない儚さも含んで胸に迫ります。



posted by フランキン at 20:23| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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