2012年07月08日

映画の中に描かれる不幸が持つ意味・・・映画「ヒミズ」のこと

二日ほど前に、園子温監督の映画、「ヒミズ」をDVDで見ました。園子温監督作品は初体験・・・原作のコミックもこの映画の存在も何も知らないまま、レンタル店に新作として置かれているのに気づいて手に取ったのですが、久々に日本映画を見て激しく揺さぶられました。果たして自分自身がこの映画から何を感じたのか?映画を見終えた時の突き上げるように感じた強い印象が、落ち着く程度にに時間を置いて、少しだけ書き留めておきたいと思いました。

映画のタイトルである「ヒミズ」というのは、一生のあいだ日の目を見ずに生きるモグラの一種を指しているのだそうです。「たぶん一生大きな幸福もないけど、大きな災いもない、俺はそれで大満足なんです」・・・ごく 普通に生きていくことを望み、自分の身に起きていることは普通のこと≠ネのだと、あくまで平然と受け止めようとする男子中学生の住田と、そんな彼に想いを寄せながら、愛する人を愛し自分も愛されながら幸せいっぱいに生きていくことを夢見る女子中学生の茶沢が直面する、社会と人生の先を生きて、子供たちを導くはずの大人たちから受ける完全な存在否定と暴力・・・その光景には、病的に尋常ではない漲るような普通じゃなさ≠ェ強烈に表現されていて、今の日本の社会と其処に生きる人々が時に直面しているかもしれない、張りつめるような空虚感を感じました。

映画の中に繰り返し朗読されるフランソワ・ヴィヨンの詩の中の言葉が心に残ります。〜「何だってわかる、自分のこと以外なら」〜。この物語には、自分の身に起きたことや、受け入れざるを得ない状況の変化に対応しきれず、ダメになってしまった¢蜷lたちが、主人公の少年と少女の親たちを含めて幾人も登場します。たぶんこの映画は、自分たちを支えてくれるはずの幾人もの身近な大人達が、自分のすぐそばで徹底的にダメになっていく姿を見せつけられ、自らも不幸に晒され、ダメになる寸前でもがきながらも生きていこうとする少年と少女を描くことについて、これ以上になく迫って感じられるストーリーと映像なのだと思います。しかし、どうしてその舞台が、3.11の震災と津波の被災地なのだろう・・・?そう感じずにはおれませんでした。未見の人が多いと思うので物語の詳細については触れないでおきますが、この映画、3.11の震災を受けて、映画の設定も脚本も大幅に変更し、撮影も、監督自身、葛藤を覚えつつも宮城県石巻市の津波被災地を選んで行われたのだそうです。

映画が描く不幸というのは、中途半端であったり、ただ単に感動したい人を感動させる目的で売り買いされるお涙ちょうだい的な作品でない限り、現実の不幸を知る人々から、あれは作り話の中のこと、別世界の甘いお話・・・などと捉えられてはいけない、迫真性が求められると思います。もちろん被災地の風景を絡めた場面とその描き方には、観る人によっての様々な受け止め方があることと思います。被災地の設定も描写も、この映画には不必要だったとする感想を抱く人が多いのも確かに頷けるところがあります。しかし、どうしようもなく抜け出せない不幸をリアルに描き、ダメになりそうな中でダメになることから必死で自分を取り戻そうとする人間を表現する・・・この物語が見せようとしているものからすれば、どうしてもあの津波被害の現場の圧倒的に荒涼とした風景は撮らなければならなかったのだろうと、僕は思いました。

映像に表現された、圧倒的な自然の暴挙に直面し荒野と化した被災地の瓦礫の風景には、そこに生きて、今はいなくなってしまった無数の人々の無念と痛み、残された人々の悲しみを、絶対的な説得力をもって無言の内に語りかけてくるものがあり、その風景を前にしては、どんな個人的な辛さや不幸も一瞬にして褪せて感じられてしまうほどの、空虚なパワーが溢れています。舞台設定を震災被災地、そして登場人物たちを、震災ですべてを失った被災者たちのひとりとして描き直したのは、そうしなければ、この映画の主人公たちの体験している普通ではないありさま≠ェ霞んでしまうほど、戦後67年を経て、社会そのものがひっくり返るような災いに総じて直面することは免れてきた多くの日本人に、あの3.11震災がもたらしたショックは大きかったのだということを証しているのかもしれない・・・園子温監督の想いがどうあれ、僕にはそのように思えました。

映画を観て何を受け止め何を想うのか?・・・それは人それぞれだと思うのだけれど、この映画のもつ働きかけというのは、住田と茶沢という中学生の少年少女の必死さから感じる、死ぬことを選ばない勇気を奮い起こす≠アとだと僕は感じました。世の中には、自分が知っているよりも更に深く、辛く、絶望的な現実の中に生きている人たちが必ず何処かにいます。不幸や現実の辛さが物語の中に描かれる意義というのは、個人の想像力を越えたところにある風景にまで観る人を連れて行き、ある種の状況に目を据えさせることにより、この世界というのが、本当は何が起きてもおかしくないところであり、それでも、人間は生きていく価値を自分の中に抱き感じることが可能で、どんなにそれを否定したくとも、またどんなに絶望的な不幸に見舞われているさなかであっても、そうなのだ・・・と分からせてくれる≠ニころにあるのだと思います。それが、この映画から僕が感じることです。

映画を見終えて考えてしまったことがもうひとつあります。映画のタイトル「ヒミズ」・・・日の目を見ずに生きるというモグラのような生・・・それは、今の世の中で度々推奨される成功者になる≠ニいうスローガンには、全く影響されない生き方に感じられます。でもそれは決して不幸な生き方などではないはずです。思ったのは、仮にモグラが、成功者になって日の目を見る生き方が出来るようになったとしたら、モグラは地中で過ごした真にモグラであった頃のことと、今も多くのモグラが日の目を見ない生き方をしているのだということを、憶えているだろうか?・・・ということです。だとしたら、どんな風に思うのだろうか?

成功者というのがいったいどんな人≠ノなることを指しているのか?僕にはよく分かりません。失敗するよりも成功するほうが良いに決まっているのかもしれませんが、今は様々な成功の形と意味が、本当にその通りのものなのかどうか?試みられている時なのだと思います。幾つもの成功が、時を経て時代の波に流されながら価値を失くし、人智を越えた自然の猛威によってある日突然すべてが瓦解することさえあり得るのだという事実が突きつけられ、「自分たちは何をやってきたのか?」と自らに問う音声にならない呻きのような想いがあり、この先さらに多くを失うことになりはしまいかという予想と恐れから気を失いそうになりながら、政治家たちの体たらくに不満と憤りを覚え、それでも自分たちは正しい方向へと向かっているのだと思い込もうとしながら、自分たちはが何者なのかなど、とうに分からなくなってしまっているのかもしれない・・・と、突然に気づく。そんな大人達のありさまを見ながら、大人達がつくる世界の一部の中に身を置いて子供達は成長し、対処しながら生きている▼・・その中の幾人かは時に破綻しながら。そのありさまは、地中にいることから太陽が輝く地表に出ることを夢見て、土の最後の一塊を取りのけて太陽を見つめた瞬間に目が眩み、何も見えなくなってしまったモグラのような姿にも感じられます。

立ち止まることなく成長し、進歩し、豊かになることを目指してこれまで走り続けてきた日本と其処に生きる人々に、多くを手に入れながらも、忘れることなく本当に大切にしなければならなかったものは何なのか? すべてを手に入れたかのように成功した清々しく輝く人の姿を見るのは気分も高揚して前向きにもなれていいのかもしれないですが、この映画の中の住田や茶沢のように、人知れず普通に日々を生きながら、嫌なことがあっても今立っている場所に何とか留まろうとする、一見は華のないように感じられる生き方にも、すごく素朴な働きかけを感じます。映画の中に登場する、たくさんのダメになってしまった¢蜷lたちの中の幾人かは、このふたりの中学生の少年と少女・・・泥と罪と傷にまみれた住田と茶沢の姿に、自分たちの誤りを気づかせてくれて、未来を感じさせてくれる希望のようなものを確かに見ていました。

幸福も不幸も、失敗も成功も、今までのどの時代にだってありました。しかし、3.11以前と以後という価値感の変化がこの世の中にあるとするならば、それを自分の肌に触れさせて考えさせられる、ひとつの機会をこの映画は提供しいるようにも感じます。(主人公や他の登場人物たちの経験を、3.11と結びつけて捉えるかどうかは人それぞれだと思いますが・・・) 人によっては観るにしんどい作品かもしれません。でも、ラストまで見終えた時に、ひと山乗り越えて、まだまだ先は暗くて分からなくて長いばかりなのだけれど、心が少しだけ救われたように、明るくなれたような・・・そう、辛いけど本当に見て善かった・・・と、心からそう思えてくる映画だと感じます。

映画「ヒミズ」の後半・・・映像の背景に数度に渡って流れるS・バーバーの弦楽のためのアダージョ≠ヘ、悲劇的な物語に絡めてこれまでも何本かの映画の中で流れて来た名曲です。静かに・・・そして次第にこみ上げてくる嗚咽のようにも感じられるこのメロディは、中途半端な物語や映像の背景に流されたとしたら、実に陳腐なものになってしまうほど、迫真性のあるものだと思います。不幸と絶望を個人が受け止め得る限界にまで表現し、其処に至っても、主人公たちのこれからに微かに希望を感じさせられるこの映画には、完全にこの映像のための音楽・・・とまで感じさせられました。

※リンクした動画は、映画「ヒミズ」とは全く無関係ですが、バーバーの弦楽の為のアダージョを富田晃さんがスティールパンとグラスハープの音をリミックスしてアレンジしたもの・・・このYouTube映像、HQな映像も音もあまりに心に入ってくるのでシェアしました。



ラベル:ヒミズ 園子温
posted by フランキン at 21:03| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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