2011年10月27日

「その街のこども」を思い起こしたノアノア

青空がとても明くるくて高く感じた今日は、
熱海のスタジオへと向かうR135は車の数も少なく、
スイスイと気持ち良く走れました。

気持ちよく午後2時を迎えてノアノアはスタート・・・
今日は番組の後半・・・
ひとつの映画についてお話させていただきました。

僕は物語には、娯楽という人間の必要を満たす意味以上に、
いま生きているこの世界が自分の周りでどんなカタチをしていて、
そこで日々起きている出来事が自分に及ぼす様々な影響や経験を、
どんな風に日々のの中で認識していったら良いのか、
ある種の示唆を与えるような仕方で人に働きかけ、
知らせてくれるもの
だと思っています。

この世界には生きている限り知るべき事柄と、
踏まえておくべき現実、
そしてそれへの心構えがあると思います。
でもそれは説明や解説、
ガイド等によって得られるものばかりではなく、
自分を入り込ませ、
思いをはせた他人の五感を通じて疑似体験し、
散りばめられている示唆を拾い集め、
そこから自分の言葉や行動、ものごとの感じ方の方向性を
腑に落ちる仕方で受け止めていく・・・

そうやって自分という人を形づくるための材料を
見つけていくのかもしれない・・・そんな風に考えています。

さて、今日のノアノアでは、
番組の最初に「群青」、最後に「その街のこども」
阿部芙蓉美さんの2曲交えてOn-Airしました。

このサーチ(調べる)「その街のこども」という曲は、
阪神淡路大震災から15周年の節目に作られた同タイトルのドラマ、
また後に劇場公開映画にもなった作品のテーマ曲です。
彼女の歌い出しの声を聴いただけでもジワっときてしまいます。



関東に住んでいた(今は東海伊豆だけど)僕は、
このドラマ作品を見るまで、じつはもう何年も・・・
阪神淡路大震災はもう過去の出来事のように思っていました。
街も復興できたし、既に人々はあの悲劇を克服したのだと、
深く考えもせずにそう思っていました。
でも、違うのですよね。

あの時・・・
阪神淡路大震災の被災の様子がメディアで報じられ、
次第に状況が明らかになっていくにつれて、
その破壊と被害の大きさを目の当たりにして
思わず絶句したのを憶えています。
信じられないことが起きている・・・しかも遠い外国の出来事ではなく、
自分がいるこの場所から地続きのところで起きている・・・
そしてあの瓦礫の下に・・・街を呑み込もうとしているあの火の中に・・・
まだ人間がいる・・・。

しかし人間というのは、
自分がその経験を遠くの場所に置いている限り、
そのことに集中していられるのはわずかな時間なのだと
今ふり返ってみると思います。
そして同時に、そんな自分への自嘲の気持ちも湧いてきます。

地下鉄サリン事件が震災からわずかふた月後に発生した後は、
あれほど日々震災関連のニュースを流していた関東のメディアは、
新しく起きたこの無差別テロ事件の報道一斉に加熱していき、
大震災の被災地についての報道は大きく削られていきました。
阪神淡路の様子については、
少なくとも関東のメディアの上では確実に減少していき、
僕個人の記憶では、それが元に戻ることはありませんでした。

僕の中では次第に被災地に注意を向けることが少なくなり、
何年か後には、阪神淡路地方はあの震災から復興した・・・
という認識をいつのまにか抱くようになり、
当然、実際に被災した人々の心の中の傷や、
その後を生きていく中での彼らの思いのことなど知る由もなく、
今ふり返ればなんとも他人事のように捉えてきた
そんな自分を認めざるを得ません。

さて・・・そこで「その街のこども」・・・です。
震災から15年の時が過ぎて、
あの頃の小学生たちも、もう社会人・・・
物語はちょうど震災15周年のその前夜に
若い男女が神戸駅で偶然に知り合うところから始まります。

それぞれに震災で大切な人を亡くした記憶をもちながら成長し、
15周年の記念式典が行われる前夜に知り合い、
神戸の街をふたりでひたすら歩きつづけ、
それぞれの心の中にしまいこまれてきた記憶に触れることになる・・・。

ストーリーはここに書きませんが、
僕はあの災害時のテレビ映像の中でなんとか命を保ち、
大震災とその後につづく過酷な日々を生き残った人々の中には、
今いかに元気で健やかに見えても、その辛い記憶と心に受けた傷を
静かに抱え込んだままでいる人がいるのかもしれない・・・
僕はやっとその時になってそんなことに思い当たりました。

大震災という僕にとっての非現実を彼らは現実として記憶し、
神戸の街の夜を歩きつつ探り合うようにして
やがてそれぞれの経験を確かめ合う・・・。
劇中の森山未來さんと佐藤江梨子さんは、
現実に小さな頃それぞれあの時の震災を経験しており、
現実の記憶に基づいた背景から等身大で演じられていることもあり、
劇中のふたりの会話は、あの土地に生きて震災を経験し、
一日一日を生きてきた人の生身の声を
自分もその場にいて真横で聴いてるような
気さえしてきました。

今年の1月15日の震災の日に
映画としても公開されたその街のこども
全国の人々に是非見てもらいたいと僕も心から願う作品でした。
そして順調に各地の劇場で上映館数が伸びてきているところ、
3月11日の東日本大震災とあの大津波
それに伴っての原発のメルトダウンが日本を襲いました。

この度の大震災で被災し
決して消せない記憶と深い心の傷をかかえ、
今後の成長と人生の中で、
それに向き合っていかなければならない子供たち
いったいどれぐらいの数に昇るのでしょう?
そしてその子たちは、これからどんな大人へと成長し、
生きていくのでしょう?

寒い冬を間近に控え震災後最初の冬を迎えようとしている
東北の被災地・・・
まだまだ災害はつづいているのであって、
阪神淡路大震災の時のように、
メディアが報じる時間が少なくなったからと言って、
過ぎたことのように思えてくる時には自分を戒めたい
と思います。

必ず社会は復興されるはず・・・だと信じています。
しかし、物質的な意味で社会が目に見える形で復興していく中で、
その復興を目の当たりにしながら心の中の影を消せずに、
あの映画の中のふたりのように、
向き合わねばならない心の中の傷ついたもうひとりの自分を
人知れず抱えてしまう子供たちだってきっといるに違いない・・・

阪神淡路大震災から既に15年以上・・・
その被災の街にいた子供たちの今を描いた「その街のこども」は、
311大震災の被災地にいた子供たちが、
今、そしてこれから先に直面するかもしれない心の問題を、出来事を遠くで見つめている人々にも気づかせてくれる特異な価値を持った作品

となったといえるかもしれません。

社会は傷ついた子たちをケアし、励まし、前を向かせ、
震災で狂わされた人生を修正してあげようとするかもしれません。
世の中はそれが理屈だし、人は前に進まなきゃいけないものと、
どこか決まったようなところがあるから・・・

でも忘れちゃいけないのは・・・
人にはそれぞれに異なったスピードがあって、
今は別の思いに囚われていても、
いつかは行くべきところに辿りつけるかもしれない・・・
ということです。

今日の放送で読んだ
サーチ(調べる)その街のこどもの感想
の締めくくりは、
僕がこの物語から個人的に感じた示唆を反芻し言葉に表したものです。

 そう・・・それでいいんだと思う。
 人は何かに傷ついたなら、
 無理やりそれを癒すことなんてできない。
 でもある時突然、
 いろんなことがふさわしい場所に落ち着いてくれて、
 心が軽くなる時だってある。

 それは今なのかも、来年、
 それともまだ少し先なのかもしれない。
 それぞれにスピードがあって、
 でもいつかは辿りついて、
 もといた場所に戻れることだって、きっとある。。。



「その街のこども」の中で囁くようにして響く
阿部芙蓉美さんのウィスパーヴォイス・・・

夜の神戸の夜景を遠くに見つめながら、
子供の頃に往き来した馴染みの道を
白い息を吐きながら早足で歩き、
冷たい風が耳をかすめて思わず首をすくめた瞬間に、
自分の周りの風景と自分の心との結びつきに気づいたような・・・
聴く人の眉間の奥にいきなり響いたような感覚があります。
今日の放送でも、歌い出しのところで目が潤んでしまいました。
映画とともに、是非聴いていただきたい一曲です。

Twitterを通してメッセージを贈っていただいた皆さん!
ありがとうございました!本当に、聴いていただいて、
僕もネロリもとても幸せな一時間でした!!

お贈りしたナンバーは、

サーチ(調べる)阿部芙蓉美 
 るんるん群青


サーチ(調べる)Sting & Eric Clapton
 るんるんIt's Probably Me


サーチ(調べる)Corrinne May
 るんるんEverything In Its Time


サーチ(調べる)Jewel 
 るんるんFoolish Games


サーチ(調べる)阿部芙蓉美 
 るんるんその街のこども
posted by フランキン at 22:39| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ノアノアな風を受けて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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