2011年10月19日

物語は残り香・・・ベタニヤのマリアとナルドの香油

物語は残り香・・・香りはタイムマシン・・・

古代に珍重された香りを今もその頃の記憶の名残を含んで触れることが出来る…そういうのもアロマの楽しみのひとつで、タイムマシンのような楽しさがあります。そんな楽しさに結びつく多くの物語が収められている古ぅ〜い本はと言えば、バイブルもそのひとつでしょう。

バイブル(聖書)はユダヤ教やキリスト教の聖典ではありますが、数千年も昔の風景を今に伝える文化の書・・・そんな風にして目を向けてみるとそこにはまた様々な発見があります。フランキンもネロリもクリスチャンではありませんがアロマセラピーに親しんでいくにつれ、次第にそういった知識にも触れることが多くなったりするものなんですね。

ナルド・・・という香油の名を聞いたことがありますか?この香りも、古くからの記憶を伴って今に至っています。今から2000年も前に、その場にいあわせた人々を驚かせたというひとりの女性の行為が、時を経て今でも語り継がれています。それは新約聖書の中に書かれているマリアという女性の物語・・・。マリアといっても聖母マリアのことでも、映画化もされた小説ダヴィンチコード以来よく耳にするマグダラのマリアでもなく、レンブラントの絵画「ラザロの蘇生」で有名な、ユダヤ人男性ラザロの姉妹のベタニヤのマリア(Mary of Bethany)のことです。(しばしばマグダラのマリアと混同されていたりします)

キリストが処刑される数日前に、キリストはエルサレムの近くに位置するベタニヤという街を訪れたと言われています。そしてある家でキリストを招いた晩餐が開かれ、その晩餐のさなかに、マリアはひとつの高価で美しい雪花石膏(アラバスター)の容器を手にキリストに近づき、その中に入っているナルドの香油をキリストの髪に注いだのです。現代の精油は、わずか一滴という少量であっても部屋の中の空気を一気に香しく変えてしまうほどの力がありますが、当時の香油が同じ作り方のものであったかどうかは分かりませんが、マリアが注いだ雪花石膏の容器に入っていたナルドの量は450グラムほどであったとされていますから、きっとその瞬間・・・その家の隅々にまでナルドの香しい香りが漂ったことでしょうね。

さて、その香りが家の中に放たれるとともに、其処に居合わせた人々はマリアを叱りはじめます。「なんのために香油をこんなにむだにするのか。 この香油を300デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」・・・経済観念と善意の気持ちがあるかのように聴こえますが、要は金にならないような使い方をしたらもったいないじゃないか!・・・という感覚だっのかもしれません。1デナリは当時の労働者の丸1日の賃金に相当する価値をもっていたようですから、その価値はおよそ1年分の賃金に相当するほどに高価なものだったことになります。一世紀当時の世界では、現在の金やプラチナと同様に投資対象としてみなされてもいる貴重品でした。マリアはこの時、キリストの頭に注ぐことによってこの貴重なナルドの香油を一瞬のうちに使い尽くしたことになります。

この話を、現代の私たちがどのように捉えるかは人それぞれだと思います。でもひとつ言えることは、人にとってはお金じゃない瞬間というものが時に訪れることがあるんだなぁ〜・・・ということです。この数日後・・・キリストは処刑されたといいます。そしてそれはキリスト自身が予見していたことだとも言われています。当時の彼を取り巻くローマ支配下のユダヤ人社会の状況を考える(バイブルのメシア預言等は抜きに考えても)と、キリストが逮捕され処刑されるというような事態は容易に起こり得ることだったのかもしれません。そのことを薄々感じていたマリアからすれば、イエス・キリストという人物への親しみや愛情を表現する最後の機会であったかもしれず、おそらくその個人的な愛着を表現するには、マリアにとってそれ以外には考えられなかった最高の方法を選んだということなのでしょう。まさに、お金じゃない・・・それに換えられない大切な機会に為された心からの行為だったのかもしれません。

バイブルによれば、キリストはマリアを叱った周囲の人々を逆にたしなめ、自分の髪に高価なナルドの香油を注いだマリアを褒めたということが記録されています。2000年もの時を経て、このわずかな時間に為されたマリアという一人の女性の親しみある行為が今でさえ語り継がれている・・・そう考えるてみると、この女性はまさにお金には換え得ないものを手にしてこの世界に名を残したことという風にも考えられますね。

さて・・・このナルドという香油。日本では甘松とも呼ばれ、ヒマラヤ山脈に見られるオミナエシ科の植物(Nardostachys jatamansi)の茎と根から抽出されるものと考えられています。マリアが用いた香油は純度が極めて高く、非常に高価なものだったと伝えられていることからすると、もしかしたら当時の中東からはかなりの遠方にあたる中国やインドからのものだったとも考えられます。現在、同じ植物から抽出されている精油がバイブルに記されているキリスト時代のものと同じ香りであったかは正確には分かりませんが、それでも、マリアとキリストに関わるこの物語にふれる背景を持つエッセンシャルオイルを私たちが手にすることは、幸いなことに今でも可能です。名称もそのままナルド、あるいはスパイクナードと呼ばれていて、マリアがキリストに注ぎ捧げた当時ほど高額ではありませんが、それでも比較的に高価な精油の部類に入ります。

もしあなたがこのナルドの精油の小さな瓶を手にすることがあるなら、その香りを香らせる度に、2000年昔のキリスト受難直前のある夜、キリストとマリアと香油の物語を思い出してみてください。訪れた機会に目ざとく気づき、手にある最高のものを用いて最高の時を演出し、彼女にとっては素晴らしい思い出と後に幾世紀にも渡り語り継がれる物語を残したマリア・・・この記事をここまで読んでくれたあなたも、お金には換えられない人生の瞬間を逃すことなく捉え、マリアと同様に、自分と大切な人たちとの物語を積み重ねていってください。僕もそうありたいなと思いつつ、記事を閉じます。。。


Mary of Bethany ベタニアのマリア

マリア・・・キリスト・・・そして、ナルドの香油・・・
物語は残り香・・・香りはタイムマシン。。。

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posted by フランキン at 00:26| 静岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | アロマセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
3日前に、プロテスタント教会で洗礼を受けました。
クリスチャン名を授けられ、Mary=マリアと
ベタニヤのルカの福音書10章のマリアと名付けられました(´∀`)
幸せなことで嬉しいことです。一生伝えていく自分の名前です。
ブログ読んで より一層考えかたが私に似ていると感じ、ちょっとビックリしました。
私はお金の事や 将来のお金のこと、または相手のお金の事を見ないから失敗すると言われ続けてきました、だけど、やはり人生はお金では無いとまだ思います、絶対にお金では買えない 目に見えない素敵なものが
一生残る素敵なものがこの世にも 溢れてる、と私は信じ続けます。
Posted by Mary at 2013年05月15日 00:06
Maryさん、はじめまして。
コメントいただけてとてもうれしいです。

3日前に教会で洗礼を受けられたとのこと・・・
きっとそれはMaryさんの人生の中の貴重な瞬間、
そして意志に基づいた大切な出来事なのだと思います。
僕はクリスチャンではありませんが、
おめでとうございます!と言わせてくださいね。

お金というものは、最も大切なものではないはずですが、
人生の中の大切なものの殆どに関わりを持つものかもしれません。
であるからこそ、人々が日々の糧を得るために
顔に汗して働くことの形≠ニして、
お金を得ること・・・という行為が
人生の中に歴然として存在しているのだと思います。
しかし、その単なるカタチや手法・手段(道具)であるはずのお金が、
人の人生や社会における成功、あるいは勝者・敗者の
主要なモノサシのようにみなされているように感じられる
今の世の中の傾向には、僕も違和感を覚えています。

生きていくのにお金が必要・・・確かに、
今の社会では紛れもなく否定はできないことなのかもしれませんね。
それでも、僕もMaryさんの仰ることに強く共感します。

>やはり人生はお金では無いとまだ思います。

世の中がどれだけお金や経済中心に
物事が測られていたとしても、
どんなに拝金的、また物質主義的な感覚が
もてはやされていたとしても、
Maryさんと同じく、僕もMaryさんの仰る、
お金がすべてではない・・・・
という感覚を忘れたくはないと思っています。

人間が必要としているもの、
充たさねばならないもの・・・
それは、昔(キリストの時代のような大昔に遡っても)も、
基本的には殆ど変っていないはずだと思います。
であるからこそ、ベタニアのマリアのナルドのような、
些細なはずの物語が、今も心に働きかけてくるのだと思います。
一瞬で使い尽くされた高価なナルドの香油・・・
そしてマリアの示した姿勢・・・
現代の僕らも、心を開いて見つめるべき
大切な気づきを含んでいるように感じます。

コメントをいただき、
再びそんな感覚を思い起こすことができました。
Maryさんの純な感覚が、きっと報われる時が、
いつか訪れるに違いない・・・僕はそう感じます。
ずっとずっと、これからも素敵なMaryさんでいてくださいね。
ありがとうございました!
Posted by フランキン at 2013年05月15日 11:22
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