2011年03月01日

エンドロールが終わるとともに思わず拍手をしている自分がいた・・・映画「ヒアアフター」

久しぶりに劇場に行って見た映画は、
クリント・イーストウッド監督の最新作、
ヒアアフターでした。

ヒア アフター [DVD]

命を持ち、人生のさなかにいるという経験・・・
それでもいつか終わりが訪れることを知っている。
その向こうには、はたして何があるのだろうか?
何かがあるのだとすれば、世を去った人たちは
今どんな経験に迎えられているのだろうか?
生きているからこそ誰もが必ず想いをはせる問い・・・

人は答えを求める。

でも、すべてを知ることが
必ずしも必要なわけではないのだとも思います。
おぼろげであってもそれで充分なのかもしれない・・・。
この映画も分からないことをそのまま分からないものとして描く、
そんな慎みをもって創られています。

それでも説得力のある優しい示唆のようなものが、
シンプルに・・・働きかけるように・・落ちてくるように・・・
そうやって静かに悟性に入り込んできて
ふさわしい場所に人を落ち着かせてくれる。

この後(Hereafter)・・・
確かめ得ないことだけど、ひとりひとりの中で、
その先に待っているかもしれない経験を
「察っして」「受け止める」ことができるなら、
いま生きている人生も、また変わってくるかもしれない。
そんな風に思いました。



とにかく今までに見たことのないタイプの映画・・・
どんな娯楽作品のカテゴリーにも分けきれない作品・・・
この作品でクリント・イーストウッドは、
これまでにない特異な位置を占める映画を見せてくれたと思います。

見る人によっては苦手に感じられかねない・・・
つまりは映画への反応を二分するかもしれず、
(ひいては興行へのリスクを増やし、)
扱い方によってはヒステリックな批判や嘲笑をも招くかもしれない、
生と、死、そしてその後への問い・・・というテーマ。

でもこの映画・・・そんな重いテーマに触れながら、
少しも大上段に振りかぶらず、
登場する人物の心象を静かに描きながら、
食べること、眠ることなどの日常の風景と同じく、
生と死について考えることも
ごく自然なこと
なのだと語りかけてくれます。
そして作り手の真摯さがまっすぐに伝わってきます。
それを強く感じるからなのでしょう。
作り手の真摯さと一歩踏み込んだようなこの作品を創った
クリントに応えるかのように、
見る側の僕も襟を正してスクリーンを見つめたような気がします。

クリントの映画の変遷を振り返れば
この映画はあまりに異色だと思う。
見終わった直後に僕が強く感じるのは、
きっとこの映画は、
老境を迎えたクリント・イーストウッドの
今の心境、境地そのものなのではないか・・・?

・・・ということ。
それは全編にながれる
クリント自身が作曲によるピアノの旋律と同じく、
渇いたところに水が沁み込むように
僕に生気をもたらしてくれました。
すばらしかった。

エンドロールが終わるとともに、
思わずひとり拍手をしている自分がいました。
posted by フランキン at 19:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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