2011年01月26日

ショパンは「側頭葉てんかん」だった!? 僕らはこの世界を構成するものすべてを感知できているわけではないのかもしれない。


僕は医学の専門家ではないし知識もありません。なので自由に物事を捉えて考えを引き延ばします。なのでブログのこの記事はちょっと突飛な話をしているなと感じられるかもしれません。お許しを・・・。

ショパンはいわゆる側頭葉てんかんだったのかもしれない・・・。もちろんこのニュースが取り挙げている精神医学の専門家たちの推論も絶対に確かなものというわけではありません。既にこの世を去って160年も経つ人物が経験した事柄を、断片的で不完全な情報に基づいて判断(診断)するというのは、不可能とは言えないまでも事実上無理に近いことなのだと思います。しかし、正確な医学データも残っていない偉大な音楽家についての秘められた真実に迫る推論として、非常に興味を惹かれます。

しかしショパンの経験したという幻影の原因が側頭葉てんかんだったかもしれない・・・というこの精神医学者の判断は、側頭葉に起因する何らかの異常により引き起こされた脳内の疾患によるものとの見解を示しているわけですが、僕が最近考えるのは、この側頭葉てんかんなるものによって引き起こされるという特異な視覚的体験は、そのすべてを「疾患」と判断することが本当に真実を指し示したことになるのか?ということです。

人間の脳とその働きについて多くのことが分かってきているとはいえ、人間という生命の形とそれが織りなす営みについては、まだまだ現代の科学が及んでいない未到達の地点があると個人的には思っています。それ故に、側頭葉てんかんの症状を示す(経験している)人物がその見たものを語る際に、そのすべてをそのまま「病の症状」として捉えるべきなのか?正直なところ僕は疑問を抱いています。

少し逸れますが、海洋や山岳、南北両極地等での遭難経験を持つ人々がしばしば極限状況のさなかに遭遇したと語るサードマン現象というものがあります。遭難時の極限の中で自分と仲間の他に第3人目の何者かが現れて生還に導いてくれるという奇怪な体験なのですが、生死を彷徨い意識も薄れゆく中でその何者かは生きるために往くべき方向を示し、諦めるなと力づけてくれる。体験者の多くは、「一体あれは何だったのか・・・?」と不可解に思うと同時に、生還に導いてくれたその何者かを守護的な存在と感じ、その感覚がその後の人生にさえ影響を及ぼすことが多いのだといいます。最近このサードマン現象について、極めて冷静に考察・検証を試みている本(邦訳「奇跡の生還に導く人 極限状況のサードマン現象」著ジョン・ガイガー 新潮社)を読みました。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」
その中で、この特異な現象を精神医学の専門家たちが説明を試みるにあたり、やはり側頭葉てんかんというものが登場します。確かに側頭葉にある種の刺激が加わると、自分の身体の位置感覚などにズレが生じ、いわゆる幽体離脱や臨死体験、ドッペルゲンガーなどの話と似たようなものを体験するというのは事実のようですし、側頭葉てんかんを持つ人々が何らかの視覚的な感覚を体験する時に、それは脳内の何らかの異変によって生理的に起きた個有の幻視的感覚なのだと考えるのは確かに筋が通っているようにも感じます。しかしそれだけですべてが説明されているとは、実は僕は思っていないのです。

これらの精神医学の進歩による解説は、一見、神秘体験のような特異な経験が、科学によって打ち消されつつあるように感じさせますが、僕にはむしろその逆で、様々な奇妙な神秘体験(僕個人としては神秘体験を経験したことはありません)や、それに伴って経験者の多くが語る人生を変えるほどまでに強い影響を与えることがある霊的な悟りのような感覚は、脳という高度なシステムを介して、人間が未だ確認することが出来ていない領域への感覚に、生理的に目覚めた時に起きるのではないか?などと考えています。

通常人間は聴覚・視覚・嗅覚・触覚・味覚の五感をもって生きています。もし何らかのアクシデントでそのなかのひとつ・・・例えば「聴覚」が生まれつきない・・・あるいは完全に失われてしまったとします。その人にとっては、自分を取り巻く世界は変わらずに存在しているとしても、その中の耳で聴こえる聴覚的な世界は存在していない(もちろん振動を触覚で感知し音波を捉える感覚を発達させた人はいますが)も同然です。逆に言えば、聴覚を正常に持っている人は、そうではない人が捉え得ない世界の一面を感知し、その世界の聴覚的な構成要素の存在を通常のものとして捉えていると言えます。

また、人間以外の生き物で、人間が有していない感覚を生まれつきもっており、それにより人間とは異なる仕方で世界を認識していると思われる生き物たちがいます。例えば渡り鳥は何万何千キロもの距離を、どの時期にどのルートでどこに向かって飛んで旅をすればよいのかを、何ら教育を受けたわけでなくとも自分の内に心得ており、実際にその距離を旅します。これまで鳥類学者たちにより観察されてきたように、太陽や星の位置などを感知し、その情報を利用して飛行方位を決定しているのだとしても、一度も旅をしたことのない若い鳥たちまでがその知識と感覚をなぜ持っているのか?未だ謎のままです。率直に考えれば、そのように渡りをする鳥たちは、生身の人間とは異なる世界の一面を感知しており、人間が知らない(存在を感知できない)世界の見え方を経験できているのかもしれません。それは人間が持っていない、鳥たちだけが普通のこととして持ってる生理的な機能を通して、人間が感知できない世界の一面を見ているのだと言えないでしょうか。

では、サードマン現象の説明と同じく、「側頭葉てんかん」による脳の誤作動として説明されている様々な特異な経験も、すべてを「病の症状」と捉えてしまって良いのでしょうか?僕個人の考えではありますが、そのようにすべてを脳内の異常によるものと判断し言い切ってしまうには、現代の科学からすればまだ時期尚早であるのと同時に、経験の中にはどうにもそれだけでは説明しきれないものも多くあるのではと思っています。事実、精神医学者の中にも、すべてを脳内の神経作用として捉えるべきだとする学者たちがいる中で、そうとは言い切れず、もしかしたら個人の脳内の閉鎖されたループの中だけではなく、その外で、彼らは本当に何かと接触、経験しているのではないか?と考え、引き続き真実を見極めようとしている学者も少なくないどころか、実は増えてきているとさえ言われています。

話は再びショパンにもどりますが、あの偉大な音楽家は側頭葉てんかんだった・・・。確かにそうだったのかもしれませんし、ただ単なる解釈のひとつでしかないのかもしれません。真実は誰にもわかりません。しかし間違いなく確かなことは、フレデリック・ショパンというひとりの音楽家が160年前まで確かに生きていたということ、そして彼が紡ぎ出した音の並びによって醸される絶妙な旋律は今も世界中で聴かれており、多くの人たちの心を動し、感動を与え、時には涙をさえ浮かべるほどの影響を及ぼしつづけているという事実です。それは尋常なことではなく、ある意味奇跡的なことと言えます。では、彼が見たという幻視幻影、そして入り込んでいったという空想の世界で見つめたこと・・・現代の精神医学者たちが「側頭葉てんかん」の症状であると推測するそれらの体験は、このような現実かつ奇跡的な業績に何らかの影響を与えていたのでしょうか?

そうではなかもしれないし、本当はそうなのかもしれない・・・。やはり真実は靄の中ではありますが、しかし人間がもし何らかのきっかけや訓練、またはある種の状況に置かれることにより、従来の日常では必要とされていなかった脳内のシステムが起動し、それまでは処理できなかった外からの刺激や情報や世界を感知(アクセスする・・・アクセスされる?)できるようになり、それによって人間が創り出すものの質や処理が可能となる情報の量に飛躍的な変化が起こり得ると考えれば、ショパンをはじめ、例えば変人とされなおかつ天才的な能力を示した多くの人々についての説明に、違った視点を添えるものとなるような気がします。
聖なる刻印---脳を変えるスピリチュアル体験
側頭葉で起きていることは、しばしばその人の経験に特異なものを加えることになり、神秘体験として語られることが少なくないようですが、それがその人の人生体験にどのような影響を及ぼすことが考えられるのか・・・大変興味が惹かれます。やはり最近読んだものの中に、幻覚や臨死体験などの神秘的な経験はどのようにして生まれてくるのか?それを何人もの脳神経学者と実際に行われている実験を取材して考察した本(邦訳「聖なる刻印 脳を変えるスピリチュアル体験」著バーバラ・ブラドリー・ハガティ 河出書房)がありました。その中で、神秘体験を経て人生を大きく変化させた人の側頭葉の働きには確かに特徴が見られ、それは測定可能な脳波や脳内物質の分泌となって現れ科学的に観察することができること、そういう意味で、それらの特異な体験は人間の脳に「痕跡」を残す・・・と語られていました。それらの実験に参加した特異な体験を持つ人たちの中にはやはり側頭葉てんかんと診断されている人たちも含まれていました。

彼らが自分の特異な体験の中で見聴きしている有り様は、本当にすべてを「病」と特定しても良いものなのか、先に触れた通り、僕は疑問を持っています。それはちょうど上記の書籍の中でその著者が感じていたことと同じでした。つまり、彼らの語る体験をすべて脳内の閉鎖的なループの中での体験と本当に限定してしまっても良いものなのかどうか、ということです。「聖なる刻印」の中で著者ハガティは、もし何らかの存在が在って、それが人間に何かを示そうとするなら、「脳を使うはずだ」・・・と、多数の取材を通して感じると述べています。この考え方には僕も大変興味深いものを感じます。

人類の歴史の中で、しばしば天才的な能力が誰かによって示され、それによって様々な芸術が生み出され、この世界と宇宙に対する人間の理解と見識を変えてしまうほどの細密また壮大な科学理論や技術が見出されてきました。それらはそれを成し遂げた人間ひとりひとりの大変な努力の上に築き上げられてきた記録です。しかしもしかしたら、その成果の背景には、もっと根源的なひらめき・・・それこそ幻視であったり、神秘的とさえ言えなくもない、脳と何かとの相互作用があったと考えられないでしょうか? 数々の発明を世に送り出し、人類文明に多大な貢献をした、かのエジソンはかつて「天才とは1%のひらめき(霊感)と、99%の努力である」と語ったと言われています。しかし実際にエジソンが言いたかったのは努力の重要性ではなく、1%のひろめきを得ることの大切さであって、それさえあれば無駄な努力はしなくとも良い・・・ということだったのだといいます。エジソンの側頭葉はどんな様相を示していたのでしょうね。

そういえば最近、音楽家のひとりで、コンサートで観客が思わず涙を流してしまうような作曲・演奏をずっと続けている友人と時々話します。時に彼女は精神的にとても不安定で、見ていて心配になることもあります。心療内科や精神科を受診し、脳波を調べたところ、担当の医師が顔色を変えて、その医師の恩師がいる大学病院での精密な検査を薦められたといっていました。しかしその脳波についてのデータを送った先の大学病院の教授から「この人の職業は?」と訊かれ、担当の医師が「音楽家です」と答えたところ、「ならそのままにしておきなさい」と言われ、結局より大きな検査は受けなくてもよくなったのだと言っていました。

彼女は時々不可思議な経験をしています。古代遺跡のある南米の街に旅をした際に、初めて訪れるその街から感じられるものがあまりに悲しく強烈で、その後数週間に渡って熱を出し、浮かび上がる様々なヴィジョンと言葉を曲にせずにはいられず、全部を通してストーリーを成す一連の楽曲を完成させました。そしてその曲が演奏される度に、コンサート会場で涙を流す人たちが必ずいます。もちろんこれらの出来事は、単なる体調不良、精神不安定、普通の創作活動として見ることも出来ます。しかし本当にそう言い切って良いものなのか?疑問を感じています。

僕が考えるのは、人間という生命の形について、未到達の真実というものは確かにあって、もしかしたら友人の音楽家が経験したことも、ショパンが患っていた側頭葉てんかんとされる幻覚についても、サードマン現象も、エジソンが述べた1%のひらめきについても、これから科学が何かを明らかにし、同時にそれはもしかしたら、今までは信じるか信じないかとして語られてきたいわゆるスピリチュアルというものと、明らかになれば受け入れるしかない科学知識とがともに両立し得る時代に繋がっていくのではないかと、少しワクワクしたものを感じています。

ショパンは果たして何を体験したのでしょうか?彼がこの世にいない以上、それを正確に知ることは叶いませんが、このニュースにあるように、様々な特異な体験が脳と結びつけられて語られる時に、人間とそれを取り巻く世界についての未到達の真実の存在を想起させられ、興味は尽きません。
posted by フランキン at 12:17| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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