2010年11月28日

ジェフリー・ディーヴァーのロードサイド・クロスと、イスラエルの1000人の娘たちの怖い経験



ジェフリー・ディーヴァーの最新刊ロードサイド・クロスを読み終えたぱかりだけど、ブログやSNSを介して発生した殺人事件を描いたものでかなり読み応えのある物語でした。その中で繰り返し強調されていたのは、ブログやSNSの利用において「みんな個人情報をネットに安易に公表しすぎる」というものでした。その個人情報というのは住所や氏名、電話番号やメールアドレスなどの明確なものとは限らず、その個人の性別、人となりや職業、居住地域等々の諸々を示す、あるいは推測を容易にし得る情報の断片であったりと様々です。何らかの意図や悪意のある誰かがいたとして、断片的な情報であったとしても、その人個人に害を及ぼすには充分な影響力をもったものがネットには氾濫しているというのも事実なのかもしれませんね。
ロードサイド・クロス

さて、このニュースですが、イスラエルにおいて正統派ユダヤ教と云われるものに見られる、いわゆる口伝律法というものがフィルターとなり、軍によって監視されていたそれぞれ個人のライフスタイルや行動・嗜好等がかなり詳細に分析されてしまったということのようです。ユダヤ教の聖典にはトーラーつまりモーセ五書といわれる旧約聖書の巻頭に編纂されている五つの書、要するに律法が含まれていますが、口伝律法というのは、その適用の仕方についての後から付け加えられた解釈や規定のことです。

古くから成文化されている口伝律法には、日常生活での習慣に関わる細々とした、実に些細な…とも思える事柄に関わる規定もあり、ユダヤ教をよく知らない我々から見ると実に窮屈で失礼ながらばからしくも思えてしまうような規定も含まれています。現在もそうなのかは定かではないですが、例えば伝統的なユダヤ教では、安息日に仕事をしてはならないというトーラーにある元々の律法の適用を具体的に定めており、折れた骨を接ぐこと、歯の痛みを治療すること、それらも仕事と見なされすべて禁じられていたと聞いています。

それらの口伝律法を完全に守りきることは大変難しいであろうということが容易に想像できますが、正当ユダヤ教徒をかたっての兵役逃れということで摘発されたという約1000人のこの女性達…果たして本当にすべてが偽者だったのでしょうか?ちょっと疑問が残りますね。言動と行動の乖離を指摘する目的で監視され、何百もの口伝律法と照らし合わされ、しかもそれがSNSに書き込んだ文章や写真などからズレを指摘され、そして告発される…んん、なんとも想像しただけで窮屈で恐ろしい経験です。

ジェフリー・ディーヴァーは先に挙げた「ロードサイド・クロス」の中で、ブログやSNSで個人についてのヒントとなり得る情報を公表することについて、いかに断片化してのことであっても慎重であるべきだと、登場人物の言葉を通して警告していました。また同時に現実世界と同様に、ネット上での人間関係やコミュニケーションにも価値がますます増大していることを示してもいました。思い当たる要素も多く感じながらの興味深くも興奮をそそるミステリーでした。

いずれにしても、このニュースから感じられるのは、自由に伸びやかに楽しんでいたSNSでの自分の表し方が、いつのまにか自分についての不利な情報を収集するためのツールともなり得るのだということ、そして広い世界の中では、時に国家やある種の権威を持つものによって、それらが思わぬ仕方で利用されてしまうこともあり得るのだということでした。イスラエルにはイスラエルの事情があるのでしょうが、ひとつの極端な、でもフィクションではない示唆的な出来事として憶えておこうと思います。
posted by フランキン at 19:36| 静岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
きょうは言動っぽい編纂した。
Posted by BlogPetのぽよ at 2010年11月30日 15:56
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