2010年11月05日

経験することに正しいとか間違いなんてない・・・クリスとアーロンの物語にふれて

ひらめきこの日記では、映画「イン・トゥ・ザ・ワイルド」の内容に触れています。未見で気になる方はこの先をお読みになるかどうか、ご検討ください。
(誰がこんな長い日記に付き合うってんだ・・・?わーい(嬉しい顔)

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

裕福で恵まれた人生の路線を後にして、自分と世界とのつながりについての真理を求めてアラスカへと旅立ち、人知れず消えていった青年クリストファー・マッカンドレス。彼を描いた映画イン・トゥ・ザ・ワイルドを、公開からずいぶんと遅れて見た。

2008年アカデミー賞にもノミネートされたとても美しい作品で、この映画を見終わった僕の想いは、ここ数日読んでいたもうひとつの物語と自然とつながっていった。ユタ州ブルーキャニオンで遭難し、岩魂に挟まれた自らの右手を切り落として奇跡の生還を遂げた、アーロン・ラルストンの「奇跡の6日間」という体験手記だ。直接には無関係のこのふたりとそれぞれの経験に接して、僕の中には湧き上がってくる想いがある。

これまでの人生とそれを取り巻くすべてに偽りと虚しさを覚え、クリストファー・マッカンドレスは、大学を卒業後アレックス・スーパートランプ(偉大な放浪者アレックス)と名乗り、過去と決別して大自然の荒野を目指す。アーロン・ラルストンはアウトドアをこよなく愛し、自然の中に身を置くことに夢中で、単独で多少の危険を冒してでも冒険することをやめない。生存が直接試される場面に人が直面した時、たぶん人間はそれまでとは全く異なる新たなチャネルが開かれて大きく変化するのかもしれない。

「命あっての物種 ・・・「死んでしまえば元も子もない」・・・誰もがきいたことのある当たり前がある。そう・・・確かに命は大切にするべきだし無駄にしたくはない。でも、自ら歩んだ道の結果が死に至ったからといって、すべてが無駄となってしまうとは思えない。ふたりの経験を見た時に僕はそう思う。

自ら選んだ人生の途中で、クリスは命を落とし、アーロンは傷つくも生還を果たす。ふたりの経験はそれぞれに異なっていて、生か死かという点では正反対のコントラストを放っている。では、死んでしまったクリスは間違った人生の選択をしたのだろうか? 生きて渓谷から戻れたアーロンはクリスよりも正しかったのだろうか? ふたりの経験から僕が感じるのは、生きていく中で出会うすべてのことに、正しいとか間違いとか…そんなものなど、本当はないのかもしれない…ということだ。もし誰かの人生についてそういうことが語られるとすれば、それはその人生を歩んだわけではない全くの他人があとで勝手に付す解釈にすぎない。

クリスは今までとは異なる本来の自分を求め、それを証明する旅に出かけた。スーパートランプと名乗り、それこそが真実の発見への道に他ならず、この世界と自分との関わりを確認することになると考えていたのかもしれない。しかし映画の最後に、彼が残した言葉・・・それは、「物事を正しい名前で呼ぶ」というものだった。

僕が想像するに、彼が目指した荒野での日々を通じて見いだしたものは、今までとは別の自分などではなく、これまでの人生の中で触れてきた、もともと持っていたすべてのものと自分自身の価値の再確認だったのではないだろうか? 「僕の一生は幸せだった。みんなに神のご加護を!」と書き残したクリスの一生とは、うち捨てられたあの不思議なバスで独り過ごした日々だけではなく、クリス自身が嫌悪を抱いて後にしたそれまでの家庭での時間も、きっと含まれていたのだと思う。

自分自身に「本来」というものがあるのだとしても、それが今までと異なるものとは限らない。故に彼が最後のメッセージに書き残したサインはアレックス・スーパートランプではなく、捨て去ることをあれほど望んでいた親からもらった名前、クリストファー・ジェイソン・マッカンドレスだった。「物事を正しい名で呼ぶ」とは、その名を持つ自分自身を正しく受け入れて見つめること、つまり自分が何者であるのかを理解し、そのことに価値を置くことなのだと僕は思う。

確かに、クリスは命を落とすことになった。それは彼自身にとっても予想外に早い死だったかもしれない。彼の妹も両親も、旅の途中で出会った多くの人にとっても、彼の死は悲しい出来事だったにちがいない。そのことで彼の人生についてどんな厳しい解釈を付すのも自由だ。でも僕は考えてしまう。

彼がとった行動によって、この世界とそこに住む人たち(我々も含めて)には、それがなかった場合には存在し得なかった経験(人によっては変化や気づき)が生まれた。彼が生きた時間はわずかに24年間・・・しかし確かに彼が「在った」ことの影響は、この世界にあるのだと思う。そしてそれはクリスだけに限らず、僕らすべてにもいえることなのではないだろうか?たとえ目に見える記録が何も残ってはいないような、名もない生き方であっても、誰かが生まれ、そして生きた・・・ということには、事実としての影響力と価値が存在すると僕は信じている。

もうひとつの物語の主人公アーロン・ラルストンにとって、岩塊に片腕を挟まれたままの状態で、生死のギリギリのところで過ごした127hours(約5日間)は、おそらく人生の中で最もゆっくりと、そして容赦なく流れていった時間に思えたことと思う。重さ500sを超える岩塊に右腕を挟まれて身動きができなくなった状態から無傷で脱出することは叶わず、彼は自ら右腕を切断して生還を果たした。その状況はまさに極限といえるものだと思う。人間はできればそんな極限など経験しないにこしたことはないとは思うのだけど、そうしてはじめて見えてくることや、悟れること・・・そういうことは確かにあるのかもしれない。

アーロンは、岩壁に捕らわれているさなか、身体と精神が弱っていくにつれて幾度もトランスを経験し、時間と場所を越えて、まさかこんなところに自分が動けずにいることなど知る由もないであろう、大切な家族や友人達とふれあい、自分の人生がたくさんの未完を抱えたまま終わりに至るかもしれないその時に、ひとりの人間として自分が果たして何を望んで生きているのかを見つめることになる。

彼が経験したことは、いわゆる「万が一」の出来事で、誰もが経験せずに済ませたいと思うはずの過酷な経験だ。でも彼はその万が一が自分の身に起きたことを全く残念には思ってはいない。手記(「奇跡の6日間」小学館)の中でアーロンは、「ぼくの人生で起きたこと、いまも起きていることを考えると、ぼくは大変恵まれていると思う」とまで書いている。タイムスリップして過去に戻れたとしても、自分は再びあの岩の裂け目に降りていく・・・彼は生還を果たした後も、あの時の選択を後悔していないし、「結局ぼくは、変わっていない」と言い切っている。そして今もアウトドアマン、登山家として世界の高峰に挑戦しつづけているのだ。

アーロン・ラルストン

もしかしたら、あんな体験をして身体にハンディも背負いながら、再び危険に挑戦しつづけるなんて、愚かだし間違っていると、彼の人生の歩み方に意義を唱える人もいるかもしれないし、そう考えるのはもちろん自由だ。

でも僕はこうも感じる。クリスの場合と同じく、アーロンもあの経験によって、自分についての本来が、何処か別のところにあるのではなく、自分自身の中に初めからあったのだと気付くに至ったのではないだろうか? それだから今でさえ、ハンディを負っていながらも大自然に挑戦し続けるのは、それが自分にとって最も自分らしい姿だと感じる生き方を選んでいるに過ぎないのではないだろうか? 人は、何か外から与えられたものによって豊かになるのではなく、命と与えられた人生の時間を楽しむのに必要なものはすべて元々もっているのかもしれない。

僕はクリスやアーロンが経験したような、命に関わる極限なんていうものに直面したことはないし、多分そんな危険にはこれからも遭わないだろうと思っているが、もっとゆるくて、ごく普通の日常を送っている僕のような者にも、辛いこと、悲しいこと、不愉快なことはいつでも降って湧くことだろうし、もちろん楽しく愉快なことだっていつでも起き得る。でも、そこに正誤の概念を交えてしまったら、僕はきっと幾つもの後悔を抱え込んでしまうことになるのではないだろうか?

自分が経験するものに、正しいとか間違いなんてない・・・。

それがクリスとアーロンの物語から僕が感じることだ。クリストファー・ジェイソン・マッカンドレスは、家族と友人たちから離れてたった独りで人生の最後を迎えた。彼はその過程で、幸福とは、分かち合う人がいてはじめて実感できるものだという結論に達する。その発見は、彼が経験した孤独と飢餓を超えて、彼の人生に意味を付し、価値ある生を生きてきたのだという満足をもたらしたのかもしれない。

うち捨てられたバスを背に微笑むクリストファー・ジェイソン・マッカンドレス


発見された遺体とともにあったカメラに納められたフィルムには、彼の最後の場所となったあのバスを背景に、独りで満ち足りた笑顔を見せるクリスの姿が写っていた。

ここまで、まさか読んでいただいたあなた・・・感謝しますexclamation×2ぴかぴか(新しい)


posted by フランキン at 23:10| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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