2010年10月03日

もうチョッと耐燃性でいこうよ!

夕方にちらっと立ち寄った伊東のGEOで
何か面白そうなDVDはないかと物色中に、
いきなり尋常ではない声が店内に響き渡った。

レジカウンターごしに30代と思しき男性客がひとり、
店員に対し何やらぶつぶつ言いながら、
時々大声を出して怒りパンチを表している。

結局その男性の問題はしばらくの問答のあと、
終始低姿勢な対応をしていた店員により解決したらしく、
男性は速い足取りで出口に向い、
最後にガラスの押し扉を叩きつけるダンっ!という音とともに
店を後にしていった。
なんだか分からないけど、
その様子に僕は不快感を覚えてしまった。

まあ、とにかくこの男性は自分には怒りを表すだけの被害を
この店から受けたとの認識があって、
そしてその怒りは店員に対してのみならず、
事情を知らない多数の別の客の前で
我を失って見せるという、
そんなリスクと引き換えてまで表すべき重いものだったらしい。

ともあれ、その男性にとっては
怒りを叩きつけて放出することが最も大事なことだったのだろう。
それで気分がスッキリして問題が解決するのなら、
多分彼にとっては必要な態度だったのかもしれないけどね・・・。

しかしまぁ、損なことだな・・・と思った。

DVDやゲームソフトのレンタルやら書籍の販売やらで、
我を失くして怒りを表すほどの
いったいどんな問題が起き得るのか・・・?
何があったのかは知らないが、ほとんどの人は、
「あの男性と友達にはなりたくない」・・・と感じたに違いない。

もちろん怒りは必ずしも悪いものではないんだよね。
それはごくごく自然に、
時には正当と思える理由によって生ずるものかもしれないし、
怒りを感ずるからこそ、そのルーツとなっている問題と向き合い
解決しようという意志と行動へとつながることだってあるのだろう。

でもちゃんと焦点が定まっていないと、
怒りの炎というのは治まり何処をみつけられず、
ただ迸るだけの厄介な炎のまま、
大切な自分自身の人となりをさえ燃え上がらせてしまう

そんなことだってあるのかもしれない。

僕も怒りを感じてそれを表すことは時にはある。
振り返ればそれで失敗して苦い記憶を作ってしまったこともあるし、
そんなことをまた繰り返してしまうことだってあるかもしれない。

でも、人は学習することができて、
それはとてもありがたい人間が持つ能力だと思う。
怒りに駆られても、その炎を調節して、
怒りの理由と燃料そのものを消し去るすべと能力を培える。

ぴかぴか(新しい)怒りを前向きなエネルギーとしたいのであれば、
自分が怒りを感じている物事の歪みを元に戻すこと・・・
怒りを覚える相手を自分との元の関係、
あるいは無関係な状態に戻すこと、
またはその誰かを自分の友として「かち得る」こと・・・
そこに焦点を置きつづけていきたいと思う。
自分は炎を制御することが可能であるのだという自覚を
決して失わないようにしたいな。


今日のGEOで見かけた、店に緊張を振りまき、
そこに居合わせた多数の人々に不快感を与えた怒れる男性は、
怒りを迸らせることによって何を得たのだろう?
些細な出来事だけど、
他人の経験も教師となり得ることを示す一場面だった。

世の中そのものにストレス爆弾が溜まり易い今は、
簡単に炎があがりやすく、自分自身もそこに火を注いてしまったり、
燃えるに任せてしまいそうになったりすることだってある。

心にも耐燃性・・・必要ですよね。わーい(嬉しい顔)


posted by フランキン at 21:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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