2010年06月13日

食べるという行為は、生きるのみならず健全に死んでいくことにも関係することなのだと思う。


成長が5倍もスピードアップするとはすごいですね。しかしこのようなニュースを果たしてそのまま喜ばしいこととして受け止めても善いものなのかどうか?と、やはり正直思ってしまう自分がいます。そういう観点の人も多いはずですし、研究者自身もそのへんは慎重であるはずだと思いますね。もちろん地球上に住む増え続ける人類が食べて生きていくには、様々な工夫が必要なのは確かなのでしょうけど・・・。

今研究途上だという成長を速くさせるというこのスーパー菌根菌によって5倍のスピードで稲が成長できたとして、生産量があがり食物の供給が著しく効率的になって、農業の効率としては数字として上がるのだとしてもそれがそのまま人類の栄養状態を健全にしてくれるものとは思いません。と言っても、僕は農業の専門家でもなんでもありませんから何もハッキリとしたことは何も言えないのですが、それでもひとりの消費者というか、食べなきゃ生きていけない人間のひとりとしてそう感じてしまいます。どうなんでしょうね?

思い出したのは、CSで放送している週間鉄学という番組に、先日、自然農法で腐らない野菜を作っているというナチュラルハーモニーの代表、河名秀郎さんがゲストに出ていました。その中での話に、生産量は上がっても、人間が採るべき栄養成分の供給量が上がっているかどうかは疑問・・・という話がありました。食べる・・・という行為は栄養を採るために必要なものなのに、皮肉な話ですね。昔と比べて農作物が含む栄養素の量が少なくなっているということはよく聞く話ですが、それが実際にどういうことを意味しているのか?河名さんは番組の中で、大根を例にとって、自然農法で作られたものがそうでないものと比べると圧倒的に丈夫であるということを実物を持ってきて見せてくれました。何年も経っているにも関わらず、河名さんが作っている大根は腐らない。巧く発酵してくれて漬物のような状態にはなるのだけれども腐らない。逆に普通に(本当は逆なのかも)作られた大根は数日で腐敗してドロドロに融けてしまう。見ていてけっこう衝撃的でした。

河名さんの説明によれば、大気中には無数の微生物が自分の住みやすい場所を探し求めていて、自然農法で作られた作物に落ち着く微生物と、普通に作られた作物に落ち着くものとでは異なるのではないか・・・ということでした。もちろん自然界には善も悪もなく、ただそれぞれに対して引き寄せられてくるものが異なる・・・ということであって、人間が丈夫な身体を保ちたいのであれば、丈夫な作物を作る方法で育てられた丈夫な農作物を食べていれば、自然とその人の身体に引き寄せられるものも変わってくるのだそうです。隣同士の田で別々に作られている稲の様子も見ましたが、台風の強い風に稲がのきなみなぎ倒されている隣の田でまったく動じることなくすっくと立ち続けている自然農法の稲の力強い姿を見て、もしかしたらこれが最近僕もたびたび意識している本来というものに近いことなのかもしれないな〜なんて思ったものです。

果たして5倍のスピードで稲を成長させるという菌の力によって、人類の栄養状態が保たれるのだろうか?なんとなく自然の本来性から離れていってしまうような気がして、正直少し気味がわるく感じてしまう。もし人間が5倍のスピードで成長したとしたらどうなんだろう?たぶんそれは病気、または変異とみなされ、歓迎すべきこととは受け止められないのでは?と個人的には思ってしまいます。同じ生き物の範疇にいるはずなんだし・・・。

河名さんの方法で作った果物をドライフルーツにしたものも紹介されましたが、それはそれはとても美しい、まるでアートのように感じてしまう印象的な姿(姿として表現したい)で、腐ってしまうのでもくずれてしまうのでもなく、ただその姿のまま美しく枯れていく・・・という印象のものでした。河名さんいわく「こういうものを食べて生きていけば、病気に苦しむこともなく、これらと同じように人間も枯れるようにして死んでいけるのではないか」・・・そうかもしれない。食べるという行為は、生き物が生きていくということのみならず、いかに健全に死んでいけるか?ということにも関係するもののように思います。

人間の身体も採りいれるものによって左右される。そんなことを考えていると、よく親たちが口にする言葉をひとつふと思い出しました。親はよく子に対して「ちゃんと食べなさい」と言いますが、それは本当は、食卓に出されたものを残さず食べるということを子供に念を押すとことではなく、採るべき栄養をきちんと採らせるという意味での親の責任を思い起こさせる言葉として口にされるべきなのではないか?・・・個人的にはそんなふうにして捉えたいです。

本当は地球の持っている潜在能力って全人類を充分に養っていけるだけの能力があるのだと聴いたことがあります。でも世界の何処か・・・というよりも、いたるところに飢えている人がどの時代にも常にいる。作物を5倍のスピードで成長させるというのは確かに画期的なことなんでしょうし、何かしらの希望をそこに感じる人もいるのかもしれません。でも、豊かなはずの地球上になぜ飢える人たちが絶えないのか?なぜ充分に食べているはずの人たちも健康でいられなくなることがあるのか?そのあたりに答えを示唆してくれるものは、果たして何処にあるのだろう?

昔に見た映画、ソイレントグリーンが暗示していた未来の食環境・・・あんなに切迫した状況って果たして起き得るのだろうか?食べるということは毎日当たり前のように為されている習慣なんだけど、でももしかしたら僕ら大人も子供も問わず、人間は食べ物が自分の口に入るまでのプロセスを、もっともっと直視したほうが良いのではないかな?結局人間は土から離れては生きていけないはずなんだし・・・何かと考えさせられるニュースでした。
 
posted by フランキン at 12:32| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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