2009年11月16日

「お辞儀」という行為と「礼砲」という行為

オバマ米大統領が14日に皇居・御所を訪問した際に天皇、皇后両陛下に対し行った「深々としたお辞儀」が米国内で波紋を呼んでいるのだそうです。保守系メディアは米大統領の外交儀典上、不適切だと批判し、大統領の際立った低姿勢ぶりに疑問を投げかけているのだそうですが・・・

お辞儀という動作が日本においてはどんな起源を持つものなのか? このニュースを見て改めて勉強になりました。お辞儀は、相手に自分の首を差し出すことにより、自分には「敵意がない」ということを印象的に象徴する意味を持つ「平和的」な動作であるようです。

日本人にとってはごく日常的な行為であるお辞儀にこのように相手との間で明確な意味があるのだということを知り、とても潔く、そして他との関係性を大切にしようとする日本人の心を感じたような気もしました。と同時に、何度もペコペコとお辞儀を繰り返す、ある種「典型的」な日本人の姿にはお辞儀を批判するのと同じぐらいのズレみたいなみのも感じてしまいました。

ずいぶん昔のことですが、東西冷戦のさなか、アジアで初の五輪開催となった72年の札幌冬季オリンピックの時に開会式で自衛隊砲兵による礼砲連射が行われました。しかしその後、平和の祭典に相応しくなかったという批判が起きたことがあります。

しかしその後、ベストセラーになった「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著)という本の中での話によれば、西洋文化の中での礼砲の意味は、港などで昔の艦船や港との間で礼砲が撃たれたのは、起源となった当時の大砲がどんなものだったかを考えれば理解できるとのことでした。

大航海時代などに砲艦に据えられた大砲に次の砲弾を込めるには、いったん砲を引き退かせなければなりませんでしでした。つまり艦船では、舷側の窓から一度大砲を引っ込めなければならなかったのです。
(パイレーツ・オブ・カリビアンとか見てるとわかりますよね)

一度撃ち放った砲を引っ込めずに出しっぱなしにして入港するということは、自分の大砲には砲弾が装填されていない状態であることを相手にはっきりと伝えることになり何よりも敵意がなく「平和」を象徴する行為でした。そのあたりの背景から考えれば、礼砲が平和的ではないとする批判はむしろ本末転倒であったことと感じられます。

ある種の行為についての是非を起源まで遡って見る時に、ほう、そうだったのか・・・という新たな気づきや、認識の修正ができたりすることがあります。

オバマさんのお辞儀も、そういった意味を理解してもらうなら、多少は自国保守派からの風当たりも違うのではないでしょうか? もちろん政治的な批判というものは探してまで行われるものですから、このお辞儀についても格好の突っ込みどころになってしまうのかもしれませんね。

外交というのはある種机越しに握手と笑顔を交わしながら、机の下では蹴り合っているようなものですね。そのどっちも大切なんでしょうが、笑顔も握手も、そして「お辞儀」も、オバマさんのように潔くできるということは、決して悪いことではなく、かえって良好な関係を育む
前向きな姿勢を感じて好感がもてます。

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posted by フランキン at 14:51| 静岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 大航海時代などに砲艦に据えられた大砲に次の砲弾を込めるには、いったん砲を引き退かせなければなりませんでしでした。つまり艦船では、舷側の窓から一度大砲を引っ込めなければならなかったのです。
(パイレーツ・オブ・カリビアンとか見てるとわかりますよね)

一度撃ち放った砲を引っ込めずに出しっぱなしにして入港するということは、自分の大砲には砲弾が装填されていない状態であることを相手にはっきりと伝えることになり何よりも敵意がなく「平和」を象徴する行為でした。そのあたりの背景から考えれば、礼砲が平和的ではないとする批判はむしろ本末転倒であったことと感じられます。

の部分。言いたいことは判るし、動機の解釈は良いが、物理解釈が違う。

昔の大砲・鉄砲は入口と出口が同じ。
筒の先から弾を込める。
武装解除で「中身は空」を証明するには、あさっての方角に込めてある弾を撃って中身を空にしなきゃならん。

撃たないということは「いつでもぶっ放せるぞ!」ということ。

文章は異なるが同じ意味のことが「日本人とユダヤ人」に書いてあるはず。出典が同じだけれど、思いっきり物理解釈が間違ってます。
Posted by 空弁者 at 2014年09月02日 14:47
空弁者さん、はじめまして。

「日本人とユダヤ人」を読んだのはもうずいぶん昔のことですが、札幌オリンピックの礼砲への批判が的外れであるということについて、目からウロコガ落ちるような思いがしたものです。

ところで、

>昔の大砲・鉄砲は入口と出口が同じ。
>筒の先から弾を込める。
>武装解除で「中身は空」を証明するには、あさっての方角に込めてある弾を撃って中身を空にしなきゃならん。

>撃たないということは「いつでもぶっ放せるぞ!」ということ。

コメントありがとうございます。昔の火器につしいてのご指摘は、まったく仰るとおりです。それを踏まえての全く同じ意味で書いたブログ記事のはずなのですが、そうは読み取ってはいただけなかったのですね。投稿した僕の文章力の問題でしょう。いずれにしましても、コメント、深く感謝いたします。
Posted by フランキン at 2014年09月11日 01:17
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