2009年10月30日

たぶん良いことなのかもしれない。

目の前で自分に向かって何かを振り上げられたら思わず目をつぶってしまうとか、頭を両手でおおって打撃を避ける動作をしたりするなど、無意識のうちに防衛的な動作が起こるとともに表情筋もこわばり、それなりに恐怖や恐慌をきたした表情になるものです。

昨夜、人気ドラマだという「交渉人」という某女性刑事もののドラマを見ていたのですが、場面としては大変緊迫した状況であるはずなのに
どこか見ていて醒めてしまうのは、なるほどそうか・・・そういった当然あるべき無意識の表情や動作が全く表現しきれていないからなのだということを改めて感じました。

拳銃という圧倒的で殺人的な凶器が自分に向けられても、そこに登場している人たちの表情や動作の中に、本来ならば感じているはずの「恐怖」がどうしても感じられない。だから根本のところでリアリティが欠落してしまい、どんなに入れ込んでつくられたと言われる脚本によるドラマであってもどこか茶番に映ってしまう。

海外の、とりわけ米国の映画やドラマの中では、コメディ的なものでない限り、銃口の前で虚勢をはったり、銃を手にした人間の良心に訴えて事態が好転する可能性に賭ける場面などもはや絶対にあり得ません。おそらくそんな筋書きはナンセンスそのものなのでしょうし、演じている俳優達自身も、銃器の恐さを完全とは言えないまでも、ある程度理解し、感じた上で表現しているからなのでしょう。
(韓国の映画がこの点でリアルに感じられるのは、俳優達が徴兵等で、実際に銃にふれた経験を持っていたりするからかもしれませんね。構え方ひとつとっても、日本の作品類とは雲泥の差に見えます。)

でも、たぶんそれはいいことなのだろうと思います。要するに、どれほどリアリティを増そうと頑張っても頑張っても、日本の映画やドラマではそれが表現・反映できないほど、まだまだ銃の恐さを現実のものとしては捉え切れない・・・要するにその脅威から今のところは遠ざかっているともいえるのかもしれませんね。急激に悪化はしているようではありますが・・・

まあ、ドラマはドラマ・・・硬いこと言わずに楽しめばいいのかもしれませんが、ただ、こういう本当の「恐さ」を伝えきれないドラマや映画の中で、まるで簡単には撃たれないはずであるかのような・・・撃たれても簡単には死なないかのような・・・そんな実際の恐さが欠落したままのエンターテインメントは、果たしてそれを見つづける人たちの社会にどんな影響を与えるのかな?などと考えることがあるのも事実です。

恐さに鈍感になってしまうこと・・・痛みをとらえきれないこと・・・当然、自分についてだけでなく、他人についてはますます想像できなくなっていく。そんなことはないんでしょうかね?

恐さを知っているということが必ずしもいいことだとは思いませんが、知らずに過小評価してしまうような風潮も、もしあるのだったらちょっと気になります。どうせ銃を振りかざすドラマを作るのなら、最低限度の恐さはある程度感じられるようにしたほうがいいのでは…

あくまで僕の勝手な思いですけど・・・

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posted by フランキン at 11:19| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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