2009年10月01日

「恥ずかしい」と「恥ずべき」というワード

「SUPER SURPRISE木曜日SURPRISE 怒っと JAPAN」という番組をたまたま見てしまいました。
 
民主党の田中美絵子衆議院議員の過去について騒ぎが世間ではまだあるらしいですね。もう過ぎたことなのかと思ってました。確かに選挙前にすべてを明らかにしておいたなら、今のような騒ぎは回避されたのかもしれないですね。でも、ただそれだけのことだったのではないでしょうか?批判する人たちが口にする言葉にどうも腑に落ちないワードがあります。

「恥ずかしい過去も事前に示すべき」
「恥ずべき過去をなぜ隠していたのか」
「ここまでひどいとは思わなかった」

などなど…これってちょっとどうなんでしようか?恥ずかしいと本人自らが思うことと、他人から恥ずかしいと思うべきであるとされるのとでは大きな違いがありますし、自分はともかく、他人が様々な感触を抱く事柄については、どうしても慎重にならざるを得ない社会に僕らは住んでいると思います。慎重さの表れ方も様々で、田中議員の場合はあれが彼女の判断であったわけだと思います。

選挙権を持っている国民の中には様々な職業の人たちがいます。では、もし田中議員の過去として挙げ連ねられているような職業と同じ職種にある人たちや同じ過去を持つ人たちは、みんな「恥ずべき」人たちなのでしょうか?その人たちは、そうではない「健全な」過去の人たちよりも自分のことを恥ずかしい人間として意識して生きなければならないのでしょうか?

もちろん、田中議員について個人として怒りや失望を感じることそのものはそれぞれ各々の問題であって自由だと思いますし、どちらも自然な反応です。でも、こういった感情を助長するために元気に動き回る週刊誌やマスコミさんたちの示している姿に、日本の社会というのはいつでも差別に走る準備が出来ているような悲しい、そしてつまらない闇を感じます。

【恥ずべき】→ 恥じて当然な。当然恥ずかしいと思うべき。

七夕しぐれ

この本でも読んでみたらいいと思う。


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posted by フランキン at 19:40| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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