2009年09月25日

静かな闘い、そしてなぜかプライベートライアン

 オバマ米大統領が提案した「核兵器なき世界」を目指す決議を、国連安全保障理事会が全会一致で採択したというニュースがありました。率直にいって、こういうことをハッキリと提示できる人物を僕は凄いと思う。

 世の中は何事についても当然賛否両論を超えた様々な考えや思惑があるわけで、そういう中で国際的なコンセンサスに至ることは至難の業であろうことはこれまでの歴史を振り返ればすぐに見て取れますが、つねに問題山積みの国際政治とかいうものの観点からではなく、政治家でも軍事評論家でもなんでもないひとりの小さな人間であるフランキンとして、本来はどうありたいのだろう…?というもっと単純なところからこの快挙を高く評価し、拍手を贈りたいと思います。

 ちょっと跳びますが、なぜか思い出すのは10年ほど前に見たスピルバーグの映画「プライベートライアン」でした。国威発揚映画では?などという意見も時に見られますが、僕は全くちがった印象を受けています。数ある印象に残るシーンから3つほどとても意味を感じ考えさせられる瞬間を思い出しました。

●ひとつは、弾丸が尽きた機関銃座ある部屋の中で米兵とドイツ兵が素手で一対一の格闘をする場面。押さえつけられた米兵の左胸に銃剣があてがわれる…「やめてくれ」と懇願する米兵…慰めと侘びの言葉らしきものを語りかけながら静かに銃剣を差し込んでいくドイツ兵…

●もうひとつは、戦闘中にドイツ兵と間近で鉢合わせし、銃を向ける間もなく互いにヘルメットを投げつけあう場面。ふたりはヘルメットを相手にぶつけた後拳銃を向け合う。

 このふたつの場面は連続していて、見ていた僕がその瞬間に感じたのは、「いったいこの二人はなぜ戦っているのだろう?」ということでした。「もうやめればいいのに」…お互いに殺されたくないし、殺したいわけでもなく、ただ敵味方と何処かで誰かが定めた区分のもと、殺し合いをやめられない…。

●そしてもうひとつは、なぜ危険を冒してライアン二等兵を探すという任務をつづけるのか?ミラー大尉が部下に語る場面です。故郷では教師だった彼は、戦場では自分が何者であるかは全く無意味であり、部下が命を落す度に、自分の中でつくり上げざるを得なかった「言い訳」をしながら自分の置かれた状態を合理化しています。
 ミラー中尉は言います。「自分は変わってしまっていて妻が顔を見ても多分わからないだろう…でもこの任務を果たしたら、妻のもとに胸をはって帰れる気がする。」

 殺し合うことに意味を感じ続けることなど人間はできるのだろうか?日々血を流し合い、友が倒れていくのを目にし、自らも死の恐ろしい予想と闘いながら正常な精神を保ちつづけ、依然としてこれには大義が伴うと確信し続けられるのだろうか? ミラー大尉の言葉は、人間性を喪失しつつある自分の今に対して、何とかして意味を見出そう…創り出そう…という身をよじるような想いを感じます。

 現実に戦争が一度も起きなかった年は、第二次大戦後は一度もないと聞きます。人と人が相対した時に「殺されたくも殺したくもない」というのが、人間としての「本来」に近いのであると仮定すれば、いかにその「本来性」からかけ離れた歴史を積み重ねてきたのだろうと考えてしまいます。

 オバマさんの「核兵器なき世界」の決議が採択されたこと…実現には確かに多くのハードルがあるのでしょう。でも先にも言ったとおり、僕はあまり複雑に考えたくはないのです。むしろ単純に「もうやめればいいのに…」という感覚を大事にしようよ!と言いたいです。だって本当は、あの小さな部屋の中で侘びながらナイフを刺していった兵士や、ヘルメットを投げ合った兵士のように、その人たち同士の間には殺しあう必要なんて何ひとつないんだし、そうであれば、そのための道具もなくたっていいはずなんだから。

 こういうことを書くと、「現実は甘くはないんだよ」…「あなたの家族が殺されたらどうなの?」…「左翼的だね」とか言われて一笑に伏されそうです。実際には日本においてさえも核武装すべきだというような意見も前よりも積極的に語り始められています。ではそういった「現実的」な考え方は、何を生み出してきたのでしょう。有史以来戦争がなかった年はごく僅かでしかありません。先にも言いましたが第二次大戦後はおそらく皆無です。それをつづけていくんでしょうか?

 もしかしたら、政治や経済…そういったことではなく、もっと違う観点から人間は自らの存在を見つめなければ、今後も数百年数千年と、有様は変わらないのでしょうね。世界はバラバラに見えます。バラバラであれば敵が現れるということはいつでもあり得ます。でも、100年前、数千年前とはちがって世界の有様はますます見えるようになっているはずですよね。人間は本当にバラバラなんでしょうか?そろそろ問いかけるべき時期じゃないのか…?甘いとか理想だとか言われても、僕はそう思うことをやめたくないです。

大好きな歌の中に、鈴木雄大さんの曲で「静かな闘い」というのがあります。911テロの後に作られた曲。世の中はその逆の道を行きましたが…

 僕に勝ったら君がうれしいのなら
 僕は負けてもかまわないんだ
 君がもしも僕を愛さなくても
 それが君ならそれでいいんだ

 …

 僕に勝ったら君がうれしいのなら
 君と闘わなきゃいけないのかい
 君が僕を愛さないのは
 僕が君の敵だからかい

 …

 闘わないことが 僕にできる戦い




本当にあるのかわからないけど、僕らが本来いたはずの場所をさがすのをやめてしまったら、きっと時代の流れっていうやつに、またとんでもないところに連れて行かれてしまうのだろう。「もうやめようよ」…争いのための準備を続けるのは…


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posted by フランキン at 16:24| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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