2009年09月21日

「エコ」「地球にやさしい」という言葉

ブログの記事を、とあるSNSの中でもUPしてるのですが、
9月14日の日記「真夜中の巨大物体」を読んだ皆さんから、風力発電にちなんで、「エコは大切」なことであるという趣旨のコメントをいくつかいただきました。別に「エコ」に反対しているわけでは全くないんですが、いい機会なんでここに自分なりの今の感覚をまとめておきたいと思います。
(SNS内での僕のコメントを編集したものです。)

数年前に住んでいたのが伊東市の荻でして、ちょうど寝室の窓から真正面に伊豆カントリークラブの風車が見えました。緑の中に白い風車がポツン…実はこう風景、あながち嫌いではなかったりします。なのでいつのまにか撤去されてしまったのに気づいた時には正直ちょっと寂しく感じたりもしました。

なので美観云々でその是非を論議するのは人によってまちまちな主観の問題にすぎず、ナンセンスだと思ってます。(もちろん、複数が乱立するようなのは違和感大ですが・・・)ただ、「エコ」という言葉がどことなく水戸黄門の印籠のような効果を持つ世の中…すこし落ち着きを取り戻してみたいなとも思います。

誰もがエコだエコだといいながら疑いもせずに推奨されることすべてを鵜呑みにしていき、自分は地球のために「いいことしてる」と思い込んでしまったら、きっと何か大切なことを忘れ置いて気づかなかったりすることもあるんじゃないかな…そんなことも感じています。最近思うのは、「地球にやさしい」とか「エコ」などという言葉の持つある種の健全なイメージに、あまりとらわれたくないな…ということです。

「地球にやさしい」とは、決して「地球のためになる」ということではないですよね。「地球に害になることを少しだけ少なくする」ということですよね。つまり相変わらず害になることを続けているのに、あたかも「地球のために」何かをして地球を保護しているかのような錯覚を感じさせられます。

「エコ」とか「地球にやさしい」などというワードが存在しなかった昔の時代…人間はそんな言葉を知らずとも、今よりももっともっと効果的に「害を少なく」とどめ、食料を含め、さまざまな資源を無駄にはしていなかったと思います。もちろん、エコ活動に励むことは良いことだと思いますし、僕も賛同します。でも、自己満足やら自己欺瞞に陥らないようにしたいと思いますし、「エコ」というイメージを利用した企業戦略などにも過度に踊らされないようにしたいです。

「不都合な真実」…僕も見ました。とても強い危機感を感じました。同時に、この映画でのゴアさんの取り組み方を見て、環境問題に真正面から向き合っている姿に感動しました。特に彼が自分の子供の事故が転機となって、環境問題に取り組む姿勢を強めていったいきさつはには心を動かされ、誰もがそういった真剣さを持つべき深刻な時代に来てしまっていると僕も感じました。

「不都合な真実」の中には不正確な点があるという指摘もありますが、だからといって、あの映画の中で提供されている情報の方向性と認識は、今誰もが注意を向けるべきことだと信じています。
このまま進んでいけば、取り返しのつかない事態を未来の子孫に負の遺産として残すことになってしまうというのは多分真実なのでしょう。

であるからこそ、生半可な「つもり」になるだけの「エコ」には、反対はしませんが常にその真実性に対する「問い」を心に持ちたいと思っています。もちろん「エコ」を叫んで活動している個々の人たちや様々なグループの真剣さを否定するつもりはありませんが…

相手は地球環境であって、人間の科学の力はまだまだその一部しか把握できておらず、果たして今が温暖化に向かっているのかはたまた逆に冷却しているのではなどという意見もあり、科学者の間でさえ意見が紛糾しているようです。ということは、こと環境問題について真剣に考えるなら、自分の行っている活動(行為)が本当に問題を解決したり軽減することにつながっているものなのかどうかなど、常に謙虚に振り返り、新たに何かの事実が明からなるとともに行動の修正が必要とされるようなことがもしあれば、進んでそうするだけの柔軟さが求められるのではないかと思います。「エコ」を語ること、環境を傷つけないこと…大切なことです。だからこそ、その「エコ」や「環境意識」が水戸黄門の印籠になってはならないのでは?と思います。

誤解していただきたくないのですが、だからといって「エコ活動」は無駄だなどとは決して考えていません。先日、あるテレビ番組の中で環境の話題が取り上げられ、その中で国連環境計画特別顧問の末吉竹二郎さんが言っていたことに僕も同意します。言葉としては忘れましたが、趣旨としては、「温暖化なのかそうでないのか?どちらにしても、人間は何かをしなければ大変なことになることに気づきはじめている。だから環境問題についての現状認識には様々な違いがあるものの、何もしないでいるわけにはいかない。もしかしたら温暖化は進まないということもあり得るのだろうが、その場合今取り組んでいる様々な努力が無駄になったとしても、私はそれをうれしく思う。大歓迎のミステイクだ。」というような意味でした。僕も同様に思います。何かしなければならないところに来ているのは事実だと思いますので…

結局環境の問題というのは、「方法」の問題ではなく、僕ら人間ひとりひとりの「生き方」が問われているのだろうと改めて思いました。ひとりひとり生き方、ひとつひとつの家族の在り方、そして政治や行政がやはりその「生き方」を踏まえたうえで取り組んでいく時にはじめて何かが変わるのかもしれないなぁ〜などと考えています。 それに僕自身、もっともっと勉強が必要だなとも思っています。
posted by フランキン at 13:12| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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