2013年04月27日

朝の光に貫かれるということ

見ることもなく過ぎていった満月・・・突然生じた磁場に絡め取られたような夜が解かれて建物の外に出ると、雲ひとつない空には朝の光があふれていて、また今日も世界は変わらずに始まったのだと知る。手のひらを太陽に透かしてみる・・・生きているということは、光に貫かれて色を感じることであり、何もかもが動きを止めず其処に同じく在り続けるさまを日々確認することなのだと、ふと思った。
posted by フランキン at 09:58| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

4/25のノアノアは「茶色の小瓶と緑の地球」です!

の花の時季が過ぎて、
伊豆はツツジかわいいの季節を迎えています。
暖められた大気は湿り気を帯びるとともに
太陽の光を淡く拡散して、
目を向ける風景のあちこちがぼんやり
なんとなく白く膨張して感じられます。

わずかに時をずらしながら、
次々と封印を解かれるようにして花ビラをひらく・・・
淡くぼんやりと白く感じられる風景の中に
それぞれの色をしっかりと映えさて咲く花々は、
ひとつひとつがささやかに春を彩りながら、
この季節そのものを咲き輝ぴかぴか(新しい)かせて見せてくれます。

茶色の小瓶と碧の地球

気持ちの良い季節・・・
そんな中、次週4月25日(木)のノアノアは、
第4木曜日にお贈りすることになっている、
茶色の小瓶と碧の地球
JAA日本アロマコーディネーター協会提供で、自然とアロマ、
そして地球を感じるトークと音楽でお贈りしている
月に一度のコーナーです。

今回は、JAA法人会員
株式会社ネオナチュラルの代表
高柳昌弘さんに、お声を届けていただきます!

岐阜県郡上市の里山に位置する有機農場で
心を込めて手と大自然の中で育まれた
国産オーガニック・・・
ナチュラルなライフスタイルを愛する人たちが求めるものを、
此処では幾つもみつけられそうです。

健やかであること、自然と親しみながら、
生き物である人間として、
自分自身も自然の一部であることを忘れない・・・
何かを作るにしてもそれを人々に届けるにしても、
作り手・送り手の側の在り方というものが、
受け取る人々の心には働きかけてくるものです。

お話をお聴きする前から、
次週の「茶色の小瓶と碧の地球」・・・
楽しみになってきました。

今回の放送でも、素敵なリスナープレゼントがあります!
畑からお届けする国産オーガニックスキンコスメ、
ラーネネオナチュラル
ヒーリングスキンケア7点セット

(楽天市場 年間オリジナルコスメ大賞 2年連続大賞受賞)
を抽選で3名の方に!
ラーネネオナチュラル  ヒーリングスキンケア7点セット
プレゼントご希望の方は、
「ヒーリングコスメ希望!」
と書いて、郵便番号・住所・氏名をご記入の上、
エフエムCiao!、ノアノア宛にご応募ください!
詳しくは、番組の中、そして終了後のCiao!のプレゼントホームページから!
こちらもドシドシご応募くださいね!

posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 茶色の小瓶と碧の地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨の翌日の伊豆高原・・・風の伝説

一日中降りつづいた昨夜の雨は今朝にはすっかりあがっていて、午前の太陽のやわらかな光にわずかに彩度を増して映える辺りの草木の緑がその名残りをとどめている感じの伊豆高原です。樹々の枝が風にゆれるのに誘われて窓をひらいてみると、小鳥たちが会話する声とともに、ちょっとだけ冷たい空気の流れが入り込んで部屋に広がりながら肌にひんやりと触れてきます。水平線があるはずの遠くに目を向けてみる・・・冬の間ははっきりと見えていたはずの海と空の境い目もこの時季にはぼんやりと霞んでしまうことが多い・・・空と海・・・空色と水色が混じり合い、そこに白色の幾筋もの帯が風に放たれ、視界の端から端までゆるぅ〜くたなびいているようなこの感じは、そのまま春の象徴でもあります。ゆるやかな風と光、そして地と海に吸い込まれていった昨夜の雨の気配・・・今朝の伊豆高原には「風の伝説」のメロディが似合います。
posted by フランキン at 10:19| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

伊豆高原のレインメーカー

朝から灰色のままで特に重さを増すわけでもなかった窓の外の風景が、夕方になってぐんぐんと動き始めました。パタパタと音をたてながら窓ガラスに飛びついてくる雨粒が、さっきよりも風が強くなってきたことを知らせてくれます。ガラスについたばかりのひしゃげた雨粒が小さな光の曲折を幾つも作り出して、風景はいったん不透過になるのですがガラスが濡れ切ってしまえば再び元の見え方に戻っていきます。空には視界に収まらない大きな動きが感じられ、西の方角からうねりを伴った灰色の濃淡が速い速度で東の方へと移動していきます。そうしているうちにも、雨粒はさらに大きくなってきたらしく、落ちてきては軒先を打つその音がちょっとした鼓笛隊のドラムのようです。伊豆高原は雨と風・・・それもまた好し・・・です。



シェアした動画は、この時間の空の表情を伺いながら思い出したナンバーなのだけど、ずいぶん昔にCDショップで見つけた日本ではあまり知られていないEliza Gilkysonのアルバム、Legends Of Rainmakarの中のリードトラック、Song of the Rainbow Warriorという曲です。ちょうどBonnie Raittがグラミー賞を獲得した1989年に手に入れたアルバムなので、きっとElizaがBonnieの友達でもあるという繋がりで日本のCDショップの店頭に並んだのかもしれません。実際このアルバムにも、Bonnie Raittが参加していますしね。

Song of the Rainbow Warrior≠ヘ、Eliza Gilkysonのかなり個人的な経験から生まれた歌のようなのだけど、僕はなぜかとても惹かれるのです。伊豆に住むようになって、空を見つめることが多くなったのは確かなことで、見つめる時間が長くなればそれだけその移り変わりに面白味も感じるようになるものです。水と大気はこの地球の其処此処で動きを停めることなく廻りつづけ、人間はその巨大な循環の中で、空の表情を見つめ、伺いながら生きているのですよね。生まれ育ったカリフォルニアを離れ、ニューメキシコのサンタフェに移り住んだ彼女がネイティブアメリカンの人々とのつながりで感じたことや学んだこと・・・Eliza Gilkysonにとってそれらがどんな働きかけをもつものだったのかは想像するしかないのだけど、伊豆に移り住んだ僕がこの数年間抱いている感覚にも、きっと重なるものがあるんじゃないかなぁ〜などと、ちょっと勝手に考えていたりもします。^^

〜Song of the Rainbow Warrior〜

1969年の事
私はすべてをまとめ、カリフォルニアを後にした
向う見ずな転がる石
60年代の落とし子
偉大なる未知の世界へと向かった
私が探し求めていたのはレインメーカー
かつて彼が故郷と呼んだその土地で

サンタフェに転がり込み
流れに逆らった私は
土地の住民と知り合った
彼らは自らの夢を食べて生きている
心を解き放つ優しい手
笑い声が私を包む
そしてレインメーカーの伝説が
私の魂に窓を開いた

私は虹の兵士だった
愛と希望と変化が住むという
雲に覆われた峡谷を超え
また一人、虹の兵士が
雨乞いの舞を踊る

砂漠の中では分別も色あせ
所有欲はいつのまにか消えてしまう
太陽が照り付け、地を焦がし
私は毎日 種を蒔く
レインメーカーの名を呼び
儀式の舞を踊る時
夜の轟と雨雲の中に
その答えが下された

私は虹の兵士だった
アイと希望と変化が住むという
雲に覆われた峡谷を超え
また一人、虹の兵士が
雨乞いの舞を踊る

(訳詞 丸山京子 アルバムライナーノートより)
posted by フランキン at 16:54| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

雨に濡れても

伊豆高原・・・昨夜から引きつづいて少しだけ冬に戻ったような冷たい雨が降っています。いささか勇み足な感じで暖かさが増し、桜の花も足並みが揃い切らずに咲き切れなかったようにも思えるこの春のスピードを此処いらでちょっとばかり緩めて、ペースを取り戻すのに必要な足踏みを数歩だけ許してね・・・っていうような感触があって、冷たいのだけど今日の雨は心地好いです。

こんな風に明け方前からの雨に見舞われるとあちこちで目にするのが、「今日は生憎(あいにく)の雨」・・・という言葉なんですが、人の営みの多くが晴れた空の下で成されるものだからこその不都合を軽くいなす表現なのだと思います。ところがこの「生憎の雨」・・・という言葉を目にする度に、「そうかな?」と、心の中で応じている自分がいるのも確かなことで、今日みたいな雨の降りやまない日には、自分はやっぱり、雨がそれほど嫌いでもないのだなぁ〜となどと再び思い直してみたりもしています。雨の日、不都合、予定変更・・・という風に連鎖する感覚には、紛れもなく、足踏み、停滞の感触が漂うのだけれど、宇宙と地球の営みそのものである天候の変化にはどうしたって人間は適わないわけで、あっさりと負けを認めて今日という日の空の様子を、「そっかぁ、それなら」・・・とそのまま受け止めてみると、身近な風景の中に雨の日ならではの様々な趣きに気づけるような気さしてきてかえって楽しくなってきます。



雨の日には日常の見えない呪縛が魔法のように解かれて、本当に大切なものが再び意味を持ち、カタチを成し、顕わにされてくる・・・そしてそれらを心に留め直すだけの時間を自分に許すときに、僕はシンプルさを取り戻してふたたび自由にされる・・・だから僕は雨の日が好きなのだとやっぱり思うのです。シェアした曲は、Burt Bacharach作曲、雨の日ソングとしてはすっかり定番のナンバー「雨に濡れても」Raindrops Keep Fallin' On My Head・・・B. J. Thomasの歌で1969年のアメリカ映画「明日に向かって撃て」の挿入歌でもあります。
posted by フランキン at 11:08| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

津田令子の旅の香り 2013.4/18放送後記

津田令子の旅の香り 2013.4/18放送後記

津田令子の旅の香り スタジオ風景
津田令子の旅の香り スタジオ風景

旅の形態は、ひと昔前のお仕着せ型から、それぞれの感性を満たし自ら選択するセレクト型に変わってきました。はるか昔、全国から、庶民が伊勢神宮目指し、一生に一度は、お伊勢参りと、伊勢神宮に押しかけました。いわゆる、おかげ参りのことです。そういう意味では、詣でることイコール旅することといえる時代だったのではないでしょうか。命がけでお伊勢様を目指していた頃とは一変した現代の旅の形態についても語り合いました。

そもそも人は、なぜお金と時間を費やしてまでも旅に出るのでしょうか。言い方を変えると旅に何を求めるのでしょうか。そのあたりのヒントは、南信州飯島町にあると、個人的には思っています。お電話に出ていただいたのは、南信州飯島町で旅人とかかわり続けているお宿陣屋社長の三石宏之さんです。三石さんは飯島町観光協会の会長という立場でもあります。

長野県上伊那郡飯島町 お宿陣屋
長野県上伊那郡飯島町 お宿陣屋

三石さんは、飯島町は、南アルプスと中央アルプスの二つのアルプスの見える町で、自然環境抜群、飾り気のない素朴な心からおもてなしのできる町ですと、誇らしげに語ってくださいました。以前から、言っているとおり、飯島町は、暮らすような旅の実現可能な町なのです。余計なものが、ひとつもない飯島町の未来は、無限大です。

生活の中に溶け込む中央アルプス

5月16日のノアノアな風をうけて津田令子の旅の香りのテーマは、旅の日に因んで、「旅と文学」です。5月16日は、なぜ旅の日なのでしょうか。それは、松尾芭蕉が、曽良を伴って奥の細道に出発した日を、旅の日ということに決めたとのことです。旅の日に日本旅のペンクラブの総会を仙台で行います。その準備に追われている会場と電話をつなぐ予定です。旅の日に旅について、大いに語り合いたいと思っています。旅と文学についてですとか、小説やエッセイに登場する場所をたどる旅の想い出など、お便りを、募集します。どんなことでもよいので、お便りお待ちしています。

本日番組で紹介した本をお伝えいたします。
遊覧日記、富士日記 武田百合子著
東京文芸散歩 坂崎重盛著
焼き餃子と名画座 平松洋子著
です。
興味のある方ご一読いただければです。文学と旅のかかわり方が、とっても面白いのです。
posted by フランキン at 09:13| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 津田令子の「旅の香り」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

4月18(木)のノアノアは、津田令子の旅の香り!再び信州飯島町です!

旅の香り


今週の4月18日(木)のノアノアは
第3週目の木曜日・・・
トラベルキャスターの津田令子さんをお迎えしての、
津田令子の旅の香り、の生放送です。

スタジオから電話をつなげる先は、
3月の旅の香りと同じく、
再び、信州は、ふたつのアルプスがn見える町、
長野県飯島町です!

お声を届けてくれるのは、
飯島町観光協会会長、そして、
お宿陣屋取締役社長でもある、
三石宏之(ひろゆき)さんです。

posted by フランキン at 22:34| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 津田令子の「旅の香り」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月12日

薬缶を火にかけ湯を沸かすということ

数日前のことだけど、60人程の人たちが飲めるようにと湯茶の準備をする機会があり、久しぶりに大きな薬缶で湯を沸かすことになったのですが、この湯を沸かす≠ニいうとっくに馴染んでいるはずの行為が、そのとき僕には妙に新鮮に思えたのでした。思えば電気ポットを使わずに湯を沸かすという、このごく日常的な動作を最後に行ったのはいつのことだったか?僕は思い出せません。

小さな頃を思い起こすと、屋根の下には必ず何かしらの火があって、そこには薬缶がいつでもかけられていたように思います。寒い日の石油ストーブや火鉢の赤い火の上で静かにコトコト音を立てながら湯気を上げていた薬缶の周りには、引き寄せられるようにしていつも誰かしら人の姿があり、顔や手を温めながら背中の冷えをしのぎつつ、あれやこれやと言葉を交わしていたものです。

大きな薬缶を火にかけるということ・・・茶を入れるにしろコーヒー・紅茶を入れるにしろ、カップ麺を作って食べるにしろ、必要とされる湯をその人数を思い描いて量を決め、両手に水の重さを感じながら薬缶を火にかけて湯が沸騰するまで待つという、その一連の流れには、現に其処に在る必要≠充たしているという真っ直ぐな実感を伴うムダの無さを感じます。

記憶の中の風景を辿ってみると、薬缶というのは何時でも熱の温もりと湯のありがたみを感じさせてくれる生気の源のようで、どことなく太陽に似ているなぁ〜・・・などと思います。そうすると薬缶と人との関係というのは、真ん中に置かれた太陽と、個々に光や色など個性を異にしながら周回する幾つもの惑星から成る太陽系のようなものだと捉えることもできそうです。

小さな火があって、その上で大きな薬缶が静かな湯気をあげる。このシンプルな風景になんとなく安心感のようなものが感じられるのは、意識しているか否かに関わりなく、地球というひとつの惑星が、他の個性あふれる星々の家族と共に太陽の周りを廻りながら常に正面と背を入れ替えながら暖められたりまた冷えてみたりとを繰り返す営みを、身を以て経験している馴染深さに重なるからなのかもしれません。The Solar System(太陽系)・・・ごくごく身近な生活の道具との関わりの中に、宇宙のしくみを感じてみる・・・そういうのも、「有り」だと、最近の僕は思います。
posted by フランキン at 11:03| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月04日

4/4(木)ヴァイオリン弾き牛山玲名〜ノアノアに初登場!

4月というのはJokeのようにしてやってくる・・・
4月1日・・・という日付をカレンダーで目にすると、
「ホントかよ!はやいなぁ〜」なんてついついつぶやいてしまう
月日が経つのは本当に早いなぁ〜と思います。

さて、4月初めてのノアノアは、
4月4日(木)の午後2時から・・・
素敵なゲストがスタジオまで来てくれます。

牛山玲名(Leina USHIYAMA)

様々なアーティストのスタジオレコーディング、ライヴサポート、
CMやドラマ・ゲーム劇中曲のレコーディング、
ミュージカルなどに参加し、近年では自身の名義での
Jazz&Pops LIVEの活動、また作曲やストリングスアレンジと、
幅広く、そしてエネルギーに溢れた活動を展開中の、
ヴァイオリン弾き、
牛山 玲名(Leina USHIYAMA)さんです!

ヴァイオリンというと
先ずはクラシカルな音楽をイメージすることが
多いと思うのだけど、
まるで豪快なエレクトリックギターの
リードソロに身をゆだねているような気分にさせられたり、
ヴァイオリンという楽器が奏でる音に
生きた新しい個性と受け継がれた古性が重なり合って、
彼女の音楽はカテゴリーやジャンルの
枠をフワリと飛び越えたり、スルリとすり抜けたり、
ガツンと壊しては造りなおしてみたり・・・
そんな自由な躍動と、型にはまらない
天真爛漫さに溢れています!


1stアルバム
Moh Moh Live!! Live1

をひっさげて、4月4日(木)・・・
牛山玲名・・・初登場です!

番組参加のTeitterハッシュタグは #noa2
お時間の許す方は是非〜!

サーチ(調べる)番組はサイマル放送(インターネット)でも生放送されます。
サイマル放送の聴き方
サイマルラジオのサイトに行く
東海 → Ciao!熱海の放送を聴くをクリック
メディアプレーヤーが起動してお聴きいただけます。

サーチ(調べる)iPhoneユーザーは愛ポンでも聴けますよ♪ ←聴き方はこちら
お楽しみに〜るんるん次項有

ひらめきiPhoneユーザーにはこちらのアプリもお薦め

radio jp

ありがたいことに静岡の地域に、
エフエムCiao!が初めからプリセットされています。
お楽しみに〜!!
posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

花たちのふるまい

昨日に引きつづいて、今朝の伊豆は冷たい雨の中にあります。僕の目の前には、海側に面した隣の空き地にポツンと立つ細くて小さな一本の桜の樹があります。はじめの内は何の樹なのか意識することもなく、ただ年ごとに背が高くなり、やがて窓から見えるせっかくの海の風景を遮るようになってくると、厄介なところに植えられた樹だなぁ〜などと思いはじめたものです。そんな厄介モノに思えていたその樹が、海数年前にはじめて花をつけて以来、毎年、近隣の華やかな桜並木の満開に少しだけ遅れて、ただ独り・・・殺風景な空き地の中で満開の桜を見せてくれるようになりました。こうなると、自分もじつに現金なもので、今ではその小さな桜の樹がじつに若々しく健気で、見ていると応援したくなるような気にさせられます。

自宅近辺の桜の様子を広く見渡せば、今年のさくらの季節は、ちょっとだけ淋しかったかも・・・そんな感じがします。伊豆高原のさくら並木通りのソメイヨシノは、イメージしていた満開に達するより先に緑の葉をつけはじめてしまいました。いつもなら空が見えなくなるほどのさくらのトンネルが、この春ばかりは疎らな隙を残したまま花の季節も過ぎていきそうな様子です。

草や樹が花を咲かせるということってそれは誰のためなのだろう?・・・そんな風に考えてみると、多分それは誰の為でもなく、その草や樹、自身のためなのかもしれません。

太陽の周りを公転する軌道に対する地球の傾きと、それにより廻りくる季節に応じた光の量や大気の変化など、人が肌で感じ取れるものだって多々あるにしても、きっと中には人間には感知しきれない自然界からの働きかけというのも現に在って、植物は、自分を取り巻くそのときどきの環境とありさまをそのまま受け入れては、その中で生きていくのに最も自然でふさわしいと思えるふるまい≠オている・・・そういうことなのかもしれません。

だとしたら、花の少ない桜の季節・・・そういうのも桜の樹の趣くままに有り≠ネのであって、人が自分の趣向や都合で意義を唱えることなんてできない生き物の在り方≠見せてもらっているようなものだという想いにも至り、人は、自分の視点や期待を脇に置いて、目にする周囲のありのままを受け止める・・・そんな謙虚さが自分の内にもあったのだと、思い起こさせられるような気がします。

何となく淋しく過ぎていきそうな桜の時季・・・森となり林となり並木となって連立する樹々からは独り離れて窓の外の空き地に佇む小さくて細い桜の樹。やはり満開を過ぎて、今朝は冷たい雨と少し強めの風の中で枝を揺らしています。それでも花びらはしっかりとまだついたままで、今この瞬間を咲き切ろうという意志のようなものを感じます。それがこの樹が表す、この春の、そして今朝のふるまいです。その花の様子は、それを見る人へ確かに働きかけてくるように感じます。でもあの花は、僕の為でも他の誰の為でもなく、あの桜の樹自身のために咲いているのだと、今朝は改めて想いに留めたのでした。
posted by フランキン at 09:26| 静岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする