2013年03月29日

器の中の小宇宙〜古奈青山の海老そば

伊豆長岡、ホテルサンバレー富士見 古奈青山の海老そば

宇宙が具合い良くまとまって器の中に・・・
伊豆長岡は
ホテルサンバレー富士見内の創作中国料理レストラン
古奈青山で味わった、
1ミリのズレもない完璧な味わいの海老そば・・・

まさに絶品でございました〜!(^ν^)
posted by フランキン at 11:37| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月28日

3月28日(木)さくらの時季の「茶色の小瓶と碧の地球」!

伊豆高原のかわいいの満開・・・もう秒読みです。
ひとつひとつはごく小さな花でしかない桜の花びらが、
幾重にも重なり合って層を成し、
どこへ目を向けても仄かなピンク色に覆われた風景が
間もなくあちこちに現出するはずです。

もしも人の五感に限りがなく、
起きていることの何もかもを感覚することができたとしたら、
きっと陽を受けた桜の幾つもの花びらがひらく音の重なりも、
何処からともなく耳に届く風の音のように
季節のエネルギーの発露として聴こえてくることでしょう。

さて、そんな春と桜の花が舞う
伊豆のラジオ局から発信するノアノアな風をうけて
その第4木曜日にお贈りすることになっているのが、
茶色の小瓶と碧の地球
JAA日本アロマコーディネーター協会提供で、
日本中で活躍中の30000人以上の
アロマコーディネーターをつなぎながら、
自然とアロマ、そして
地球を感じるトークと音楽でお贈りしている
月に一度のコーナー・・・
今週は3月28日(木)PM2時に生放送スタートです!

茶色の小瓶と碧の地球

電話でスタジオに声を届けてくれるのは、
賃金を得る職業としてのアロマセラピストになれるよう
知的障害者や精神障害者の方々を支援する活動を行っている、
アロマ就労サポート スイミー
青木恵美子さんです!

嗅覚をメインに置いたアロマという学び・・・
思考よりも先に感覚の鋭さに香りは届きます。
そういう意味では、知的な障害を持つ方々も優れた五感と
感受性をお持ちなはず・・・
そういった皆さんに、どんな形でアロマをを仕事に結び付けて
指導し、サポートしておられるのか?
お話を聴けることに今から僕もネロリもワクワクしています。

そして今週も、JAA法人会員の企業様から、
リスナーの皆さんにプレゼントがあります!
今回のプレゼントは、アロマスター株式会社より、
マスク用アロマスプレー2本セット!
香りはグレープフルーツとペパーミント&ユーカリです。
3名様分をご用意いたしました。
マスク用アロマスプレー2本セット!
プレゼントご希望の方は、
「アロマスターのアロマスプレー希望!」
と書いて、郵便番号・住所・氏名をご記入の上、
エフエムCiao!、ノアノア宛にご応募ください!
詳しくは、番組の中、そして終了後のCiao!のプレゼントホームページから!
こちらもドシドシご応募くださいね!

posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 茶色の小瓶と碧の地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月26日

鳥たちの言葉遣い

鳥たちにも言葉があるのだということは、春を迎えた伊豆の風景のあちこちで囀り合っている彼らの様子を見るとよくわかります。鳥の声というのも人間のそれと同じく、ある瞬間にそれを発しているか発していないかのふたつにひとつ・・・OnとOffなのであって、声を発するということにはそうさせるだけの何かしらの衝動があるはずで、個体としての鳥が声を発するよう動かされるということは、その衝動には方向性があって、多分そこにはちゃんと意味もあるのだと思います。人の耳にはみんな同じ囀り声にしか聞こえないとしても、鳥たち同士はちゃんとそれを聴き分けることができているのかもしれません。

僕には彼らの言葉はわからないのだけど、不思議なもので、声というのはニュアンスを伴っていて、春を迎えて桜もあちこちで満開に近い伊豆で、今この瞬間に聴こえてくる声を発した鳥たちの楽しげな気持ちは、なんとなくだけど感じ取れるような気もします。

手が届きそうなところからふいに僕の目の前に飛び出してくる鳥たちの、声を掛け合いながら競うようにして飛び去っていく様子には、人間などが入り込めない鳥たちだけの世界のようなものが其処にはあるのだとつくづく感じさせられます。中伊豆の田園の中を通る県道を走っていると、そんな鳥たちの世界とニアミスを経験することがあります。

今朝、ちょうど冷川の峠を越える辺り、緩やかなカーブに合わせてステアリングを左に切り、再び中央に戻して道が登りになって今度は逆にカーブしながらひと山越えようとすると、カーブの先の死角からふいに一羽のスズメが道を横断しながら車のフロントに向かって来てかすめるように飛び去っていきました。フロントガラス越しに左下方から右上方へという角度で横切って行った一羽の後につづいて間髪を入れずにもう一羽がその後を追って飛びだしてくると、その一羽はさらにフロントガラスに接近して危わや衝突!?・・・と思いきや、そのスズメは絶妙な羽根さばきで自分の動きに緩急をつけ、一瞬空中にホバリングしたかのようにブレーキをかけるとゴールに迫ったストライカーがディフェンダーを巧みな動作でかわすようにして僕の車とスレスレに飛んで後ろへと飛び去っていきました。その間、一瞬ですが、空中に止まったように見えるスズメと、間違いなく目が合った°Cがしました。

小鳥の言葉はわからないけど、気持ちはなんとなくわかる・・・今朝の場合は、声は交わしたわけではないのだけど、人である僕と鳥であるあのスズメとの間では確かに瞬間的な意思の交換のようなものがありました。所謂、アイコンタクトみたいなものですね。軽快なフットワーク(羽根さばき)で僕の車を交わしたあのスズメ・・・確かに、「アラヨっ!ホイサっ!」・・・と、言っていました。
posted by フランキン at 09:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

意識の水面で引き合うもの

深夜1時過ぎにかかってきた電話・・・理由があるから時間を選ばない。受話器の声に耳を傾けながら、驚いたことに僕の中にも語るべきものが整然と沸き上ってくる。

想いの中に深く浅く漂いながら言葉として表される機会をジッと待っていたかのように、意識の水面でバラバラに思えていたあれこれが表面張力に引き合いながら近づき、次々と繋がってはパズルのピースがはまるようにカタチを成していく。それらのすべてが、ここふた月ほどの間に読んだ本や映像の中でふれて心に残したイメージや想い、そして言葉だったり・・・「ああ、あれらのすべては、この瞬間のために手にしたり出会ったりしたものだったんだ」・・・そんなことってありますよね。結局、対話は4時近くまでつづくことに。

人間は何事にも意味を求めずにはいられない生き物のような気がしますが、その意味というのは、後になって付されるものなのか?それとも、元々そこに在るものに後になって気づくものなのか?はたまた、ある瞬間に生ずるものなのか?いずれにしても、聴きながら語りながら、意味が腑に落ちてくる感覚が僕の中を何度も通って行きました。

ともあれ少し睡眠不足な朝・・・でも、意味が深く感じられる朝・・・皆さま、おはようございます。
posted by フランキン at 10:28| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月24日

ただ「今」に応じて「在る」という姿勢にすぎないのだとしても・・・

伊豆高原のさくら並木を走りながら、昨年残しておいた動画です。日付は2012年4月7日・・・この日付を見ると今年はかなり桜の開花が早かったのだと実感します。



前にラジオにゲストに来てくれた、遺伝子レベルで植物を研究し、今ではアロマセラピーと農との関わりをテーマとした活動をライフワークとしている和田文緒先生の言葉がとても印象に残っているのですが、彼女は植物について敬意を込めてこんな風に言っていました。

「植物は、とても戦略的に生きている」・・・

なるほどな~と思いました。根を下ろしたその場から動くことはできないにしても、その場で幹を成長させて枝を伸ばし、葉をつけて花を咲かせ、華やかな花の時季を過ぎて来年へと生き延び、ふたたび花をつけるということ・・・季節が巡り来るのは変わらないにしても、毎年微妙に変化する環境の中で命を保つためには、きっと自然の中での命懸けのありさまが在るのかもしれません。

今日は2013年3月24日・・・動画の残った去年の日付よりも12日くらいは早く花ひらくことに決めた∴ノ豆高原のさくら並木の樹々たち・・・この数日の速い遅いの違いにも、人間があずかり知ることのない戦略とも言える、人智を超えた判断のようなものがあるのでしょうか?たとえそれが、ただ「今」に応じて「在る」という姿勢にすぎないのだとしても、それ自体に、やはり敬意と愛着を覚えてしまいます。

青い空の色と見事なコントラストを成して華やかに咲き輝く桜の花たち・・・もしかしたらそれは、生のカタチが僕らとは全く異なる樹々や花たちの「いきざま」そのものなのかもしれませんね。伊豆高原・・・満開まであとわずかです。
posted by フランキン at 23:39| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「おみせやさん」という言い方

道に面した店舗・・・というよりも「オミセヤサン」と呼ぶ方がしっくりと似合って感じられる風景が、昔は何処の町の道筋にもたくさん見られたものです。毎日行き来する道筋にはごく身近な人々の営みがあって、町に住む人々が互いにその必要を賄い合うかのように、それぞれの個別の必要に特化した「お店屋さん」がありました。その名残りがきっと、今も普通に使われている「八百屋さん」とか「魚屋さん」、「パン屋さん」「お菓子屋さん」「パーマ屋さん」(^^)といったような「お店屋さん」の呼び方なのかもしれません。昔と比べれば遥かに便利な世の中になった現代の大きなスーパーや、あちこちで流行りの何でも売ってるドラッグストアの中の「〇△◇売り場」などという表現とは、なんとなく違った温もりが感じられるように思います。

日々の必要を賄ってくれる「店」というお金とモノのやり取りの場所に「・・・屋さん」と付けて言い表す言葉が成り立ってきたプロセスには、それぞれ必要を賄い合いながら生きる人々の暮らしの中にあった持ちつ持たれつ∞お互いさまというような感覚、そして人と人の関わりの中にあった距離の短さ、尊敬や感謝のような想いも表れているように感じます。

人と暮らしと生業の今昔

昭和の街並みの風景を求める映画の撮影などにも選ばれることが多い伊東市の街中を車で走っていると、「ああ、確かこんな感じだったなぁ~」・・・というような風景にふと目が惹かれることが度々あります。信号待ちのわずかな時間・・・車道に面したガラス戸の向こうのこじんまりと秩序の保たれた小さなスペースの中に、人と暮らしと生業を通じて関わり合ってきた人々の温もりを感じました。
posted by フランキン at 22:46| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月21日

「津田令子の旅の香り」・・・テーマはふるさと、卒業、旅立ち

春分の日の今日・・・このブログを書いています。
です。
家にいても車を走らせていても何処にいても、、
その空気に肌でふれてみたくて、
ついついを大きく開け放ちたくなります。
まぎれもなく春に舞う伊豆の空気が其処にはあります。

旅の香り

ノアノアという言葉の中には、
季節ごとに移り変わる風の中に含まれる
草木や花、雨の感触など、
めぐる自然のそのときどきの息づかいをとらえて表現した言葉だといいます。

この季節・・・旅人たちは、
それぞれに訪れた先で何を感じとり、
何を想うのでしょうか?

・・・それは始まり、
新たにされること、芽生え、旅立ちの時季でもあり、
同時に、卒業と別れ、つながりの糸が今までの半分になり、
遠く、細くなることは避けられないように感じながらも、
その文字の通り、大切な人たちとの「絆」の強さを、
再び心にしたためる温かな日々のことを意味します。

そして其処には、さまざまな旅の風景も、
深くかかわってくるものです。
この春・・・あなたはどんな旅を経験しますか?
文字通りに旅することが叶わなくても、
人は思いと心の中で「思索」という形での旅を
経験することだってあります。
何処にいようと、人は遠く近くの幾つもの場所を訪れることができます。
音楽と、香りと、色と光と・・・幾つもの変化が触媒となって、
人は心の中にスクリーンを輝かせ、道をたどることができるものです。
その先にあるのは・・・出会い?冒険?癒し?
それとも、故郷(ふるさと)でしょうか?

今週の3月21日(木)のノアノアは
第3週目の木曜日・・・
トラベルキャスターの津田令子さんをお迎えしての、
津田令子の旅の香り、の生放送です。

テーマはふるさと、卒業、旅立ち、うつろい・・・です。
それでは、トラベルキャスター津田令子さんからの
番組コーナーメッセージをお届けしますね。

みなさんにとって、「ふるさと」ってどういうものですか。新年を「ふるさと」で迎えるために、決まって暮れに訪れる場所なのでしょうか。お盆に、たくさんのお土産とともに帰る場所が、「ふるさと」なのでしょうか。

そういう意味での「ふるさと」を、東京生まれの東京育ちのわたくしは、持ち合わせていません。でも「ふるさと」って単なる場所を指しているだけなのでしょうか。そうだとは思えません。とかく「ふるさと」イコール「田舎」って思ってしまいがちです。でも、ちがうと思います。

「ふるさと」イコール「都会」ってことだっておおいにありうるのです。「ふるさと」とは、生まれ育った場所であることはもちろん、それと同時に、心の拠り所みたいなものなのではないでしょうか。

旅を生業としているわたくしの生まれ育った「ふるさと」は、ひとつでも、心の「ふるさと」は、いくつもあります。そのひとつが、長野県飯島町です。みなさんは、どんな瞬間に「ふるさと」を感じますか。そして「ふるさと」を意識しますか。

今回の「旅の香り」は、心の「ふるさと」について、そして、「ふるさと」を想う瞬間などについても、みなさんとお話できたらと思っています。

電話をつなぐのは、わたくしの心の「ふるさと」のひとつでもある長野県飯島町役場の産業観光課長唐沢さんです。ふたつのアルプスの見える町というキャッチフレーズの飯島町の魅力についてお話いただきます。わたくしが、どの瞬間に飯島町を、心の「ふるさと」と思ったのかも、お話できればとおもっております。

津田礼子


posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 津田令子の「旅の香り」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月17日

「ウォレスへ・・・マリアより」〜あの夜を経て遺された100年前のヴァイオリン


中学生の頃に、たまたまテレビで放映された「SOSタイタニック」(原題 A NIGHT TO REMEMBER 1958,英)という映画を見て、僕は初めてこの船のことを知りました。

少年だった僕の目から見ても、絶対に沈むことはないとされたこの巨大豪華客船が、その不沈神話とともに初めての航海に大西洋へ乗り出し、ニューヨークへと向かう北大西洋上で氷山と衝突・・・星降る空の下、多くの乗客たちとともに氷海へと消えていったという物語は、自分が生まれる遥か昔の出来事とはいえ、あまりに劇的過ぎる運命的な船と人々、そして人類の物語に感じられ、僕はタイタニック号のことをもっと知りたくなり、当時はもっと数の多かったなじみの書店を数件ハシゴして、一冊の本を見つけました。旺文社の分厚い文庫本・・・それが、題名もずばり「SOSタイタニック」(ジャック ウィノカー編集)という本でした。タイタニックに乗船し、あの運命的な夜(1912年4月14〜15日)に遭遇しながらも、辛うじて救助された人々が綴った迫真の手記を編集したもので、単なる体験談のみに留まらず、生存者としてあの事故を振り返り、不沈船と云われたタイタニックがなぜ沈むに至ったのか?についての詳細な検証と、それらを教訓として二度と同様な悲劇が起こり得ないようにするために、技術的なことだけでなく法律的にも整備すべきと思える幾つもの点を指摘した提言までをも含んだ分厚い本でしたが、僕は夢中でその本を読んだのでした。

ふたつの「SOSタイタニック」・・・最初に見た映画もその後に読んだ本も、双方とも極めてドキュメンタリー的な感覚であの世紀の海難事故の詳細を振り返るものだったことから、1997にジェームズ・キャメロン監督、レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット主演で公開された映画「タイタニック」を見た時の印象は、あの夜にあの船に乗っていた実在の人物たちを周りに配し、ジャックとローズという架空の男女の悲運のラブストーリーを描いたものという印象が強く、極めてエモーショナルな大作映画なのだけど、初めてタイタニック号のことを知ることになった「SOSタイタニック」を見た時ほどの心揺さぶる印象には及ばなかったのが僕の最初の感想でした。

しかしよく考えてみると、1513人もの犠牲者を出してしまった事故・・・そのひとりひとりに人生があったことを思えば、ジャックとローズのような若い男女もきっと幾人もあの船には乗っていたはずで、命を落として海に消えていった犠牲者の数の方が生存者のそれを上回るような悲劇であったことをからすれば、もしかしたら其処には、今では知られることもない幾組ものジャック&ローズがいたのではないか?・・・映画館で「タイタニック」を見て、後にDVDの発売とともにもう一度見た頃には、きっとそうだったに違いない・・・と思えるようになり、あのジャックとローズが、あの夜に終わりを迎えてしまったかもしれない幾組もの悲劇のカップルを象徴するふたりのようにも思えてきたのでした。

そこでこのニュースです。英国のとある民家の屋根裏から発見された、ひとつの古い古いヴァイオリン、それはあの夜に、沈みゆくタイタニック号の上で演奏されたものであるといいます。「ウォレスへ、婚約を記念して マリアより」・・・と銘打たれた銀製の飾り板、そしてあの悲劇の夜に絶たれ、別たれたふたり・・・。ウォレスとマリアのふたりは婚約中で、そのヴァイオリンは婚約の記念としてマリアからウォレスに贈られたものだったのだといいます。氷山の衝突からわずか2時間40分で沈んでしまったタイタニック号の悲劇の現場、凍える海の上で、救命ボートの絶対数そのものが全く足りていない緊迫した中で船外退避を指揮する航海士たちにより、一等船客の女性と子供を複数の男性船客よりも優先して救命ボートに乗せるという方針がとられたという事実も思い起こせば、愛し合い将来を誓い合った若い男女とはいえ、ひとりが助かり、ひとりが命を落とす・・・というような現実が実際には幾つも起きていたのかもしれない・・・ということは、容易に想像がつきます。このニュースに接して、映画の中のジャックとローズが、僕にはこれまでよりもさらに現実の血の通った温もりを帯びた存在として感じられました。

これまでも多くの人々が語り、また、タイタニックのことを考える時に誰もが思うことなのでしょうが、ある出来事とが100年を超えて語り継がれるようになるということ・・・其処には、個人の生涯を超えた人間の歴史と未来全体に渡る意味合いが含まれているように感じます。100年前の北大西洋上での出来事・・・その現実のストーリーは今でもその事実にふれる人にある種の緊迫感を抱かせます。

絶対に沈まないはずの船は、英国のサウサンプトンから初めての航海へと船出し、目的のニューヨークにたどり着けないまま氷点下の海へと消えていきました。犠牲となって命を落とした多くの人たちからすれば、100年を経た今も新大陸アメリカの港は見果てぬ夢のまた夢となったままです。あの透き通るような星降る穏やかな夜、氷点下の海に投げ出され、夢を絶たれたジャックとローズのような若者たちは果たしてどれほどの数に昇ったのでしょう?「絶対」という言葉の不確かさ・・・人間の業績にこの言葉を付されて語られ、それを目にする時、耳にする時、極めて明快で信頼性の高さを滲ましながら感じられるこの表現には、それを発する人間の驕りを伴っていることが、歴史の中には幾度も繰り返されてきたのだということ、僕らは思い起こすべきなのかもしれません。

ローズのことを気遣い、氷海に消えていったジャック・・・救助されて命を長らえながらも、その後いつまでも独身を貫いて生きたローズ・・・奇しくも、このほど発見されたヴァイオリンをタイタニックの沈没と共に死んでしまったウォレスにプレゼントしたマリアも、1939年に亡くなるまで生涯独身を貫いたのだそうです。下記にURLをリンクした曲は、1997年版の映画「タイタニック」のテーマとしてセリーヌ・ディオンによって歌われたMy Heart will go onを、Neal Schonがギターインストルメンタルとしてリリースしたものです。

posted by フランキン at 00:27| 静岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月14日

震災チャリティシングル「息吹き」のメンバーが再びノアノアに!

第4木曜のノアノアは
JAA日本アロマコーディネーター協会提供の
茶色の小瓶と碧の地球
明日3月14日(木)は第2週ですが、
このコーナーからのスピンオフ企画としてお送りします!

昨年12月の「茶色の小瓶と碧の地球」にご出演いただいた
シンガーの余目澄美代が、
東日本大震災復興支援チャリティCDとしてリリースした
「息吹き」(シングル)に参加している他の仲間の皆さんと、
再びゲスト出演していただくことになりました!



スタジオに来てくれるのは、
ヴォーカルのの余目澄美代(あまるめ すみよ)さん
豊智子(ゆたか ともこ)さん
高久夏美(たかく なつみ)さん
そしてアレンジャーの三上智子(みかみ ともこ)さん
の4人の方々です!

震災チャリティシングル「息吹き」メンバー サーチ(調べる) ←クリックすると大きくなります。

震災ボランティアで体験した様々なこと、
その中から生まれたCD「息吹き」のこと
そして、アロマのこと・・・
素敵な4人の仲間たちから、
どんな話が飛び出してくるか楽しみです。

番組参加のTeitterハッシュタグは #noa2
お時間の許す方は是非〜!

posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 茶色の小瓶と碧の地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

河津桜・・・祭りのあと

ピークの時季を逸してしまったけれど、午後に少し時間ができたので河津までしばしのドライブ・・・混み合うような人出ではもうないのだけど、川沿いをゆっくりと歩きながら河津桜の名残りを楽しもうという幾人もの人々と肩を並べました。

「すみません、カメラのシャッター、お願いしてもいいですか?」と、少し外国語のイントネーションを帯びた、でも丁寧な日本語で声をかけられました。振り向くと大学生くらいのメガネをかけた若者がいました。「もちろん、いいですよ」と僕。少し葉の緑がチラチラ増え始めた、でもまだまだたくさんの花を咲かせた河津の桜の樹を背景に、彼は河津の空気と景色と往き過ぎる人々の温もりを胸いっぱいに満たすようにして両手を目いっぱい広げて笑顔を見せてくれました。「どちらから?」「台湾です」「おお〜!こないだのWBCの試合、頑張ってたね〜凄かったね〜」「そうですね〜!」・・・世界の中のピンポイント、伊豆半島の時季を過ぎた河津の桜祭りの後・・・人もまばらになりつつあるこんなところにも、思いがけないふれあいがあるものですね。

ピークは過ぎてたけど・・・河津さくらサーチ(調べる) ←クリック

↑上の画像は、あんまりにも小鳥たちの会話がはずんで聴こえるので、その姿を探すつもりでiPhoneを向けた桜の枝・・・それを透かして感じる空の青が清々しかった。

A River Runs Through It ←クリック

桜の花びらがさらりするりと水のおもてを流れていく・・・祭りのあとのさみしさを少しだけ感じながら・・・A River Runs Through Itです・・・河津にて。
posted by フランキン at 00:20| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月12日

中伊豆の道のヴィンセント

早朝に中伊豆を走ると、道の両側に広がる田畑の風景の中にポツンポツンと民家が建っていることに今更ながらに気づいて急に新鮮な気持ちにさせられます。

何度も何度も通っているはずの道で、どうしてこんなに清々しい生気を覚えるのだろう?どうやらそれは、秋が過ぎて以来、冬のあいだは色を失くしていた田畑の広がりの中に立つ農家の庭や人々が行き来する小道沿いに立つ木々が、春を迎え、其処此処で絵筆がふるわれて仄かな桜色が束ねられるようにして花ひらく様子に目を惹かれるからかもしれません。

心の中にキャンバスを広げ、ゆっくりと過ぎていく少しだけ遠くの風景を切り取っては想像上の絵画を縁取っていくと、通い慣れた伊豆の道を走りながら、左右に展示された何枚もの「展覧会の絵」を鑑賞しているような気分にも浸れます。

誰もが目指す観光のスポットというわけでもなく、走り慣れ見慣れた風景がただ連続していく中に、少しずつ、でも着実に色を取り戻していく中伊豆の田園風景・・・伊豆の道を車で走るなら、他のどんな旅にも言えるように、目的とした場所だけではなく、そこまでの途中の風景が与えてくれるものを大切に見つめたい・・・そんな気持ちにさせられます。

絵心のある人は、この彩りの変化をどんな目で見つめるのだろう?思い出されたのは、Don McLeanがヴィンセント・ヴァン・ゴッホのことを親しみを込めて歌った、Vincent (Starry, Starry Night)≠ニいう曲です。心惹かれる風景の前に立ったとき、ふ・・・と、かつて目にしたことのある絵画とその描き手の心がわかったような気持ちになったりすることはありませんか?今朝通った中伊豆の道は、そんな気分を僕の中に生じさせてくれました。

posted by フランキン at 10:35| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月08日

「彼方より」・・・佐田玲子さんとのノアノアな1時間。

アッという間の一時間に感じたノアノアでした。佐田玲子さんの新しいミニアルバム「彼方より」の曲をひとつひとつたどりながらのOnAirでしたが、全5曲のこのアルバムが感じさせてくれるのは、誰もが感じるに違いない人生の流れの途中・・・ふりかえることのできるものが幾つあるだろうか?というという感覚かもしれません。

佐田玲子さんがノアノアに!
佐田玲子さんがノアノアに!

ラストナンバーでアルバムタイトルでもある「彼方より」は、日系2世、3世の方々が入っているアメリカの老人ホームの風景から生まれた曲でした。一度も見たことのない遥かな彼方にある場所を故郷として想うということ、そういう観点から見つめる「ふるさと」というのもあるのですね。戻ることのできないところまで歩いてくるということ・・・人生というのはどの瞬間もすべてが「途中」なのだと思えば、戻れないところにまで歩いてきてふりかえる故郷というものは、人のそれまでのその歩みの確かさを感じさせてくれるひとつの「標(しるし)」のようなものかもしれません。心にふれる詩に風景を感じる、佐田玲子さんの想いがこの曲には溢れています。とても静かに・・・彼方、そして故郷を感じる歌でした。

佐田玲子 ミニアルバム「彼方より」

ちなみにこのアルバムの2曲目に収録されている「ひだまり」という曲・・・他の4曲の中ではこの曲だけが少し異色な感じがします。元々は中村ブンさんの四畳半フォークともいえる昭和の味わいがたっぷりの曲なのですが、こういう曲が、今の日本人には必要なのではないかな?・・・なんて思います。人間の・・・男の弱さを隠さない・・・ダメだとわかっていても止められない女の優しさは弱さなのか強さなのか?昭和の時代には、こんな風に人間のありさまを包み隠さずに絶妙な言葉に置き換えた曲がたくさんありました。「ふるさと」や「人生」を歌いつづけるということ・・・そこには、ただキレイに、健やかに、前向きでポジティブに・・・というだけではなく、時には恥ずかしさに身を切られるような思いをも音と詩と声によって昇華するということも意味するのだと思います。

歌って本当はそんなものなのだと思う。佐田玲子さんの歌との関わりに、僕はそんなことを思いましたた。
お聴きいただいた皆さん、番組にメッセージを寄せていただいた皆さん、ありがとうございました!

1月23日リリース 佐田玲子ミニアルバム「彼方より」
http://www.reikoland.com/discography.htm
posted by フランキン at 00:59| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月07日

3月7日(木)のノアノア、ゲストに佐田玲子さん!

いまこの番組予告の記事を書いている時間、
伊豆高原の空には大気の大きなうねりが寄せていて、
明らかに冬の居場所とは異なるところからの空気の流れが、
冷たい冬の空気を押しのけ窓にあたる
風のつぶてとなって音をたてています。

春に舞う伊豆・・・

もうそれほど先のことではなさそうです。
河津桜かわいいの開花の知らせとともに、
春の訪れを悟りはじめた花たちが、
あちらこちらでほころびはじめています。

さて・・・

3月7日(木)ノアノアな風をうけて
春の知らせとともに
この熱海と湯河原からすれば彼方より・・・
素敵なゲストがスタジオを訪れてくれます。

佐田玲子さん

今年1月23日にミニアルバム
「彼方より」をリリースしたばかりの
ボーカリスト、ソング・ライター
またTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」その他、
幾つもの番組のラジオパーソナリティとしても活躍中の
佐田玲子さんです!
同じくシンガーソングライターとして活躍する
さだまさしさんの妹さんとしてご存じの方も多いかもしれませんね。

佐田玲子 ミニアルバム「彼方より」

3/7のノアノアは、
新しいCD「彼方より」からのナンバーを中心に、
佐田玲子さんのトークもたっぷりとお届けしたいと
ネロリ&フランキンも、
今からワクワクしています!
そしてこの日の放送では、もうひとり、
エフエムCiao!熱海湯河原で活躍中のパーソナリティ
久保田さおりさんも一緒に登場します!
生放送中のリスナーの皆さんからのメッセージも大歓迎です!

番組参加のTeitterハッシュタグは #noa2
お時間の許す方は是非〜!

サーチ(調べる)番組はサイマル放送(インターネット)でも生放送されます。
サイマル放送の聴き方
サイマルラジオのサイトに行く
東海 → Ciao!熱海の放送を聴くをクリック
メディアプレーヤーが起動してお聴きいただけます。

サーチ(調べる)iPhoneユーザーは愛ポンでも聴けますよ♪ ←聴き方はこちら
お楽しみに〜るんるん次項有

ひらめきiPhoneユーザーにはこちらのアプリもお薦め

radio jp

ありがたいことに静岡の地域に、
エフエムCiao!が初めからプリセットされています。
お楽しみに〜!!
posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月06日

シヴィライゼーション・・・そしてフェッセンデンの宇宙

この日記は、少し前に話題になっていたらしいweb記事
サーチ(調べる)「十年間シヴィライゼーション2をプレイしています。これがその結果です。」
を読んで思ったことなのですが、またちょっと長いかもです。

エドモンド・ハミルトンというSF小説家が1937年に発表した「フェッセンデンの宇宙」という物語がとても好きなのですが、簡単にいうと、とある科学者の屋敷の中に創造された人工箱庭宇宙と、それを創造した科学者が辿る皮肉な顛末を描いたショートストーリーでした。

小学生の頃にはじめてこれを読んだ時に覚えた、無限に思える宇宙の広がりのその向こう側へと想像力を掻き立てられて落ち着かない感覚に捉われて受けた衝撃は、当時の僕にとっては実に新鮮な経験でもありました。

「フェッセンデンの宇宙」が僕に及ぼしてきた働きかけは、無限に広がる宇宙の「外側」に視点を置き、スーパーマクロな視点からミクロのものを見つめるようにして、いま自分が生きているこの地球という星と環境のことを考えてみる・・・という「観点遷移」の面白さ、興味深さでした。たとえエンターテインメントとして書かれたSFストーリーであっても、時にそれが大きく意味を帯びて読者に迫ってくることがあるものですが、このストーリーを読んだ小学生の僕にとっては、まさにその種の読書体験であったわけです。

自分の屋敷の中に宇宙を創造した科学者フェッセンデン・・・その小さな宇宙を外側から観察者する者としての彼はやがて傍観するだけではなく、その小さな室内箱庭人口宇宙の中に生まれてきた星系や惑星、その上で育まれてきた生命と進化、文明と社会の発展に自ら関与するようになり、それが物語を悲劇的な結末へと導くことになります。この小さな室内宇宙の中で起きていることは、すべてが自分の手の内にあるという驕り・・・フェッセンデンはこの宇宙を創造し、無数の生命に生存の機会をもたらした自分自身を、「神」の立場にいつの間にか置いてしまったとも言えそうです。

さて、近年はこれと同じようなことを疑似的に体験することができるようになりました。つまりは「都市建設シミュレーション」や「文明育成ストラテジー」など、バーチャルな環境下での世界構築をユーザーに体験させてくれるPCゲームなどの存在です。「シヴィライゼーション」というPCゲームがあるのですが、かなり精巧にそして真面目に作られたもので、僕もずいぶん前に一度入れ込んだことがあります。そのシリーズの「シヴィライゼーション2」を、もし10年間プレイし続けたなら、果たしてどんな世界が出現することになるのか!? そもそもそんなに長い間このゲームを続けられる人がいるなどと考えたこともありませんでしたが、世の中には実際にプレイしつづけた人が本当にいるのだと知って驚かされました。冒頭にリンクしたページは、10年間このゲームをしつづけた結果出来上がった約2000年後の世界について記した、ある英文のページの日本語訳ページです。

箱庭宇宙の創造者フェッセンデンは、自分の手の内にある生命や文明に対して傲慢に振る舞いました。しかし「シヴィライゼーション2」を10年間プレイしつづけたという人物は、シミュレーションゲーム上のこととはいえ、西暦3991年という未来に世界が陥る状況にプレイヤーとして行き詰まり、それに対して自分がいかに無力であるかを嘆いているかのように感じられます。絶え間無くつづく核による戦争と破壊、放射能汚染、地球温暖化、農地の喪失とそれに伴う飢餓が蔓延し、それでも争いをやめられない未来世界、そんな状況からなんとか世界を取り戻したい・・・ということで、彼は自分のセーブデータを公開して同じゲームのプレイヤー達に事態打開の為のアイデアを求め、意見交換を試みたのだそうです。

それにしても、西暦3991年の未来の地球、そして人類と未来社会の姿。プレイヤーの思惑を跳ね返して止まらない世界の暴走ぶりには、たかがゲーム、たかが遊び・・・とはいっても、何やらそら恐ろしいものがあります。もしこの仮想構築された世界に生きる住人がいるならば、いったい彼らはどんな悲惨な日々を強いられていることでしょう。事態のありさまに嫌気がさして、プレイヤーがこの世界をリセットし、何もなかったことにして初めからやりなおそうとする・・・そんな選択もあり得ると思いますが、このプレイヤーはそうはしなかった・・・それがこの世界に住む者たちにとって幸いなのか?不幸なのか?それはわかりませんが・・・

「フェッセンデンの宇宙」は、世界を構築しそれを見守る創造者としての驕りから自ら破壊者となり悲劇を招いてしまう物語でした。では逆に、地球と其処に息ずくものたちを世界の外から見守るような、例えば「神」のような(この話題からすればゲームのプレイヤーのような)存在が何処かにいると仮定してみると、その注視の下でやはりゲームと同様にのっぴきならない未来に至りかねない道を突っ走っているようにも時に感じられる人類のありさまは、その「神」なり「プレイヤー」なりの視点を持つ者の目にはどんなものとして映っているだろう?

物語は時に現実に先行して示唆を与える・・・
ときどき僕はそんな風に思うことがあります。

願わくは、フェッセンデンが作った宇宙でもなく、「シヴィライゼーション2」を10年間プレイし続けた末に見えてきた遥かな未来でもない、現実の地球に構築されてきた人類の社会と歴史に対して、リセットのキーがクリックされるようなことなど、決してありませんように・・・そんなことも考えてしまいます。
posted by フランキン at 14:37| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月02日

春が来た 春が来た 何処から来た?

昨夜の強い風も何処かへ消えた伊豆高原・・・穏やかな朝を迎えています。強い風が吹く度にその翌日には少しずつ暖かくなってくるように感じます。廻る季節の中で、冬はこれから何処へ往き、春は何処からやってくるのだろう? それぞれの居場所があるとすれば、古代の人たちが大風や雷、雨や雪にも、それらが蓄えられている「宝庫」があると、古い詩に謳ったとしても不思議ではなく思えてきます。

人には見えない、つかみきれない・・・そんな個人の感覚の領域を超えた遠いところにある何処かのことを、人はしばしば「彼方」・・・という言葉で表します。それにふれる人に、特定でない場所の存在を表す不確かさを含んだこの言葉には、何もかもが歴然とつかみ切れていなくても、方向さえ感じ取れていれば人は得心できる・・・という、精度にとらわれずに大小のズレを楽しむ余裕のようなものを感じます。

春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た


誰もが幼稚園くらいの時に既に歌ったことがあるはずのこの唱歌の感覚がとても好きです。春になった・・・というよりも、「春が来た」・・・という感覚。彼方より自分が今いるこの場所に春が来てくれた・・・という「迎え」と「受け止め」の感触。

過ぎていく冬・・・訪れる春・・・そのふたつを明確に隔てる線のようなものはないと僕は思うのだけど、でも人は風景の中の幾つもの変化に「兆し」を見てとり、「春が来た」・・・と歌いたくなるような穏やかな解放と高揚を感じるのですね。目にふれてくる木々の芽吹き、花の開花、雲の形の変化や肌にあたる空気の感触・・・今この瞬間の経験が、果たして冬に属するものなのか、それとも春に属するものなのか? 曖昧な中に気づくようにして受け取る「春」の訪れの感覚・・・いい季節です。

伊豆高原・・・とても暖かな日となりました。来てくれた春をもっとしっかりと捉えてみようと、きっとたくさんの人たちが今日は伊豆を訪れてくれるような気がします。3月2日土曜日・・・伊豆の海岸線を走るR135も、少し混むんだろうな。。。
posted by フランキン at 09:43| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする