物語は残り香・・・香りはタイムマシン・・・古代に珍重された香りを今もその頃の記憶の名残を含んで触れることが出来る…そういうのもアロマの楽しみのひとつで、
タイムマシンのような楽しさがあります。そんな楽しさに結びつく多くの物語が収められている古ぅ〜い本はと言えば、バイブルもそのひとつでしょう。
バイブル(聖書)はユダヤ教やキリスト教の聖典ではありますが、
数千年も昔の風景を今に伝える文化の書・・・そんな風にして目を向けてみるとそこにはまた様々な発見があります。フランキンもネロリもクリスチャンではありませんがアロマセラピーに親しんでいくにつれ、次第にそういった知識にも触れることが多くなったりするものなんですね。
ナルド・・・という香油の名を聞いたことがありますか?この香りも、古くからの記憶を伴って今に至っています。今から2000年も前に、その場にいあわせた人々を驚かせたというひとりの女性の行為が、時を経て今でも語り継がれています。それは新約聖書の中に書かれているマリアという女性の物語・・・。マリアといっても聖母マリアのことでも、映画化もされた小説ダヴィンチコード以来よく耳にするマグダラのマリアでもなく、レンブラントの絵画「ラザロの蘇生」で有名な、ユダヤ人男性ラザロの姉妹の
ベタニヤのマリア(Mary of Bethany)のことです。(しばしばマグダラのマリアと混同されていたりします)
キリストが処刑される数日前に、キリストはエルサレムの近くに位置するベタニヤという街を訪れたと言われています。そしてある家でキリストを招いた晩餐が開かれ、その晩餐のさなかに、マリアはひとつの高価で美しい
雪花石膏(アラバスター)の容器を手にキリストに近づき、その中に入っている
ナルドの香油をキリストの髪に注いだのです。現代の精油は、わずか一滴という少量であっても部屋の中の空気を一気に香しく変えてしまうほどの力がありますが、当時の香油が同じ作り方のものであったかどうかは分かりませんが、マリアが注いだ雪花石膏の容器に入っていたナルドの量は
450グラムほどであったとされていますから、きっとその瞬間・・・その家の隅々にまでナルドの香しい香りが漂ったことでしょうね。
さて、その香りが家の中に放たれるとともに、其処に居合わせた人々はマリアを叱りはじめます。「なんのために香油をこんなにむだにするのか。 この香油を300デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」・・・経済観念と善意の気持ちがあるかのように聴こえますが、要は金にならないような使い方をしたらもったいないじゃないか!・・・という感覚だっのかもしれません。1デナリは当時の労働者の
丸1日の賃金に相当する価値をもっていたようですから、その価値は
およそ1年分の賃金に相当するほどに高価なものだったことになります。一世紀当時の世界では、現在の金やプラチナと同様に
投資対象としてみなされてもいる貴重品でした。マリアはこの時、キリストの頭に注ぐことによって
この貴重なナルドの香油を一瞬のうちに使い尽くしたことになります。
この話を、現代の私たちがどのように捉えるかは人それぞれだと思います。でもひとつ言えることは、人にとっては
お金じゃない瞬間というものが時に訪れることがあるんだなぁ〜・・・ということです。この数日後・・・キリストは処刑されたといいます。そしてそれはキリスト自身が予見していたことだとも言われています。当時の彼を取り巻くローマ支配下のユダヤ人社会の状況を考える(バイブルのメシア預言等は抜きに考えても)と、キリストが逮捕され処刑されるというような事態は容易に起こり得ることだったのかもしれません。そのことを薄々感じていたマリアからすれば、イエス・キリストという人物への親しみや愛情を表現する
最後の機会であったかもしれず、おそらくその個人的な愛着を表現するには、マリアにとってそれ以外には考えられなかった最高の方法を選んだということなのでしょう。まさに、
お金じゃない・・・それに換えられない大切な機会に為された心からの行為だったのかもしれません。バイブルによれば、キリストはマリアを叱った周囲の人々を逆にたしなめ、自分の髪に高価なナルドの香油を注いだ
マリアを褒めたということが記録されています。2000年もの時を経て、この
わずかな時間に為されたマリアという一人の女性の親しみある行為が今でさえ語り継がれている・・・そう考えるてみると、この女性はまさに
お金には換え得ないものを手にしてこの世界に名を残したことという風にも考えられますね。
さて・・・この
ナルドという香油。日本では
甘松とも呼ばれ、ヒマラヤ山脈に見られるオミナエシ科の植物(Nardostachys jatamansi)の茎と根から抽出されるものと考えられています。マリアが用いた香油は
純度が極めて高く、非常に高価なものだったと伝えられていることからすると、もしかしたら当時の中東からはかなりの遠方にあたる中国やインドからのものだったとも考えられます。現在、同じ植物から抽出されている精油がバイブルに記されているキリスト時代のものと同じ香りであったかは正確には分かりませんが、それでも、マリアとキリストに関わるこの物語にふれる背景を持つエッセンシャルオイルを私たちが手にすることは、幸いなことに今でも可能です。名称もそのままナルド、あるいは
スパイクナードと呼ばれていて、マリアがキリストに注ぎ捧げた当時ほど高額ではありませんが、それでも比較的に高価な精油の部類に入ります。
もしあなたがこのナルドの精油の小さな瓶を手にすることがあるなら、その香りを香らせる度に、2000年昔のキリスト受難直前のある夜、キリストとマリアと香油の物語を思い出してみてください。訪れた機会に目ざとく気づき、手にある最高のものを用いて最高の時を演出し、彼女にとっては素晴らしい思い出と後に幾世紀にも渡り語り継がれる物語を残したマリア・・・この記事をここまで読んでくれたあなたも、
お金には換えられない人生の瞬間を逃すことなく捉え、マリアと同様に、自分と大切な人たちとの物語を積み重ねていってください。
僕もそうありたいなと思いつつ、記事を閉じます。。。
Mary of Bethany ベタニアのマリアマリア・・・キリスト・・・そして、ナルドの香油・・・物語は残り香・・・香りはタイムマシン。。。
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posted by フランキン at 00:26| 静岡 ☀|
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