2010年11月28日

ジェフリー・ディーヴァーのロードサイド・クロスと、イスラエルの1000人の娘たちの怖い経験



ジェフリー・ディーヴァーの最新刊ロードサイド・クロスを読み終えたぱかりだけど、ブログやSNSを介して発生した殺人事件を描いたものでかなり読み応えのある物語でした。その中で繰り返し強調されていたのは、ブログやSNSの利用において「みんな個人情報をネットに安易に公表しすぎる」というものでした。その個人情報というのは住所や氏名、電話番号やメールアドレスなどの明確なものとは限らず、その個人の性別、人となりや職業、居住地域等々の諸々を示す、あるいは推測を容易にし得る情報の断片であったりと様々です。何らかの意図や悪意のある誰かがいたとして、断片的な情報であったとしても、その人個人に害を及ぼすには充分な影響力をもったものがネットには氾濫しているというのも事実なのかもしれませんね。
ロードサイド・クロス

さて、このニュースですが、イスラエルにおいて正統派ユダヤ教と云われるものに見られる、いわゆる口伝律法というものがフィルターとなり、軍によって監視されていたそれぞれ個人のライフスタイルや行動・嗜好等がかなり詳細に分析されてしまったということのようです。ユダヤ教の聖典にはトーラーつまりモーセ五書といわれる旧約聖書の巻頭に編纂されている五つの書、要するに律法が含まれていますが、口伝律法というのは、その適用の仕方についての後から付け加えられた解釈や規定のことです。

古くから成文化されている口伝律法には、日常生活での習慣に関わる細々とした、実に些細な…とも思える事柄に関わる規定もあり、ユダヤ教をよく知らない我々から見ると実に窮屈で失礼ながらばからしくも思えてしまうような規定も含まれています。現在もそうなのかは定かではないですが、例えば伝統的なユダヤ教では、安息日に仕事をしてはならないというトーラーにある元々の律法の適用を具体的に定めており、折れた骨を接ぐこと、歯の痛みを治療すること、それらも仕事と見なされすべて禁じられていたと聞いています。

それらの口伝律法を完全に守りきることは大変難しいであろうということが容易に想像できますが、正当ユダヤ教徒をかたっての兵役逃れということで摘発されたという約1000人のこの女性達…果たして本当にすべてが偽者だったのでしょうか?ちょっと疑問が残りますね。言動と行動の乖離を指摘する目的で監視され、何百もの口伝律法と照らし合わされ、しかもそれがSNSに書き込んだ文章や写真などからズレを指摘され、そして告発される…んん、なんとも想像しただけで窮屈で恐ろしい経験です。

ジェフリー・ディーヴァーは先に挙げた「ロードサイド・クロス」の中で、ブログやSNSで個人についてのヒントとなり得る情報を公表することについて、いかに断片化してのことであっても慎重であるべきだと、登場人物の言葉を通して警告していました。また同時に現実世界と同様に、ネット上での人間関係やコミュニケーションにも価値がますます増大していることを示してもいました。思い当たる要素も多く感じながらの興味深くも興奮をそそるミステリーでした。

いずれにしても、このニュースから感じられるのは、自由に伸びやかに楽しんでいたSNSでの自分の表し方が、いつのまにか自分についての不利な情報を収集するためのツールともなり得るのだということ、そして広い世界の中では、時に国家やある種の権威を持つものによって、それらが思わぬ仕方で利用されてしまうこともあり得るのだということでした。イスラエルにはイスラエルの事情があるのでしょうが、ひとつの極端な、でもフィクションではない示唆的な出来事として憶えておこうと思います。
posted by フランキン at 19:36| 静岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月27日

iPhoneで日本中のコミュニティFMをポケットに♪

僕は旅行の時などには、
旅先の地元のFM局を捜して聴くようにしています。
そのほうが、より地域性に富んだ
リアルな情報や話題に出会えるのが楽しいんですよね。

毎週木曜日の午後2時から
僕フランキンとネロリの番組が生放送されているのは、、
79,6MHz エフエムCiao!熱海・湯河原です。
その可聴範囲は、原則的には主に静岡県の熱海市と
神奈川県の湯河原町に限られているわけですが、

でも最近ではインターネットの活用によって、
地域を飛び越えて、日本中、いえ世界中の何処からでも
エフエムCiao!熱海・湯河原のFMを
とってもクリアな音声で
聴いていただくことができるようになりました。

とりあえず、興味のある方は
是非サイマルラジオサーチ(調べる)のサイトへ行ってみてください。
サイマルラジオで聴取可能なコミュFM局を
北は北海道、南は九州・沖縄まで幾つもの地域の
それはそれは色彩と個性に溢れたラジオを楽しむことができますよ。

さて、iPhoneユーザーの方は、
パソコンの前にいなくても、無料の優れものアプリ、
FStreamサーチ(調べる)を是非ダウンロードして使ってみてください!!
iPhoneで日本中のコミュニティFMをポケットにexclamation×2
いつでも何処でも聴く音楽ことができちゃいます!!

FStream

プリセットはそれほど難しくないですよ。
それにありがたいことに、
サイマルラジオのプリセットリストサーチ(調べる)がネット上で
見つけることができました。
ここの案内のとおりにセットすれば、

1度に幾つもの局を登録できて、
後はもういつでもコミュFMを楽しめますし、
なんと録音までできちゃうという優れものです。
(注:サイマルラジオの音声の二次利用は禁止されています…)

radiko.jp大手FM局のアプリなどもiPhoneでは利用できますが、
可聴地域が限られてしまっているのが現状です。
サイマルラジオで
コミュFMを外国からでも聴けてしまう
というのは、
ある意味可聴エリアの広さが逆転してしまっているようで
おもしろいです。

個人的には、ラジオというメディアがなくなることは
今後も決してないと思っています。
インターネットの普及で、ラジオがいい意味でさらに、
というか、改めて身近になるというのは、
なんだか楽しい体験だなぁ〜と思ってます。
皆さんも是非お楽しみに〜るんるん
posted by フランキン at 19:28| 静岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | ノアノアな風を受けて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月26日

曖昧に・・・そして間違いなしに・・・

お疲れさま・・・

風の通り道、風の巻く場所
そこらじゅうに茶黄色に枯れた葉が
小さな山をつくってる。

木はひとつひとつそれぞれだけど、
日曜の夜から辺りの木々がいっせいに葉を散らしはじめて、
まるで示し合わせていたかのような様子を見ると、
それぞれみんな別々なわけだけど、でもそんな別々が
大きくひとつになって自然の中に在るんだな・・・
なんて気もしてくる。

静かにうなずき合いながら
互いの時期を受け入れ合うようで、
曖昧に・・・そして間違いなしに・・・
森には森の、山には山の約束事があるんだね・・・

玄関先に吹き溜まった枯葉を集めながら、
「お疲れ様」・・・と声をかけた。
posted by フランキン at 11:28| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月22日

人はときどき遠くへと視線を向ける必要があるんだと思う

十国峠から富士山を見つめてみた。 十国峠から富士…ヘリコプターが一機通過中
伊豆スカイラインから箱根十国峠…富士と駿河の國が見える

伊豆スカイラインを走り始めてしばらくすると、
そこ此処で、今いるところが伊豆半島で、
どうやら自分はちょうどその
ネックラインを疾走しているらしい・・・
そう気付かせてくれる風景が目に入ってくる。

伊豆スカイラインから駿河湾と半島のネックラインを見つめてみる 伊豆半島の形が感じられる
さすが十国峠…駿河湾がしっかり見える。

地図をひらいて見るとき、
自分が今いる場所が
本当に地図のとおりの形をしているのか?
そんなこと…
意識することも、ましてや疑うことなんてたぶんない。

でも、本当にそのとおりの形を目にすると、
いま自分の足の下にある地面は
本当はもっと大きな大地の一部であって…
そしてそれは他の場所にもつながっていて、その場所も、
きっと地図の通りの形をしているんだろうな…
そんな当たり前をなぜか
本当だと信じられるような気がしてくる。
今いる此処という場所は少し離れた彼処へとつながり、
それを広げていくと容易に日本列島の形が目に浮かび、
そしていつしか世界地図へと想いが導かれ、
やがて無理なく地球が感じられるようになる。

人はときどき遠くへと視線を向ける必要があると思う。
そうやって自分がこの世界にいるということをもう一度感じなおすんだ。

もう少ししたら太陽が彼処に沈む 遠くの海が夕陽に染まってくのだ

箱根峠の近くで夕陽に出くわした…
posted by フランキン at 02:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月16日

ただ過ぎていくのがたまらなく惜しく思えるだけなんだ

海が光って・・・遠くの島が浮かんで・・・

海と空とのあいだにくっきりと線が引かれ、
伊豆七島のシルエットがポツリと浮かぶ・・・
海が光って、から入る陽光が暖かくて、
海に向いた窓を開け放してみた。
とたんに冷たい空気が入り込んできた。

そっか・・・冬も近いんだな・・・

遠くの島影から、すぐそこにある
草が枯れ始めた窓の外の庭先のほうへと目が曳かれる。
虫たちの声が聴こえてきたからか・・・

秋の虫たちも
寒くなるとともにすっかり少なくなって
今では、まだ鳴くのはやめていないよ・・・という程度に、
それぞれが互いに離れたところでチラホラと声を出している。

るんるんりんりんと あんな小さな虫たちが
またこの世に 生きたくて 鳴いている
寒い冬を 越すために さなぎになって
暖かい春には 生まれ変わって

(クーペ&Shifo 「愛を伝えていくのでしょう」より)

この歌はきっとこの時季に生まれたんだな。

時は過ぎているのだと、ふと突然気付くことってある。
その時の感覚はたぶん、
あそこで鳴くのをやめずにいる虫たちのようだ。
11月16日・・・この日に特に意味はない。

この夕暮れを見ているのはもしかしたら自分だけかもしれない。

ただ、過ぎていくのがたまらなく惜しく思えるだけなんだ・・・ぴかぴか(新しい)
  
posted by フランキン at 21:04| 静岡 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月13日

この子たちの少し先の未来にかかわる…そんなことを思ったノアノアな日

11月11日(木)のノアノアな風をうけて(エフエムCiao!)
熱海の局スタジオまでのよく晴れた晴れ伊豆の海岸のドライブが
たまらなく気持ちが良い日でした。

1が連続するキリのいい並びのこの日…
誕生日の友人が3人もいました。かさなるものですね〜
1が全部で12個も重なったことになる(笑)

さて、この日スタジオに着くと、
僕らの直前のOn-Air中の番組のブースに、
楽しげに番組参加している
小学生の男の子と女の子の姿がありました。

熱海桃山小学校 4年生のヨシヒサくん 6年生のハルナちゃん!!

熱海桃山小学校の4年生のヨシヒサ君と、
6年生のハルナちゃん
ふたりとも、職業体験ということで、
ちょうど沖縄のエフエム局、FMとよみ とのクロストークの最中でした。

電波を介して沖縄のラジオパーソナリティと話しをし、
じかに沖縄の様子を聞き、笑って楽しんで…
とってもいい雰囲気で、
表現力豊かにおしゃべりを楽しんでました。

何処に行くのか…なんの役に立つのか…
よくわからないまま、与えられた「勉強」のカリキュラムをこなし、
それが終わると短期間で職業を選び、順番に社会に出て行く…
誰だって模索しながら紆余曲折しながら歩いていくのかもしれないけど、

自分の好きなこと…自分がやりたいこと…やれること…

ひらめき自分自身についてのヒントともなる
こういう機会って、とても大切だなと思う。
時が流れて、本当に自分の進路について考えなきゃならなくなる時、
もしこの日の体験が思い出されるとしたら、
この子たちは何を思いながら歩みはじめるのだろう。

2度と会うことがないだろうとしても、
記憶の中には誰でもたくさんの人の顔がある…
人は人どうし、同じ時間を漂いながら、
時に近づき、また離れたりしながら、
互いに在ることの波紋を投げかけ合っています。
小さな子供たちとの小さな機会…こんな瞬間は大好きだな。

さて、今回お贈りしたナンバーは、

サーチ(調べる)デラ・セダカ
 るんるん星空のエンジェル・クイーン

サーチ(調べる)ユミカ
 るんるんやさしい記憶

サーチ(調べる)ちみん
 るんるんチョコレート

サーチ(調べる)エリック・クラプトン
 るんるんレット・イット・グロウ

嗅覚、そして香りにかかわる話…
今回は、タンザニアで今訓練されている地雷探知ネズミの話。
するどい嗅覚で爆薬の匂いを検知して、
地雷撤去作業に貢献しているのだそうです。
ネズミが人の命を救ってる…なんかすごいな。

いろいろ話していて、
ネズミと同じレベルの嗅覚を人間が持っていたら
いったいどうなるのかな?…そんなことを考えました。
きっと落ちつかないだろうなぁ〜
人はいろんなことを感じ取って、
その度にうれしかったり辛かったり…

限界があるって、本当は生きていくのに必要なことなんですよね。

今週もありがとうございました〜exclamation×2わーい(嬉しい顔)
posted by フランキン at 10:56| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ノアノアな風を受けて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

紅い色に醒めていく空・・・を見つめた

今日も昼間の出来事を全部引き連れて陽が沈んでいきました・・・

伊東市には「ららぽーと」のようなショップモールはないです。
一番大きななショッピング施設が、
伊東ショッピングプラザ デュオになるのかな・・・

ここに行くのは買い物以外にも理由のひとつあります。
とても風景が楽しみなこと・・・それが理由。

ちょうど陽が沈んだばかりのところに到着・・・
デュオの駐車場は向いている方角によって名前が違っていて、
あまぎ駐車場・・・ふじみ駐車場・・・などなど、
伊豆らしい響きを感じられるパーキング。

風が強くて寒かった・・・でも、この風景は見つめていたい

でも、僕はいつも屋上の駐車場を選びます。
紅い色に醒めていく空・・・
風が強くて寒かった・・・でもこの風景は見つめていたい。
 
posted by フランキン at 22:07| 静岡 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

2010,11,7のツィートまとめ

2010年11月7日のツィートまとめ
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posted by フランキン at 02:08| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitterのログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クラッシュ・・・

風は感じられない・・・そんな夕暮れだった。
でも空を見上げると、
大気が大きなカーブを描きながら流れてる。

空がカーブして見えた・・・

空を見るとわかる。
猛スピードで地球が動いていて、
雲が光って見えるあのあたりでは、
粒子がぶつかり合ってはまたつながっていく…

天城の山々が蔭りはじめた・・・

バラバラになって・・・
またひとつになって・・・そして流れてく
こうやって世界がつづいてくんだ。
 
posted by フランキン at 00:05| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

経験することに正しいとか間違いなんてない・・・クリスとアーロンの物語にふれて

ひらめきこの日記では、映画「イン・トゥ・ザ・ワイルド」の内容に触れています。未見で気になる方はこの先をお読みになるかどうか、ご検討ください。
(誰がこんな長い日記に付き合うってんだ・・・?わーい(嬉しい顔)

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

裕福で恵まれた人生の路線を後にして、自分と世界とのつながりについての真理を求めてアラスカへと旅立ち、人知れず消えていった青年クリストファー・マッカンドレス。彼を描いた映画イン・トゥ・ザ・ワイルドを、公開からずいぶんと遅れて見た。

2008年アカデミー賞にもノミネートされたとても美しい作品で、この映画を見終わった僕の想いは、ここ数日読んでいたもうひとつの物語と自然とつながっていった。ユタ州ブルーキャニオンで遭難し、岩魂に挟まれた自らの右手を切り落として奇跡の生還を遂げた、アーロン・ラルストンの「奇跡の6日間」という体験手記だ。直接には無関係のこのふたりとそれぞれの経験に接して、僕の中には湧き上がってくる想いがある。

これまでの人生とそれを取り巻くすべてに偽りと虚しさを覚え、クリストファー・マッカンドレスは、大学を卒業後アレックス・スーパートランプ(偉大な放浪者アレックス)と名乗り、過去と決別して大自然の荒野を目指す。アーロン・ラルストンはアウトドアをこよなく愛し、自然の中に身を置くことに夢中で、単独で多少の危険を冒してでも冒険することをやめない。生存が直接試される場面に人が直面した時、たぶん人間はそれまでとは全く異なる新たなチャネルが開かれて大きく変化するのかもしれない。

「命あっての物種 ・・・「死んでしまえば元も子もない」・・・誰もがきいたことのある当たり前がある。そう・・・確かに命は大切にするべきだし無駄にしたくはない。でも、自ら歩んだ道の結果が死に至ったからといって、すべてが無駄となってしまうとは思えない。ふたりの経験を見た時に僕はそう思う。

自ら選んだ人生の途中で、クリスは命を落とし、アーロンは傷つくも生還を果たす。ふたりの経験はそれぞれに異なっていて、生か死かという点では正反対のコントラストを放っている。では、死んでしまったクリスは間違った人生の選択をしたのだろうか? 生きて渓谷から戻れたアーロンはクリスよりも正しかったのだろうか? ふたりの経験から僕が感じるのは、生きていく中で出会うすべてのことに、正しいとか間違いとか…そんなものなど、本当はないのかもしれない…ということだ。もし誰かの人生についてそういうことが語られるとすれば、それはその人生を歩んだわけではない全くの他人があとで勝手に付す解釈にすぎない。

クリスは今までとは異なる本来の自分を求め、それを証明する旅に出かけた。スーパートランプと名乗り、それこそが真実の発見への道に他ならず、この世界と自分との関わりを確認することになると考えていたのかもしれない。しかし映画の最後に、彼が残した言葉・・・それは、「物事を正しい名前で呼ぶ」というものだった。

僕が想像するに、彼が目指した荒野での日々を通じて見いだしたものは、今までとは別の自分などではなく、これまでの人生の中で触れてきた、もともと持っていたすべてのものと自分自身の価値の再確認だったのではないだろうか? 「僕の一生は幸せだった。みんなに神のご加護を!」と書き残したクリスの一生とは、うち捨てられたあの不思議なバスで独り過ごした日々だけではなく、クリス自身が嫌悪を抱いて後にしたそれまでの家庭での時間も、きっと含まれていたのだと思う。

自分自身に「本来」というものがあるのだとしても、それが今までと異なるものとは限らない。故に彼が最後のメッセージに書き残したサインはアレックス・スーパートランプではなく、捨て去ることをあれほど望んでいた親からもらった名前、クリストファー・ジェイソン・マッカンドレスだった。「物事を正しい名で呼ぶ」とは、その名を持つ自分自身を正しく受け入れて見つめること、つまり自分が何者であるのかを理解し、そのことに価値を置くことなのだと僕は思う。

確かに、クリスは命を落とすことになった。それは彼自身にとっても予想外に早い死だったかもしれない。彼の妹も両親も、旅の途中で出会った多くの人にとっても、彼の死は悲しい出来事だったにちがいない。そのことで彼の人生についてどんな厳しい解釈を付すのも自由だ。でも僕は考えてしまう。

彼がとった行動によって、この世界とそこに住む人たち(我々も含めて)には、それがなかった場合には存在し得なかった経験(人によっては変化や気づき)が生まれた。彼が生きた時間はわずかに24年間・・・しかし確かに彼が「在った」ことの影響は、この世界にあるのだと思う。そしてそれはクリスだけに限らず、僕らすべてにもいえることなのではないだろうか?たとえ目に見える記録が何も残ってはいないような、名もない生き方であっても、誰かが生まれ、そして生きた・・・ということには、事実としての影響力と価値が存在すると僕は信じている。

もうひとつの物語の主人公アーロン・ラルストンにとって、岩塊に片腕を挟まれたままの状態で、生死のギリギリのところで過ごした127hours(約5日間)は、おそらく人生の中で最もゆっくりと、そして容赦なく流れていった時間に思えたことと思う。重さ500sを超える岩塊に右腕を挟まれて身動きができなくなった状態から無傷で脱出することは叶わず、彼は自ら右腕を切断して生還を果たした。その状況はまさに極限といえるものだと思う。人間はできればそんな極限など経験しないにこしたことはないとは思うのだけど、そうしてはじめて見えてくることや、悟れること・・・そういうことは確かにあるのかもしれない。

アーロンは、岩壁に捕らわれているさなか、身体と精神が弱っていくにつれて幾度もトランスを経験し、時間と場所を越えて、まさかこんなところに自分が動けずにいることなど知る由もないであろう、大切な家族や友人達とふれあい、自分の人生がたくさんの未完を抱えたまま終わりに至るかもしれないその時に、ひとりの人間として自分が果たして何を望んで生きているのかを見つめることになる。

彼が経験したことは、いわゆる「万が一」の出来事で、誰もが経験せずに済ませたいと思うはずの過酷な経験だ。でも彼はその万が一が自分の身に起きたことを全く残念には思ってはいない。手記(「奇跡の6日間」小学館)の中でアーロンは、「ぼくの人生で起きたこと、いまも起きていることを考えると、ぼくは大変恵まれていると思う」とまで書いている。タイムスリップして過去に戻れたとしても、自分は再びあの岩の裂け目に降りていく・・・彼は生還を果たした後も、あの時の選択を後悔していないし、「結局ぼくは、変わっていない」と言い切っている。そして今もアウトドアマン、登山家として世界の高峰に挑戦しつづけているのだ。

アーロン・ラルストン

もしかしたら、あんな体験をして身体にハンディも背負いながら、再び危険に挑戦しつづけるなんて、愚かだし間違っていると、彼の人生の歩み方に意義を唱える人もいるかもしれないし、そう考えるのはもちろん自由だ。

でも僕はこうも感じる。クリスの場合と同じく、アーロンもあの経験によって、自分についての本来が、何処か別のところにあるのではなく、自分自身の中に初めからあったのだと気付くに至ったのではないだろうか? それだから今でさえ、ハンディを負っていながらも大自然に挑戦し続けるのは、それが自分にとって最も自分らしい姿だと感じる生き方を選んでいるに過ぎないのではないだろうか? 人は、何か外から与えられたものによって豊かになるのではなく、命と与えられた人生の時間を楽しむのに必要なものはすべて元々もっているのかもしれない。

僕はクリスやアーロンが経験したような、命に関わる極限なんていうものに直面したことはないし、多分そんな危険にはこれからも遭わないだろうと思っているが、もっとゆるくて、ごく普通の日常を送っている僕のような者にも、辛いこと、悲しいこと、不愉快なことはいつでも降って湧くことだろうし、もちろん楽しく愉快なことだっていつでも起き得る。でも、そこに正誤の概念を交えてしまったら、僕はきっと幾つもの後悔を抱え込んでしまうことになるのではないだろうか?

自分が経験するものに、正しいとか間違いなんてない・・・。

それがクリスとアーロンの物語から僕が感じることだ。クリストファー・ジェイソン・マッカンドレスは、家族と友人たちから離れてたった独りで人生の最後を迎えた。彼はその過程で、幸福とは、分かち合う人がいてはじめて実感できるものだという結論に達する。その発見は、彼が経験した孤独と飢餓を超えて、彼の人生に意味を付し、価値ある生を生きてきたのだという満足をもたらしたのかもしれない。

うち捨てられたバスを背に微笑むクリストファー・ジェイソン・マッカンドレス


発見された遺体とともにあったカメラに納められたフィルムには、彼の最後の場所となったあのバスを背景に、独りで満ち足りた笑顔を見せるクリスの姿が写っていた。

ここまで、まさか読んでいただいたあなた・・・感謝しますexclamation×2ぴかぴか(新しい)
posted by フランキン at 23:10| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

2010,11,2のツィートまとめ

2010,11,3のツィートまとめです。
これからちゃんと毎日まとめとこっと。。。
続きを読む
posted by フランキン at 01:45| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitterのログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする