ブログ仲間のひとりは、陽の出や日没に美しさを感じる時、
それを「ありふれた奇跡」…と呼びました。
世界中の誰のもとにも必ず訪れ、
生きている限り同じ光景を目にする機会にめぐまれます。
でも…やはり美しいと、そのたびに思う。
写真の中のシルエットたちに親しみを覚えるのも、
きっと同じ感覚を味わいながらあそこにいるんだろうと、
なんの疑問もなく感じとれるからかもしれません。
太陽から届く光…
夕刻にかけて、大気の中に漂う塵の状態によって、
その中の幾つもの波長が途中で阻まれて、
生き残った波長のみが人の網膜にまで達して
ひとつの夕方の光景が創形されます。
夕陽に浮かび上がる人々の姿は、
ユダヤ人もパレスチナ人もなく、
西洋人や東洋人なんていう違いもなく、
太陽のもとで同じ感覚を抱きながら全身に夕陽をあびて遊ぶ、
ただの人々のシルエットにすぎません。
ペリシテ人、アッシリア、バビロン等々…
古代から今に至るまでの数千年。
数々の大国・強国・民族の支配を受けつつげ、
多くの血が流されてきた土地に沈む夕陽…
その風景は、僕が生きている
ここ伊豆で目にする夕陽と少しも変わらない…
ありふれた…でもやはり奇跡のように
人を素に還らせてくれる風景。
人々と人々の間に本来あるはずの平和や融和が
どんなに遠く奇跡のように思えても、
このわずか数枚の写真が示しているような、
ごくありふれたものに…ということになることも、
ただ虚しい夢ではないように思えてきます。
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目にするごとに焦燥や憤りにかられるような、
必ずしも知らなくても良い情報や思惑までもが
大量にメディアに溢れる中、
此処ではない何処か遠いところでの、でもやはり見慣れた風景を
ただ映し出すだけのニュースであっても、
貴重だなと時々と思う。