2010年10月31日

意識も感情も含めたプロセスのすべてが語られ表現されてはじめて、その体験を知ることに価値が生まれ貴重なものとなる…映画「127Hours」


ダニー・ボイル監督のこの新作映画の元となっている、ユタ州ブルージョンキャニオンで岩石に挟まれた状態から、自ら片腕を切断して奇跡の生還を果たしたアーロン・ラルストンが自身でこの過酷な体験を綴った「奇跡の6日間」 (小学館)を今読んでいるところです。読みながら気付くのは、過酷な状況の中に完全に孤絶し絶望的な時間が過ぎていく中で、ラルストンがその一分一分に自分の目が何を見つめ、どんな音を聴き、何を考え感じていたのか 非常につぶさに記憶しており、彼の人生の中でこの127時間が、おそらく最もゆっくりと、そして濃密に容赦のなく過ぎていった時間なのだろうということです。

アーロン・ラルストン 奇跡の6日間

ラルストンの他には誰ひとり人の姿のない渇いた岩と岩の間(スロットというらしい)に、彼を釘付けにして身動きできなくしてしまった岩石の大きさと重さからして、おそらくその窮地に陥った当初から、自分が生還するためには腕を切らなければならないと気付いていたと思われます。しかし誰にとっても同じだと思いますが、それは自殺するに等しい選択であって、その行為を決定的に実行するまでには多くの逡巡があったことを手記から感じ取れます。そうして幾日かを辛うじて過ごしながら、彼は生き残ることに賭けた決定的な行為、自らの腕の切断を実行することになります。そこに至るまでのプロセスで揺れる彼の想いは切実です。

この映画の描写において、その腕の切断シーンの生々しさがいろいろと物議を醸しているとのことですが、アーロン・ラルストンの体験が意味することを本当に人々に知ってもらうということを、ラルストン本人の言葉(例えば手記や講演など)以外の方法で、つまり映画という形で露出させるということを考えるとすれば、彼自身の手記が読み手に語りかけ強く迫ってくるものを僅かでも歪めたり見落とすことがあっては意味がないと僕は率直に思います。

127hours 127hours

地上に生きている人間たちの中で、いったいどれほどの人が極限というものを体験するのだろう? それはお金や資産や名誉やビジネスなどが絡んだ、人間が作った経済社会という枠の中でのものではなく、本当に明日までは生きられないかもしれない…という、絶望的で選択肢のない状況のことです。もちろん僕は人間は極限なんてものは本当は体験しないにこしたことはないと思っています。しかしたぶん、真の極限状況の中でしか見えないものというのは、本当にあるのでしょう。おそらく、アーロン・ラルストンの体験は、それを知ろうとする者にとっては、もしかすると自分自身の中にもあるかもしれない、人間として持っている内奥の力や可能性、それによって芽生える希望、微かなところから拓ける少しだけ先の未来を垣間見させてくれる、貴重な体験として大いに意味深いものだと思っています。

ただ、体験というものは、特にこのように誰もがおそらく生涯経験しないであろう体験については、一連の出来事の中の特定のシーンだけでは、それを語ることも伝えることも、ましてやそんな極限状況など想像すらし得ない受け手が理解することなど到底叶わないものです。重要な局面でなぜ、どのように、そしてどんなつもりでその決断に至ったのか? その意識も感情も含めたプロセスのすべてが語られ表現されてはじめて、その体験を知ることに価値が生まれ、過酷で二度と繰り返したくはない体験であったとしても、貴重なものと考えられるようになるのだと思います。逆に言えば、極限とその中での人間の有り様を真に伝えたいと思うのであれば、腕の切断シーンも欠かせないプロセスのひとつであり、それをラルストンの記憶のとおりに表現しないなら、はじめからこのような映画は作らないほうが賢明ではないでしょうか。ニュースの中でのダニー・ボイル監督の言葉は、生きるために必要だったラルストンの腕切断を出産に例え、決して目を背けるべきものではないことを強調し、脚本のサイモン・ボーフォイは「アーロンが実際に体験したことを忠実に描く責任があった」と述べています。しんどい映画なのでしょうが、僕はこの描き方で良かったのではないかと考えています。(まだ未見なはずなのに…笑)

ラルストンの手記にまた戻りますが、彼の書いた「奇跡の6日間」は、決して腕の切断から想像されるような、おぞましい体験ばかりが書かれているわけではありません。身動きが封じられたスロットの中で、自分などまったく無き者であるかのように陽が昇りやがて暮れていく…冷え切った暗い岩と岩の間で太陽の光のありがたみを感じ、一滴の水が、一口の食べ物がいかに自分の身体の細胞ひとつひとつにとって大切なものであり、これまで人生を生きてきた自分は生かされていたのだという感謝を呼び起こします。想いは時間や場所を跳び越えて、今この遭難の事実を知る由もないはずの家族や親しかった友人達へと飛び、関わった多くの人たちとのふれあいや未完結なままの為すべきことへの愛情や後悔、そして彼らへのもはや届かない親愛を独りで噛みしめ、再び完全に孤絶した細いスロットの中にいる自分に戻ってくる…。手記のうちの大半は、この極限の中で彼が自分自身の生命と真っ直ぐに向き合いながら廻った内省的な思索の記録です。記憶と意味の残る読書体験をしたいと思われる方なら、読んでみることを僕もお薦めします。

物議がかもされているという127Hoursですが、確かに観客を選ぶ作品といえるかもしれませんね。生理感覚的に血を見ることができないし、したくないという人は、映画館に行く…行かない…についての選択肢が自分にあるのだということを、思い起こしていただきたい映画かもしれません。(ちなみにフランキンは血を見たいわけじゃないです。
そんな映画は他にいくらでもあるけど、別にそういうのを見たいとは思わないです。)

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サーチ(調べる)ダニー・ボイル監督作品『127 Hours Trailer』
posted by フランキン at 18:34| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「冒険者たち」のマヌーは確かに野沢那智さんだった。

好きを超えて僕が今まで見た中で最も愛する映画は、
小さな頃にテレビで見たフランス映画
「冒険者たち」(Les Aventuriers)です。
その主人公のひとり、「マヌー」を演じていたのが
アラン・ドロンであり、吹き替えはもちろん野沢那智さんでした。



小さな頃、映画をテレビで見ることが多かった自分にとって、
声優は物語と俳優そのものであり、
いつまでも残りつづける映画の記憶を決定づけました。

「冒険者たち」は、もちろん仏語の原板も大好きですが、
野沢那智さんのアラン・ドロンの「マヌー」と、
森山周一郎さんのリノ・バンチュラの「ロラン」の声は、
きっとこれからも僕にとっての「冒険者たち」の記憶となっていくのでしょう。
きっと同じ記憶を持つ人は多いんじゃないかな?

白石冬美さんとの絶妙なペアでの木曜深夜のTBSラジオ番組、
「パック・イン・ミュージック」(水パ)は、
やはり忘れられない思い出です。
ここからちょこっと聴けます。

僕が映画が好きになった機会をたくさん作ってくれた
一時代を築いた声優さんたちの声が、
時とともに次第に聴けなくなっていくのは、やはり寂しい・・・

野沢那智さん、ご冥福をお祈りします。ぴかぴか(新しい)
posted by フランキン at 11:39| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月30日

羽ばたく鳥たちの姿に人は何を思うだろうか?


太陽を廻る軌道に対して23度半・・・
その傾きが寒暖の差を生み、季節となっていく。
この星にいるかぎり、生き物はすべて、
巡ってはまた訪れる季節の影響を免れません。

地球の自転と、
重力と大気の動きを克服し調和しながら
往くべき方向に向けて、
その小さなからだで懸命に羽ばたきつづける鳥たち・・・

羽ばたく鳥たちの姿を目にして、人は何を思うのだろう・・・

休まず羽ばたきつづけなければ
落ちて果てるしかない渡り鳥の旅する姿は
何処か人を謙虚な気持ちにさせるものがあります。

生き物は自然には抗えない・・・
抗うことが鳥たちに意味するのはただひとつ・・・死です。
地球が持つ権威を受け入れて調和するということは、
この星に生きるものの宿命だと思います。

人間はどうなのだろう・・・

鳥たちが飛ぶ姿を見上げつつ
どこかうしろめたい気持ちを消し去れない・・・
人の生命もこの星にかかっていること・・・ 
僕らは忘れてはいないだろうか・・・?

そういえば何年かまえに
WATARIDORI(原題 Le Peuple Migrateur)という
フランスのドキュメント映画があったけ・・・
飛翔する鳥に併走するカメラに映し出される
渡り鳥たちの無心に飛ぶ姿は、やはり美しかった。。。



posted by フランキン at 19:36| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

ある日のふれあい・・・そして「笑顔同封」

その手はとても小さくて、
いつでも引っ込められるように遠慮をふくみながら、
でも、明らかな意志に基づいて僕の手にふれてきた・・・

ふらりと立ち寄ったレンタルDVD店で、
客たちに混じりながら何気なくタイトルを見つめていた僕の手を、
誰かの温かい手がそっと優しく触れ、握ってくれた。

「えっ?」と、軽い驚きとともに振り返ると、
そこにはもう片方の手を父親に引かれた
4歳ぐらいの小さな男の子が笑顔で僕を見上げていた。

僕はすぐにその男の子が
ダウン症なんだということに気づいたのだけれど、
僕が振り向くのに驚いて僕から手を離したその子の表情は、
どうしたらあんな笑顔が生まれるのだろう・・・と感じるほど、
僕をその瞬間に幸せにしてくれる笑顔だった。


僕がその子を振り返ったことに
手を引いていた父親もすぐに気づいたのか、
たぶんこれまで何度も
繰り返してきたのであろう反応を僕に示す・・・

「あ、すみません・・・」

一瞬、僕にはこの子の父親が、
どうして僕に詫びているのかわからなかった。
幸福感・・・という言葉を
何のためらいもなく当てはめたくなるような
そんな豊かな感覚をこの男の子は僕に与えてくれた。
そのことのほうが僕には大きな出来事で、
謝られるということに違和感を覚えたのだ。

「謝ることなんてないのに・・・」

父子はそのまま僕から離れていったのだけど、
彼らが去って少し遅れて僕もやっと気づいた。
あのお父さんは、あの男の子と一緒に人生を歩みながら、
「すみません」・・・などという謝罪の言葉を、
きっと幾度も幾度も言わなければならない場面に直面する・・・
そんな社会に生きててきたんだ。

僕はとても申し訳ないような気持ちになるのと同時に、
一瞬のかかわりに過ぎなかったとはいえ、
その男の子の笑顔には人に浸透する豊かな力があり、
それは瞬くまに僕の中に染み込んで、
たまらなく愛しい気持ちにつつんでくれるとともに、
わずかの間にその日の僕を浄化してくれた・・・
そんな感覚を覚えていることへの驚きがあった。


なんの邪気も思惑も利己心もない・・・
そんな無垢な笑顔に接する時に、
たぶん人は自分の内側の何処かが呼応して、
善なるものが湧き上がってくるのを感じ、
微かな思いがけなさとを伴った清々しさを、
素直に覚えるのだろうと思う。

ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

もう何年もどこかへしまいこんだまま、
どこに入れてあったかも忘れてしまっていた、
古いデジカメ写真がいくつもディスプレイに流れ始めた。
これもつい昨日のことだ。

最近のPCでは「笑顔検出」なとどいうものがあるらしく、
つい数日前まで使っていた少し時代遅れなパソコンから
やっと新しい機種へと乗り換えたばかりの僕は
その機能にちょっと意表をつかれてしまった。

笑顔度90%・・・99%・・・
ランキングされた幾つもの忘れていた笑顔・・・。

笑顔度なる尺度には僕も思わず笑ってしまったが、
家族やかつてお世話になった幾人もの人たちが、
僕に見せてくれたたくさんの笑顔が、「昔」というには近すぎる、
それほど遠くもない「過去」におかれたままになっていて、
こうしてふとしたことで目の前によみがえってくる。

こんなに素敵な笑顔を見せてくれた瞬間があったんだ・・
この人たちを・・・今、僕は無条件で受け入れられる・・・

本当に内から湧きあがってきたこぼれ出てくる笑顔には、
決して手段やテクニックなどが及ばない瞬時の浸透力がある。
それは人の存在そのものから現れ出て
文字通り光の速さで人に浸透し、
その人の内部の何処かに日差しのように働きかける。


そして、僕はふと思う。
僕は・・・果たしてどんな顔をしているのだろう?
どんな表情を時の流れの途中で残してきただろう?
誰かが何処かでもっているかもしれない写真の中で、
僕はどんな表情で自分の存在を表現しているのだろう。

こんなことを真夜中に考えてしまうのも、
あのダウン症の小さな男の子の笑顔に出会えたからだ。
もう2度と会うことはないのかもしれない。
でもあの子は確かに役割があって生まれてきた。
小さな存在が僕という見知らぬ人間の生き方にさえ影響を及ぼせる。
この世界での人同士の成り立ちや関わりというのは、
そういう見えないつながりで本当は成り立っているのかもしれない。

そういえば、ずいぶん前に、
さだまさしさんがまだグレープというフォークデュオで活動していた頃、
こんな歌があった・・・

笑顔同封

るんるん封を切ったなら こぼれる日差し
あなたは 手紙にまで 笑顔同封



あの男の子の笑顔に出会えたことを感謝するとしよう。
この日記にも、 「笑顔封入」・・・わーい(嬉しい顔)

いい歌です。でも貼り付けできないみたいなんで、
サーチ(調べる)ここからYouTubeに跳んでいってね。
posted by フランキン at 01:52| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

10/22阿佐ヶ谷ジャズLive直前!UNO緊急ゲスト出演!

10月22日(金)・23日(土)と、
東京は阿佐ヶ谷の街並が音楽で満たされます!
ぴかぴか(新しい)阿佐ヶ谷JAZ STREETS 2010
日本を代表するジャズアーティストたちがこのストリートに集結!

阿佐ヶ谷ジャズストリート UNO出演!10/22は阿佐ヶ谷教会へ♪

22日(金)には
もうこの番組でもおなじみの、ギター&ピアノを中心とした
豪快かつ繊細なスパニッシュフレーバーのインストルメンタルユニット
UNOもフルメンバーで出演します!
出演会場は荘厳なムードが漂う阿佐ヶ谷教会
哀愁あふれる情熱的なステージ
ニュー・スパニッシュ・デュオUNO
大平重成(g)・大平里美(p)・海沼正利(per)・伊藤潮(b)・森敦子(vln)
(1)18:00〜19:00/(2)19:30〜20:30


南米クルーズ演奏の旅でインカの遺跡を訪れて以来、
明らかに何かが変わってきた…
そんなUNOが音楽を通して表し伝えたいと思うすべてが、
教会の大聖堂に響き渡ります!
今回のLiveに向けてのUNOの想いはこちらサーチ(調べる)

さて!Live直前明日10月21日(木)PM2:00からの
エフエムCiao!熱海湯河原の生放送
フランキンのノアノアな風をうけてには、
急遽!UNOが電話生出演します!
登場は2:20分過ぎ辺りから!お楽しみに♪

サーチ(調べる)番組はサイマル放送(インターネット)でも生放送されます。
サイマル放送の聴き方
サイマルラジオのサイトに行く
東海 → Ciao!熱海の放送を聴くをクリック
メディアプレーヤーが起動してお聴きいただけます。

UNOの名曲、「月は光ぬ」はこんな曲。
ただし動画の月の写真はフランキンが撮った素人写真なのでボケボケです。


 
posted by フランキン at 22:54| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月17日

ガザに落ちる夕陽…ごくありふれた…人を素に還らせてくれる風景


ブログ仲間のひとりは、陽の出や日没に美しさを感じる時、
それを「ありふれた奇跡」…と呼びました。

世界中の誰のもとにも必ず訪れ、
生きている限り同じ光景を目にする機会にめぐまれます。
でも…やはり美しいと、そのたびに思う。
写真の中のシルエットたちに親しみを覚えるのも、
きっと同じ感覚を味わいながらあそこにいるんだろうと、
なんの疑問もなく感じとれるからかもしれません。

太陽から届く光…
夕刻にかけて、大気の中に漂う塵の状態によって、
その中の幾つもの波長が途中で阻まれて、
生き残った波長のみが人の網膜にまで達して
ひとつの夕方の光景が創形されます。

夕陽に浮かび上がる人々の姿は、
ユダヤ人もパレスチナ人もなく、
西洋人や東洋人なんていう違いもなく、
太陽のもとで同じ感覚を抱きながら全身に夕陽をあびて遊ぶ、
ただの人々のシルエットにすぎません。

ペリシテ人、アッシリア、バビロン等々…
古代から今に至るまでの数千年。
数々の大国・強国・民族の支配を受けつつげ、
多くの血が流されてきた土地に沈む夕陽…

その風景は、僕が生きている
ここ伊豆で目にする夕陽と少しも変わらない…
ありふれた…でもやはり奇跡のように
人を素に還らせてくれる風景。


人々と人々の間に本来あるはずの平和や融和が
どんなに遠く奇跡のように思えても、
このわずか数枚の写真が示しているような、
ごくありふれたものに…ということになることも、
ただ虚しい夢ではないように思えてきます。

*************

目にするごとに焦燥や憤りにかられるような、
必ずしも知らなくても良い情報や思惑までもが
大量にメディアに溢れる中、
此処ではない何処か遠いところでの、でもやはり見慣れた風景を
ただ映し出すだけのニュースであっても、
貴重だなと時々と思う。
posted by フランキン at 14:42| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

日没の表情に気づくのは…たいていはたまたまだったりする。

日没の風景・・・たいていはたまたま通りかかっただけのことだったりする。

日没という時間帯がかもす表情はさまざまだ。
そしてたいていは
たまたま通りかかって目にする風景だったりする。

ついさっきふと車を寄せてカメラを向けた日没の光景は、
有刺鉄線と金属ネットがめぐらされた
裏寂れた無人の土地と背の高い送電塔ごしに見えた。

松川湖を囲む山々の向こう側に
今しがた落ちたばかりの太陽の残光・・・
8分ほど前にあっちを離れた光の波なのか粒なのか…
とにかくたった今僕のところまで届いた。
ただそれだけのこと…

今日も一日が過ぎていく。。。
 
posted by フランキン at 18:36| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

サプライズも大成功!キャリアカウンセラー斎藤めぐみさんと熱く語り合った生放送〜♪

10月14日(木)の熱海の空は、
薄っすらと白っぽい雲曇りがかかっていてすっきりしない天気でした。
伊豆半島の東側の海岸線を通るR135を一路熱海へと向うと、
それでもやっぱり海と空のかもす広がりが気持ちがいい!
シーズンピークの合間の伊豆の道路は流れもスムーズで、
走っているだけで気分がリフレッシュできますよ。

海や空の色って実は毎日変わっているんだよね。
もしかしたら、そらいろ・・・みずいろ・・・
なんて呼びなれた普段目にしている海や空の色も、
本当はこれ!っと特定できないほど
沢山の色があるのかもしれない。
世界の広さだけじゃなく、毎日目にしている
自分のすぐ近くの風景でさえ人は味わい尽くすことなんて
できないのかもしれません。

そういう意味では、毎日五感で感じる様々や、
日常の大小さまざまな出来事や
人とのかかわり、喜怒哀楽・・・
何かに打ち込んでいる時の充実感や
仕事上での辛さや達成感・・・
それらすべては自分にとって
毎回真新しい経験といえるのかもしれませんね。
一瞬一瞬を通り過ぎながら時々振り返ってみると、
そこにはたくさんのありがとうの瞬間があったことに気づくかもしれません。

キャリアカウンセラー、斎藤めぐみさんがノアノアに♪

さて、今週のノアノアな風をうけてですが、
フリーランスのキャリアカウンセラーとして活躍している、
斎藤めぐみさんに来ていただきました!

伊豆と東京そして千葉と、縦横に駆け巡りながら、
キャリアカウンセラーとして多くの人たちの心と向き合い、
忙しさの中にも確かな自分の在り方というものを見つめつつ、
それでもまだ到達点ではなく、すべてはプロセスで、
その途上のひとつひとつに真剣に取り組んできた斎藤めぐみさん。

ひとりの人として
女性として妻としての役目と日常を楽しみながら、
社会と関わり働くことの中にも
自分自身を見出している清々しさに溢れた女性でした!

キャリアという言葉は、
仕事や職業履歴を思い起こさせるものなのかもしれません。
しかし斎藤めぐみさんがキャリアという言葉を用いる時に、
それはその人の一部のみではなく、人生そのもの・・・
つまり彼女がカウンセリングの仕事で接しているのは、
仕事上の悩みや就職や転職という一面のみならず、
その人全体と向き合っていることになります。

他の人たちを支援することに意味と価値を感じ、
キャリアカウンセラーとして出会う人々が
自分との関わりにより本人それぞれが持っているはずの
価値の高さと資質に気づいて、いっそうバランスのとれた
生き方のエッセンスをともに考え見出していく・・・
彼女の仕事は、人に元気を芽生えさせる晴れことにつながります。

生放送!仕事・生き方・音楽・・・いろんな話で盛り上がりました♪

彼女と話をしていて感じたことを
ひとつのワードに集約してみると浮かんでくるのが、
大丈夫手(チョキ)・・・という言葉。

いろんな問題にぶつかって八方塞に感じていたり・・・
自信を失くしてしまったり・・・
見えていたものが見えなくなってしまったり・・・
確かに人は解決しなければならない問題を抱えることがある。

誰かの問題や状況を、
その人に肩代わりをして解決することなど誰にもできないし、
いつ?どのように?問題が霧消してくれるのか・・・
それを確約することもできない。
でも、だいじょぶ・・・と
その人個人の本質を見つめてくれる誰かに言ってもらうこと。
そして、だいじょぶだから・・・と、
そう信じて自分自身にも言ってあげられるかどうかは、
問題と向き合い解決するだけの力が、
じつは自身のうちにあるのだという気づきに繋がるのかもしれない。


カウンセラーとして誰かと接する時に、
常に彼女が意識していること・・・
それは、「この人は大丈夫・・・」
ということなんだそうです。

斎藤めぐみさんにお話をうかがいながら、
挫折があっても、壁がなかなか壊れてくれなくても・・・
そんなことを忘れないようにしたいなと、
フランキンもネロリも改めて感じたのでした。

ずっと伝えたかったありがとうのコーナーとして、
斎藤めぐみさんを産み、育ててくれた・・・
時には厳しく時には優しくめぐみさんを見守ってきてくれた
お母様へのありがとう
の気持ちを表していただきました。
お母様のことを語りながら涙をとどめられず、
思わず声にもそれが表れた時の表情は、
遠いところにいる母の娘・・・
そんな彼女の表情も垣間見ることができました。

そして・・・サプライズがひとつexclamation&question
めぐみさん宛にめぐみさんの
ダンナさま揺れるハートからのぴかぴか(新しい)お手紙が〜!
優しさが溢れた心のこもったお手紙が
お母様への想いにさらに重なって
たらーっ(汗)たらーっ(汗)のめぐみさんなのでした。。。

お届けしたナンバーはるんるん

藤田恵美
 るんるんAngel Voices Calling
Neal Schon 
 るんるんHERO
服部克久
 るんるんTHE EARTH-母なる大地
Tim Janis
 るんるんAugust 

この日のエフエムCiao!のスタジオ・・・
熱海の泉中学校の2年生、依加ちゃんが
職業体験のためにスタジオinしてくれてました!
ノアノアの前後の生番組で
元気いっぱいに天気予報を伝えてくれていました!
スタジオブースの外からガラスごしに見守る先生も、
一緒にワクワクしながら見つめていました。

熱海市立泉中学校から職業体験!2年生の依加ちゃん♪

将来はDJになりたいという依加ちゃん。
明るい笑顔としゃべりがとってもシッカリしていて、
未来がすごく楽しみな女の子でした!
ラジオ局というピッタリの場所での職業体験・・・
きっとこの経験から始まる何かもありそうですね〜わーい(嬉しい顔)

エフエムCiao!の愉快な仲間達&斎藤めぐみさん、依加ちゃん♪

キャリア教育に関る斎藤めぐみさんがゲストの日に
なんとなく素敵な偶然が重なりました。
エフエムCiao!の愉快な仲間たち
みんなで写真をパチっカメラ

今日も、みんなありがとーーーぉぉぉぉ!わーい(嬉しい顔)
posted by フランキン at 20:54| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

キャリアカウンセラーがやってくる!齊藤めぐみさんがノアノアに!

サーチ(調べる)この番組予告記事は放送当日までトップに常駐します。
リアルタイムでの更新記事はこの記事の次からになります。


来週10月14日(木)のノアノアは、
伊豆と東京という2ヶ所を自由に行き来し、
フリーランスのキャリアカウンセラーとして
常にアクティブな毎日送っている素敵な女性、
齊藤めぐみさんゲストにお迎えします。

お仕事のお話・・・
伊豆での日々の送り方・・・
ライフスタイル・・・
これまでの人生の中での様々な人やものとの出会い・・・

聴きたいことはたくさん!
来週午後2時は、
エフエムCiao!ノアノアを是非チェックしてみてくださいね〜♪


サーチ(調べる)番組はサイマル放送(インターネット)でも生放送されます。
サイマル放送の聴き方
サイマルラジオのサイトに行く
東海 → Ciao!熱海の放送を聴くをクリック
メディアプレーヤーが起動してお聴きいただけます。

サーチ(調べる)iPhoneユーザーは愛ポンでも聴けますよ♪ ←聴き方はこちら
お楽しみに〜るんるん
posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

山にはやっぱり…火の色が似合う…

夕方・・・
R135から逸れて坂を昇っていくと、
黄昏の中に大室山のシルエットが浮かんでた。

山の向こうに沈んでまもない陽の光を映して
「ふぅーーっ」と息を吹きかけた
灰の中に残った熾火のように雲が燃えて見える。

大室山の向こうに陽がおちた 小さくても大室山も立派な火山・・・火の色が似合う。

噴火した時は…もしかしたらこんな感じに見えたのかな…?

穏やかな丸みを見せているこの緑の小さな山
何千年もずっと昔に噴火した時は、
もしかしたらこんな風に見えていたのかもしれない。
山にはやっぱり…火の色が似合う…

本当はおまえも火山だったんだよな・・・
なんてふと思い浮かべていた。
 
ラベル:大室山 伊豆高原
posted by フランキン at 01:56| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月12日

此処ではないどこか遠いところで誰かが見た朝陽・・・


海を越え、広大な大陸をまたぎ
此処ではないどこか遠いところで
誰かが見た朝陽・・・

気の遠くなるような昔から
見果てぬ永久にも及びそうな時のながれの先にも
たぶんずっと陽は昇り沈んでいく。

でも昇りつつある太陽に向かい
金色の光を顔にうけて温もりを感じる時・・・
きっとこの瞬間は特別なものなのだと
不思議な確信めいた心の急きが芽生えてくる。



誰もが知っている、どこにでもあるはずの日の出という風景。もしかしたらそれはニュースとして何よりも本当に受け取るべき大切なものなのかもしれない。知らなくても良いことで溢れているメディア。たまにはこんなふうにシンプルでなじみ深い、でもかけがえのないただ風景が届けられるだけのニュース・・・貴重かもしれない。
posted by フランキン at 03:01| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

サードマン〜アーロン・ラルストン〜ダニーボイルの127hours

ダニー・ボイル監督の新作映画
127Hoursを見たいと思っている。

ほんの2日ほどまえに読み終えた、
「奇跡の生還へと導く人 極限状況のサードマン現象」
という本の中で、 この映画の元となった
アーロン・ラルストンの経験した極限状況のことが書かれていた。

127hours 127hours

自分がずっと考えてきたことにもつながる非常に興味深い本だった。
今日はツイッターでこのサードマン現象についての本のことを
午前になんども呟いていたので、このタイミングで
「127Hours」という映画についての情報に接するというのも、
ある意味絶妙なものを感じる。

本のタイトルにも含まれているサードマン現象とは、極限の中で
生身の人間として出来ること、 考え得るすべてを尽くした後、
生きると決めている人の多くが体験する守護的な「存在」の気配のこと。
(この本へのフランキンの感想はサーチ(調べる)これ)

ユタ州のブルーキャニオンでのロッククライミング中に、
落下してきた重さ360キロの岩と岩壁との間に片腕を挟まれ
岩壁の途中で動けなくなってしまったラルストンは、
それでも決して「生きる」ことをあきらめなかった。

数日間、映画ではその長さが
「127Hours」であることをタイトルが示しているが、
彼が生存のために選んだ選択は、自ら片腕を切断するという
ぞっとするほど恐ろしいものだった。
持っていたナイフは鋭利さをすでに失っており、
麻酔もない状態でのセルフ手術は凄惨なものとなったと思われる。
映画の観客に失神する人が出たというのはそのシーンなのだろう。

アーロン・ラルストン

自由になったラルストンは、
その後片腕だけで18メートルの岩壁を懸垂降下し、
最後には救助されることになる。

この経験を振り返って、ラルストンはこの生還劇の中で経験した、
ある奇妙で特異な体験について語った。
「奇跡の生還へと導く人 極限状況のサードマン現象」P238には
次のような彼の言葉が書かれている。

「あのキャニオンには僕ひとりではなく、何か大きな存在があった」

ダニー・ボイル監督のこの新作映画に
この点が描かれているのか?
だとすればどのように表現しているのか?
それは分からないが、いずれにしても、
「生きる」ということに焦点をあてた大変興味を惹かれる映画だと思う。

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サーチ(調べる)極限状況のサードマン現象〜人間という生命の形について未到達の真実の存在を感じ畏怖さえ覚える

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ひらめき「奇跡の生還へと導く人 極限状況のサードマン現象」
著者のジョン・ガイガーによる
サードマン現象についてのツイとはサーチ(調べる)ここ

ひらめきダニー・ボイル監督作品『127 Hours Trailer』


posted by フランキン at 18:15| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

極限状況のサードマン現象〜人間という生命の形について未到達の真実の存在を感じ畏怖さえ覚える

奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」

大変興味深い本です。

この本の中で、
読み手は実際に起きた幾つもの極限に接します。
それはさながら、凍りついた南北極点への道程や厳冬の山岳、
荒れ狂う嵐と寒さに翻弄される救命ボートの上等々・・・
人間の生存を拒絶するかのような大自然を舞台にした
何十冊もの冒険物語を一気に駆け抜けていくかのようで、
途中でページをめくるのをやめられないほど興奮に満ちています。

極限の中で生身の人間として出来ること、
考え得るすべてを尽くした後、
生きると決めている人の多くが体験する
守護的な「存在」の気配。

生か死かの状況で、自分と仲間たちの他に
もうひとり誰かがいる・・
故にこの種の体験を「サードマン現象」というのだそうで、
自分としては初めて耳にする興味深い言葉でした。

本書の中では、奇跡の生還を遂げたあのシャクルトンや
「翼よあれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグをはじめ、
世界にその名が知られる幾人もの探険家を含めた
極限状況での実体験が数多く例として挙げられ、
極限から生還した大勢の人たちにとっては、
実はこのサードマン現象がごく一般的と言っても良いほど、
比較的によく知られた現象なのだとはじめて知りました。

著者のジョン・ガイガー自身も探検家の顔を兼ねるひとりであり、
大自然に挑戦してきた多くの探検家たちをリスペクトしつつ、
それゆえに体験者の心理に大いに理解を示しながら、
いったいこの現象はなんなのか・・・?という問いに対して、
非常にバランスの取れた考察と検証を展開していきます。

その過程は非常に刺激的で、冒険探検記、脳神経科学、
神秘体験やスピリチュアル・・・等々
様々な角度から関心を持つ非常に幅広い範囲の読者に、
大変おもしろい読書体験をもたらしてくれるはずです。

本書では、サードマン現象を体験した人々がそれを通して
しばしば宗教的な気づきに至る人たちが多いことにも触れ、
彼らが自分の体験に関して抱いている感触を肯定しながらも、
神秘的な源からの現象だとする結論に安易に飛びつくことはせず、
この現象との関わりが考えられる人類の意識構造の歴史と、
脳科学的な探求によって明らかになったことを提示する努力が払われています。

しかし同時に、現代の脳神経をめぐる科学によってさえ、
すべての謎が解明されるというわけでもなく、
形而上的な要因の可能性が
排除されるわけではないことを示唆しながら、
人間の生命と精神のしくみににおける
知識と経験の未到達な地点に、
比較的近い未来にやがては達することになるかもしれないという、
ワクワクするような展望が感じられます。

一読者の感想としては、現時点での脳科学的説明の試みと
それでも謎が残るこの現象についての考察から、
人間という生命の形について
なお明らかになるべき真実の存在を感じさせられ、
思わず畏怖をさえ覚える興味深い一冊でした。

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2010年10月09日

秋の風情の深まりとノアノアと・・・

一日遅れの放送後記です。
2週つづいた木曜の雨はきれいにあがってくれて、
10月7日(木)の熱海は晴れとまではいかないけれど、
うす曇りで時々陽射しがさしてくれる過ごしやすい熱海となりました。

の風情がますます感じられるようになってきました。
暑かったの時期よりも大気も澄んで、
なんとなく視界が鮮明になってきたような気がするのは、
気のせいじゃなくてやっぱり秋らしさかもしれないですね。

みなさんはどんな秋の夜の過ごし方してますか?
窓をあけて照明を落として、
月と星の光を秋の虫たちの声とともに部屋の中へと招き入れて、
ただなんとなく・・・って感じで思いが漂うに任せるもよし・・・
暗くなってから夜が明けるまでの時間も長くなったことから、
いわゆる秋の夜長の楽しみ方を毎日あれこれ選ぶのも楽しい。

僕の場合はやっぱり読みかけの本をゆっくり味わうことかも・・・
でもベッドに入って本をひらくと、最近は5分ともたない
すぐに夢の中へまっしぐら・・・(笑)

さて、今週ネロリがスタジオで選んだ精油は、
昨日のうす曇りのぼんやりした感じから、
もう少しすっきりした気分にしたいなぁ〜ということで、
ユーカリ、レモン、ペパーミント・・・
を組み合わせました。
スタジオの中は香りが漂うとともにスッキリ♪
みなさんも是非お手許にある精油をいろいろと組み合わせて、
素敵な香りの空間演出を楽しんでください。

さて、今回はずっと伝えたかったありがとうのコーナーに、
ずい分前に寄せられたメッセージをひとつ
再度取り上げて読ませてもらいました。
halu姉さんのお子さんへのありがとう。。。
とても響きました。

お贈りしたナンバーは、

ヴィグラス&オズボーン
 るんるん秋はひとりぼっち

曹雪晶
 るんるん見上げてごらん夜の星を

クーペ&Shifo
 るんるん愛を伝えていくのでしょう

LauLA
 るんるんファカテレテレ

Gary Moore
 るんるんNothing's The Same

ラジオネーム ケンさんからのメッセージとリクエスト
LauLAファカテレテレ
タヒチの曲なのだそうですが、
楽しいやわらかな気持ちにさせてもらいました!
秋っぽくて少しマイナーな曲ばかりをセレクトしていたので、
そり中で雰囲気を明るくしてもらえて良かった!

フランキンのノアノアな風をうけては、
電波の届く範囲だけではなくサイマル放送音楽を通して
実は世界中から聴いていただけるようになりました。
すごい世の中になりましたよね〜

今回再び、なんとフランスのトゥールーズで
生放送を聴いてくれているリスナーからメッセージをいただきました。
郁子さん!ありがとうございました!
フランキンとネロリの番組を
アロマに触れていただく機会としていただけるなんてなんて光栄!
フランスはアロマの本場でもありますし、
どうやらトゥールーズは精油の生産者もいるようです。

僕とネロリのほうが、
あちらの様子に興味深々ですよ〜
いつもありがとうございます!

さて、来週はキャリアカウンセラーの齋藤めぐみさんです!
伊豆と東京を行き来しながら、
ライフスタイルも仕事も充実しながら、
イキイキとアクティブに生きている女性です。
お楽しみにexclamation×2
posted by フランキン at 01:16| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ノアノアな風を受けて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

茶色の小瓶と緑の地球〜JAS日本アロマコーディネータースクール和田文緒先生in ノアノア♪

すっかりまたまた遅れてしまった放送後記です。
先ずは先週9月30日(木)ノアノア
本日7日放送のものは明日アップいたします!
雨模様の一日だったのですが、まあそれもまた好しということで、
フランキンとしては雨もいいんじゃないの?ってな感じの1日でした。
さてそんな中、今回のノアノアではスタジオからお電話をつなぎ、
香りに関わる素敵なお客様にゲスト出演していただきました。

過日になってしまってからのアップで恐縮なのですが、
10月2日(土)に、東京農業大学世田谷キャンパスにおいて

第1回 農とアロマテラピー シンポジウム
〜持続可能な農業と今後の精油生産を考える〜


というイベントが開催されました。
全国のアロマセラピスト、またアロマに感心のある人々にとっては、
大変興味をそそる、また有意義な情報提供と考察の機会として、
注目されるイベントでした。

そのイベントが2日後に迫る中、
シンポジウムの企画立案と、実行委員としても精力的に活動してこられた、
JAS日本アロマコーディネータースクール講師
和田文緒先生にいろいろとお話をうかがいました。
お電話からラジオへと流れる和田先生のお声はとてもしなやかで、
精油が抽出されるまえの瑞々しい花葉を感じさせるような心地好さがありました。

アロマセラピーの指導者として
多くのアロマコーディネーターたちから慕われている和田先生は、
自著「アロマテラピーの教科書―いちばん詳しくて、わかりやすい!」
の執筆時に世界中の精油生産地へと旅をし、
アロマに関わるものとして、机の上、部屋の中、
健康や趣味やお洒落を越えたところにまで目を向ける必要を強く感じられました。

アロマテラピーの教科書―いちばん詳しくて、わかりやすい!
アロマテラピーの教科書―いちばん詳しくて、わかりやすい!

言うまでもなくアロマセラピーで用いるエッセンシャルオイルは、
すべて植物から摂られたもの・・・
たくさんの植物から抽出した生命エネルギーが凝縮されて、
一滴一滴たんねんに集められたもの
です。
この地球上に植物が豊かに育ち成長していける環境が保たれなければ、
やがては精油も手に入らなくなり、
人はアロマセラピーに触れることさえできなくなる・・

各地の精油生産地の状況を視察するうちに、
和田先生の思いに芽生えた危機感は、
そのまま行動へとつながっていき、それが今回開催された
農とアロマテラピーシンポジウムです。

アロマセラピーは農業と密接な関係を持っているものなので、
それ故に和田文緒先生はアロマに携わる人々も、
農とアロマという観点を持ってほしいといいます。

和田先生はとくに南米ペルー等の精油生産地を訪れてその現状をみつめ、
大変な危機感を感じられたのだそうです。
例に挙げられたのがローズウッドという精油。
この精油を生産していくのに必要な樹木が今危機的な状況にあり、
農業政策や経済的な要因なども関連して植林も殆ど進んでいないのだそうです。
確かに今、ローズウッドは手に入りにくくなっています。
多くのメーカーでは欠品のまま時間が経過している場合が少なくありません。

エッセンシャルオイルの小さくて可愛らしい小瓶・・・
ふだん何気なく手にしているそのひとつひとつの向こうに、
私たちは人が自然と関わり合いながら生き、
経済を為していくことに結びつく知恵を共にしつつ、
未来を見つめていく視点をもたなければなりません。


アロマセラピーは精油の茶色の小瓶だけで成り立つものではなく、
緑の地球が保たれてはじめて人とともに在るのです。


和田文緒先生のお話は、植物をこよなく愛し、
そこからの恩恵への感謝の気持ち
ぴかぴか(新しい)に満ちていました。
いつかまたノアノアの生放送スタジオに直接お招きして、
お話のつづきを皆さんにもさらにお届けできたらと思います。
楽しみにしていてくださいね。

さて、この日の放送は、電波の届く範囲を超えて、
イギリスと並んでアロマセラピーの本場ともいえる
サイマル放送を聴いてくれた
フランスのリスナーからのメッセージもスタジオに届きました!
時差およそ7時間!っということを思うと、本当にうれしい!
ありがとう・・・そんな気持ちでいっぱいです。
トゥールーズから・・・郁子さん、ありがとうございました!

たくさんの方たちがアロマと親しんでいただく
そんな機会のひとつになれたらいいなぁ〜と思っています。

9月30日のノアノアでお贈りしたナンバーは、

Meta Roos
 るんるんRhythm of the Rain

Brook Benton
 るんるんRainy Night In Georgia

Eric Clapton
 るんるんTheme From A Movie That Never Happend

Eliza Gilkyson
 るんるんSong Of The Rainbow Warrior (Part 1)
 
posted by フランキン at 19:14| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ノアノアな風を受けて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月06日

人はそれぞれの「生」にどんな意味を付していくのか?


手紙というものは
通常は私信として届けられているもののはずであるし、
こういう状況の手紙であれば封書は当然だと思うのだけど、
それが相手に受け取り拒否されたからといって、
どうしてマスコミにその内容の文面が公開そして報道され、
受け取り拒否をされた容疑者が「彼がっかりしたと思う」などと、
弁護士が語っている様子を僕らが目にすることになるのだろうか?
文面を見た被害者家族による公開なのかもしれないけど、
そうでなければいったい誰がどういう経緯でマスコミに渡すのだろう。

容疑者には彼なりに向き合っている現実というものがあるのだうけど、
受け取り先が決まっていてその受け取り先に拒否された手紙を、
第三者である弁護士がコピーとはいえもし開示したのだとすれば、、
受け取るはずであった被害者の家族からすれば、
自分宛の手紙を無断で公開されたことにもなる。
通常の手紙のやり取りでは考えられないそんなありさまには
やはり手紙の意図そのものを非常に疑問に思う。

それにしてもこの事件、胸が痛む。
謝罪では償いきれない罪と罰・・・
十字架を背負うという言葉では担いきれない。

人間というのはこの世界に生まれてきて、
それぞれその「生」にどんな意味を付すのか?
人は誰でも問われているんだな・・・
そんなことを思う。
ラベル:市橋容疑者
posted by フランキン at 14:29| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月03日

もうチョッと耐燃性でいこうよ!

夕方にちらっと立ち寄った伊東のGEOで
何か面白そうなDVDはないかと物色中に、
いきなり尋常ではない声が店内に響き渡った。

レジカウンターごしに30代と思しき男性客がひとり、
店員に対し何やらぶつぶつ言いながら、
時々大声を出して怒りパンチを表している。

結局その男性の問題はしばらくの問答のあと、
終始低姿勢な対応をしていた店員により解決したらしく、
男性は速い足取りで出口に向い、
最後にガラスの押し扉を叩きつけるダンっ!という音とともに
店を後にしていった。
なんだか分からないけど、
その様子に僕は不快感を覚えてしまった。

まあ、とにかくこの男性は自分には怒りを表すだけの被害を
この店から受けたとの認識があって、
そしてその怒りは店員に対してのみならず、
事情を知らない多数の別の客の前で
我を失って見せるという、
そんなリスクと引き換えてまで表すべき重いものだったらしい。

ともあれ、その男性にとっては
怒りを叩きつけて放出することが最も大事なことだったのだろう。
それで気分がスッキリして問題が解決するのなら、
多分彼にとっては必要な態度だったのかもしれないけどね・・・。

しかしまぁ、損なことだな・・・と思った。

DVDやゲームソフトのレンタルやら書籍の販売やらで、
我を失くして怒りを表すほどの
いったいどんな問題が起き得るのか・・・?
何があったのかは知らないが、ほとんどの人は、
「あの男性と友達にはなりたくない」・・・と感じたに違いない。

もちろん怒りは必ずしも悪いものではないんだよね。
それはごくごく自然に、
時には正当と思える理由によって生ずるものかもしれないし、
怒りを感ずるからこそ、そのルーツとなっている問題と向き合い
解決しようという意志と行動へとつながることだってあるのだろう。

でもちゃんと焦点が定まっていないと、
怒りの炎というのは治まり何処をみつけられず、
ただ迸るだけの厄介な炎のまま、
大切な自分自身の人となりをさえ燃え上がらせてしまう

そんなことだってあるのかもしれない。

僕も怒りを感じてそれを表すことは時にはある。
振り返ればそれで失敗して苦い記憶を作ってしまったこともあるし、
そんなことをまた繰り返してしまうことだってあるかもしれない。

でも、人は学習することができて、
それはとてもありがたい人間が持つ能力だと思う。
怒りに駆られても、その炎を調節して、
怒りの理由と燃料そのものを消し去るすべと能力を培える。

ぴかぴか(新しい)怒りを前向きなエネルギーとしたいのであれば、
自分が怒りを感じている物事の歪みを元に戻すこと・・・
怒りを覚える相手を自分との元の関係、
あるいは無関係な状態に戻すこと、
またはその誰かを自分の友として「かち得る」こと・・・
そこに焦点を置きつづけていきたいと思う。
自分は炎を制御することが可能であるのだという自覚を
決して失わないようにしたいな。


今日のGEOで見かけた、店に緊張を振りまき、
そこに居合わせた多数の人々に不快感を与えた怒れる男性は、
怒りを迸らせることによって何を得たのだろう?
些細な出来事だけど、
他人の経験も教師となり得ることを示す一場面だった。

世の中そのものにストレス爆弾が溜まり易い今は、
簡単に炎があがりやすく、自分自身もそこに火を注いてしまったり、
燃えるに任せてしまいそうになったりすることだってある。

心にも耐燃性・・・必要ですよね。わーい(嬉しい顔)
posted by フランキン at 21:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月02日

人とモノづくりとアートとチョッとした縁日気分のペルシャの市場みたいな…

午後の時間を少し空けて、
昨日見れずにいた宝物との出会いを楽しみに、
再び伊豆高原さくらの里
クラフトの森フェスティバルへ・・・

伊豆高原クラフトの森フェスティバル あっちこっちに面白いものが佇んでる・・・
左)伊豆高原クラフトの森フェスティバル
右)あっちこっちに面白いものが佇んでる・・・


とにかくいろんな人たちがいろんなものを創ってる・・・
森の奥から見つけた来たような木切れから、
いろんな動物たちが生まれ、
小さかったり大きかったりするガラス玉の中に
小宇宙が納められていたり、
土を捻って火で焼いて、内側と外側の世界観を
自由自在に表現したどこにもない陶器であったり・・・


こいつはペンキの空き缶で創ったドブロギターさ!ボトルネックでギュイン!っと弾きまくれる! セントルイスブルース!プレイなう♪
左)こいつはペンキの空き缶で創ったドブロギターさ!ボトルネックでギュイン!っと弾きまくれる!
右)セントルイスブルース!プレイなう♪


ここはニューオリンズか!?(笑)山梨の還暦ブルースマン登場〜♪

人の手、指先のワザってすごいな・・・
なんて歩きながら思う。
露店にならぶ小さなアートの傍らには目の前に作家さんがいて、
自分の子供を見つめるような笑顔を浮かべて作品を語ってる。
気さくな作家さんたちと僕らも立ち止まっては
あれこれおしゃべりしてみたり・・・

今日のお気に入りは
匠の技にこだわる伊豆高原のカナダ人アーティスト
クリストファー・レッドビターさんの手による、
ハンドメイドの世界に一本だけのペン・・・
ネロリが一本手に入れました。

世界に一本しかないものなんだよ!
世界に一本しかないものなんだよ!

そういえば雫井脩介の小説「クローズドノート」の中で、
主人公香恵が、万年筆の一本一本の魅力を説明するシーンがっあて、
そこを読んだ時からなんとなく
自分用のペンをもう一本持増やしたいな〜なんて思ってた。
あんまり字を書くことが少なくなってしまっていて、
「書く」という仕草というか行為というか・・・
それを懐かしく思うようなところもあったしね・・・

と、いいながら、とりあえず今日はネロリの一本で満足して、
僕はまた少し小遣いを貯めて選ぶということに・・・(笑)

最近ニャンコが恋しいフランキンの琴線に響いちまったぞ、おまえたち! あっ!絵本とか太極拳とか!
左)最近ニャンコが恋しいフランキンの琴線に響いちまったぞ、おまえたち!
右)あっ!絵本とか太極拳とか!


さくらの里というスペースは、
ただ何にもなくても、本来の自分へと「ふ」と我に帰れるような、
そんな押し付けがましくない落ち着きを感じられるところ・・・
今日はここが、人とモノづくりとアートとチョッとした縁日気分と・・・
いろんなものが入り混じって出現としたペルシャの市場・・・
そんな感じでした。
posted by フランキン at 17:53| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする