2010年09月28日

夕焼けというよりも夕染まり・・・そんな東の伊豆の今日の夕暮れ

伊豆で夕陽を見つめたければ、
伊豆半島の西側から望める海に向かって
夕陽に間にあうように車を走らせてみましょう。。
西伊豆には・・・
夕陽のメッカともいえるようなスポットがいくつもあります。
たとえばそんな場所をいくつかをサーチ(調べる)こちらのサイトから・・・

フランキン&ネロリが住む伊豆高原は、
伊豆半島の東側・・・一般に東伊豆と呼ばれるところです。
東伊豆で目にすることができる夕陽は、
じかに夕陽を全身で浴びれるようなものとは少しだけ異なります。

西の彼方に沈む太陽の光が西の大気を焦がして、
網膜に射し込んでくるような黄金色に目を細める時、
東の空はそっとその色を受け止め、
幾つかの波長を吸収しながら淡いピンク色に変えて投げ返してくれます。


伊豆高原から望む、「夕染まり」の東伊豆の空・・・ 天城の山々をシルエットに変える夕暮れの気配に霧が勢いづく・・・その上に一番星が現れる。

夕焼け・・・というよりも、
夕染まり・・・というほうがその雰囲気には合ってるかも。
さっき暮れたばかりの今日も、
そんな夕染まりの東の空の色でした。

東の空に浮かぶ夕焼けから視線を少しだけずらしてみると、
天城の山々に霧が押し寄せ、
その様子のすぐ上あたりに今夜の一番星が現れた。
 
posted by フランキン at 19:03| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Photoスケッチブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

たった1匹の猫へのたった1人の行為が想い起こさせるもの・・・


こんなニュースがあったんだと今になって気がついた。でも残念なことだけど、こういうことってたくさん起きているのかもしれない。

8年ほど前のある日、仕事で訪れていた神奈川県は横浜市の住宅地で1頭の雄の老犬と出合った時のことを思い出す。8月の夏の陽が炎々と照りつけ、アスファルトに反射した太陽の放射熱が住宅地のどの路にも立ち込めていて、整然と同じ方向に玄関を向けて建っているどの家もきっちりと窓を閉め切って冷房をガンガン利かせていた。僕が訪れていた家から10メートルほど離れたところにある電信柱の辺りがどうやらこの辺りのゴミ集積所らしく、近所の人たちが手に手に大きなゴミ袋を持ちながら三々五々やってきては無造作に袋を積み上げ、少しばかりのおしゃべりをしてはまた汗の掻き掻き冷房の効いた部屋へと戻っていく。僕はそんな様子に時々目をやりながら残りの仕事を片付けつつ、少し時間を於いて再びふとゴミ集積所のほうに目を向けてみた。積み上げられたゴミ袋の山のふもとにいつのまにか1頭の犬の姿があった。

はじめは飼い主の手を放れてしまったどこかの飼い犬がゴミの臭いに惹かれて袋を突いているのかと思ったのだけど、それにしてはどうも様子がおかしい。気になったので10メートル先の電信柱のところまで行ってみると、容赦ない夏の陽射しを浴びて既に異臭を放ちつつあるゴミ袋の山に寄り添うようにして一匹の雄の老犬の姿が・・・! 照りつける太陽と卵が焼けそうなほどに熱せられたアスファルトの熱を直接身体に受けてグッタリしたままこちらを見ているので、思わず「なんだよお前・・・どうしてこんなとこにいるの?」と声をかけながら近づいてみると、どうやら後ろ足が両方とも麻痺していて歩けない様子で、僕にはいったい何が起きているのか僕が悟るのに一瞬時間が必要だった。この老犬はこのゴミ集積場に、あと少しで収集車がやってくる直前に誰かによって生きたまま捨てられたのだ。どんな事情があるのか知れないけど、それはあまりに悲しいそして見ていてたまらなく悔しい光景だった。

老犬は3日後に僕の家で息をひきとった。排泄もままならない状態の彼を世話をすることは確かに難儀だったけど、あのままあの炎天下のゴミに見捨ててしまったならきっと僕は思い出す度に一生その時のことを後悔していたことだろう。

人間は元々残酷な生き物なのだという人がいる。でも本当にそうなのだろうか?と僕は思う。もしかしたら、ただ、目を瞑るということが出来てしまう・・・心を閉ざすことが出来てしまう・・・そしてそんな環境にあるというだけのことなのかもしれない。僕が出会ったその老犬はゴミとして捨てられていた。誰だって自分が捨てたゴミの行く末がどんなものなのかなど、たいていは知らない。どこに運ばれていき、どんな人たちがそれに関わり、最後はどうなるのか?何かを捨て去った時点で、人はその後のプロセスから自分を切り離し無関係になる・・・目をそむけ考えずいられる。世の中の仕組みはそれを許してしまう。自分の選択や行為の果てがどんなものなのか薄々気づいていたとしても、それがどれほど悲しい行く末を意味するものだとしても、何事もなかったかのようにいられる。

僕らが豊かさを感じながら生きていくには他の生き物との関わりが間違いなく存在しているはずなのに、世の中の仕組み(流通・廃棄)によって目にも気にも留めなくとも良くなってしまった。僕らは恩恵だけを受けながらそれに対して自然に生ずる感謝をどこかへ追いやって忘れてしまうことができる。ペットと関わること、労働の一部を肩代わりしてもらうこと、食物として食べること・・・そのすべてにそれぞれの生き物たちの生と死のプロセスがあるはず。

ひとりの人間が成長し生きていくのには、同じ時を生きている他の数知れない生き物たちの死を要しているのだと思うのだけど、どうなのだろうか? そういえばずい分前だけど、熊谷達也の小説サーチ(調べる)「邂逅の森」を読んだ時に感じたことを思い出す。大正時代の東北の山に生きるマタギの男の人生を描いた物語たったのだけど読み進めていくうちにいろいろなことに気づかされる。山や森に赴いて自ら動物たちと渡り合い生きていくための糧を得ていた時代の人間たちは、命に溢れた生き物たちの動きに敬意と羨望を覚えつつ彼らに手をかけ、その身体から生命が抜けていくプロセスを見つめながらその死によって得ることができたすべてのものを決して無駄にはしないという精神をごく普通に育んでいた。もちろん同じ感覚をいま僕らが持つことはできないかもしれないけど、それでも少なくともこれらの他の命との関わりに必ず存在しているはずのプロセスへの想像力を完全に手放してしまうなら、この地球上で僕ら人間はじつに独りよがりな種族となってしまうような気がする。

さて、世界中で無数の生き物たちが人間の手によって毎日無為に命を落としている中で、たった1匹の猫に対するたった1人の人間の行為が世界中の人々の非難を招き、さらには事件として法廷にも出されているというこのニュース。もしかしたら大多数の人たちが敢えて目をそむけ、想いの外へと追いやってきたことを、否応なく想い起こさせる出来事なのかもしれない。このニュースで報じられている行為に対して、「なんてひどい!」という感覚を覚える瞬間に、それは自分以外の誰かの行為ではあるのだけれど、同時に実は自分自身も無関係ではない、どこかに忘れてしまった生き物や自然との関わりの中にあるはずの幾つものプロセスに目を向けざるを得なくなるように感じ、何かを突きつけられたような気持ちになってくるのだと思う。
posted by フランキン at 13:24| 静岡 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

月は無慈悲な夜の女王…

今宵は「月は光りぬ」を聴きながら、
手許のグラスに真ん丸の月を映し・・・
月見酒でもいかが・・・?

月の輝く夜には・・・やはりこの曲を聴いてみたい。
身に降りかかる様々に振られながら、
まっすぐに月を見つめて
その時の気持ちをメロディにした「月は光りぬ」・・・
月は無慈悲な夜の女王のままなのか?
それとも、中天にさしかかった月が
誰かのために光を放っていることなどあるのだろうか?


曲演奏 by UNO
ぼけぼけだけど一応伊豆の月写真 by フランキン
 
posted by フランキン at 21:38| 静岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

あなたの人生にも「ざんげレゲエ」を…Tetchimo7 in ノアノア♪

9月16日の熱海は雨模様雨の一日となりました。
でもその雨が、けっこう強く降っているのに、
ちっともわずらわしくない。
季節の替わり目の気配をますます深めてくれる、
なんとなくもう来ているはずのに加勢してくれているような・・・
そんな心地好さがありました。

テッチモ7が再びやってきた!

さて、そんな雨の熱海に、
心に触れる音楽とともにノアノアのスタジオを訪れてくれたのは、
レゲエシンガーソングライターの
Tetchimo7さんでした!

今年の4月に、
ユメミノ音泉村レーベルよりファーストミニアルバム
ざんげレゲエをリリースし、
今、円熟の度をますます深めているTetchimo7さん

ざんげレゲエ
ざんげレゲエ



サーチ(調べる)6月に一度ノアノアにゲスト出演してくれた時には、
持ち前のノドを自在に生かした
パワーと抑えを帯びたヴォーカル…そして、
アグレッシブ且つブルージーな響きをもち、
とても優しげにも聴こえてくるギタープレイがかもす
Tetchimo7さんの歌の世界に
すっかりジャストミートされてしまった
フランキンとネロリですが、
それだけに再度のノアノアゲスト出演!
たいへん楽しみにしておりました〜♪

ユメミノ音泉村の村長さんからのおみやげと、テッチモ7キャラクター〜!よく似てるぅ〜♪
ユメミノ音泉村の村長さんからのおみやげと、
テッチモ7キャラクター〜!よく似てるぅ〜♪


世の中ってなんでもすべてをお金に換算して考えてみたり、
成功やらなにやらを、
どれだけ有名になったか?どれだけ利益を得られたか?
そんなことがモノサシになっていたりするけれど、
でも、こと音楽についての尺度っていうのは、
そんなものだけで測れるものじゃないと思う。

だから音楽って…歌って…たぶん人の想いと声から、
自然に発生したものだと思う。
Tetchimo7さんが曲を作る時、歌をうたう時、
どこかの…なにかの…誰かの…ような音楽を作ろうとしたことは
今まで一度もなかった。

Tetchimo7さんと向き合って話していると、
彼が自分の人生の時間の中で見てきたこと、考えたこと、
自然に湧き上がる想いや感情・・・そういった諸々を、
自分の好きな言葉や音のならびに自由に振り分けて、
その時々にジャンルに拘らずに自分が好むスタイルに
自然と出来あがった曲ばかりなのだということに気づきます。

そして今、レゲエという音の運びとリズムに、
彼は一番素直に無理なく心地好く、
自分の言葉を乗せられる相性のようなものを感じている・・・
ライヴで放たれた
彼の優しさといたわりを帯びたレゲエヴォーカルは、
「人生」なんていう言葉が表す、誰もが止まることができない
通り過ぎることしかできない
時間の流れの中の様々を思い起こさせ、
そこに居合わせた人達の心にそっと触れるようにして入り込み、
時に聴く人たちの涙を誘うことも・・・

人間生きていれば、
いろんな「ありがとう」や「ごめんなさい」をまとってる・・・
誰だって壊れてしまいそうな時や
消し去ってしまいたいようなことだってある。
でもそっくり全部まとめて自分の生き様なわけで、
Tetchimo7さんの歌は、もう一度自分というものを
受け止めなおしてあげたくなる、
そんな人生や時間、人への愛着に溢れています。


スタジオ生演奏!ざんげレゲエ〜♪

ミュージシャンとしてのキャリアと
ギタリスト&ヴォーカリストとしての実力は充分すぎるほどで、
そのうえソングライターとしての言葉と音のセンスは、
虚飾とは無関係な生ものの音楽を求めているリスナーにとっては、
たまらない魅力をもって迫ってくるはず・・・


番組には先回同様、
サイマルラジオを聴いてくれている様々なところから、
メッセージをいただきました。
なんと大阪北海道!フランスからも!!
あとで知ったのですが、
フランスでラジオを聴いてくれていたリスナーのひとりは、
お子さんたちと「ざんげレゲエ」を大合唱したらしい・・^^
みんなに愛されてますね?黒ハートテッチモさん♪わーい(嬉しい顔)

そんなTetchimo7さん、先回ノアノア出演の後、
ご自身でもラジオ番組のパーソナリティを務めているとのこと。
84.2MHz エフエム西東京 毎週水曜24時放送
音楽Tetchimo7アワー〜今夜もよろしくおレゲエRADIO!
サイマル放送で聴けるみたいなので、
ぜひチェックを!!

お贈りしたナンバーは、
スタジオ生ライヴでの曲も含めて3曲

サーチ(調べる)Tetchimo7

 るんるんBaby Guiter

 るんるんハートと僕 (スタジオ生ライヴ)

 るんるんざんげレゲエ (スタジオ生ライヴ)

 るんるんレゲエの木の下で (番組ラスト近くにBGM)


さて、ユメミノ音泉村の村長さんこと、
なつし聡さんとTetchimo7さんがジョイントするライヴが近づいています!

■2010/9/24(金)
Tetchimo7 with なつし聡 Live@赤坂グラフィティ
出演:Tetchimo7、なつし聡 with 鴻池薫& Blues Rock Friends
開場18:30 / 開演19:30
料金:前売3000円/当日3200円(1drink別)

赤坂Graffiti
〒107-0052東京都港区赤坂 3-21-10 赤坂NSビルB1
TEL.03-3586-1970

http://www.moz.co.jp/graffiti/access/

ぜひぜひこちらのライヴにも皆さん行ってみてください!
ノアノアなお客様として、
Tetchimo7さんにはまたぜひ来ていただきたいですね。
posted by フランキン at 03:09| 静岡 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

Tetchimo7が再び登場のノアノアは明日PM2時なのだ♪

今週のノアノアは明日午後2:00からの生放送です。
さてさて、少しずつ秋の空気の感触も強くなりつつある
熱海のスタジオにやってきてくれるのは、
レゲエなのに昭和!新しいのに懐かしい!
Tetchimo7!(テッチモ7)

テッチモ7がやってくる!

これまでも個性豊かな素晴らしいアーティストを
何人もこのノアノアにおくりこんでくれてきた
源泉かけ流しのアーティスト集団
ユメミノ音泉からのお客様です。

今年6月に一度ノアノアにゲスト出演してくれているTetchimo7さん!
(その時の模様はサーチ(調べる)こちら)
明日のノアノアでは生ギター1本での
スタジオ生ライヴもやっちゃうかもしれませんよ〜るんるん

さてさて、いったいどんなノアノアとなるのか楽しみです!

【テッチモ7 プロフィール】
1968年、埼玉県生まれ。若干3歳にして世界の国旗をすべて憶える。20歳の時にギタリストとしてメジャーアーティストのツアーに参加。
その後も、ギター・ボーカル・コーラス・ブルースハープで数々のライブサポート、レコーディングに参加。
2007年、詩うレゲエマン、 Tetchimo7としてソロ活動を開始。レゲエというスタイルにこだわりながら、誰の日常にもある心象風景を見事に描き出すシンガーソングライター。笑わせておいて、ちょっと泣かせる映画を観おわった後のような爽やかな空気がTetchimo7の世界観。2010年4月21日、ユメミノ音泉村レーベルより「Tetchimo7」として1stミニアルバムをリリース。


サーチ(調べる)番組はサイマル放送(インターネット)でも生放送されます。
サイマル放送の聴き方
サイマルラジオのサイトに行く
東海 → Ciao!熱海の放送を聴くをクリック
メディアプレーヤーが起動してお聴きいただけます。

サーチ(調べる)iPhoneユーザーは愛ポンでも聴けますよ♪ ←聴き方はこちら
お楽しみに〜るんるん
タグ:Tetchimo7
posted by フランキン at 20:04| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ノアノアな風を受けて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

多くの洋画ファンを作ってきた大声優さん達の若き日の仕事ぶりとの再会に感無量!

襲われた幌馬車 [DVD]
襲われた幌馬車 [DVD]

なんと!この映画のDVDが発売されていたとは!!少年の頃にテレビの洋画劇場で映画を吹き替え版で見ることが多かった自分にとって、この作品はもしかしたら2度と目にすることはできない映画なのか!?と、半分あきらめていました。

CGなど、影も形もないころに、当時の誰もが本当に目にすることを憧れたはずのアリゾナの“聖地”セドナの一日の長さと乾いた大自然の美しさ・・・そのすべてをまさしくオールロケで見せてくれた「襲われた幌馬車」は、映画の底力を感じさせる良き時代のハリウッドが残してくれた貴重な一本といえます。

この作品よりも前に、「アラモ」でジョン・ウェイン扮するデイビー・クロケットと友情を分かち、あのアラモの闘いで壮絶な最後を遂げる荒削りで型にはまらない西部の男、ジム・ボウイ大佐を演じたリチャード・ウィドマークの好漢ぶりに心酔した僕は、真夜中に再放送された「襲われた幌馬車」をひとりで見、砂埃にまみれたブロンドの髪にあの斜に構えた目つきと気迫と凄みの中にどこか安心させる雰囲気を醸すリチャード・ウィドマークという役者の存在感に完全にやられてしまいました。

さて、テレビで映画を見ることが多かった世代の宿命として、字幕よりも圧倒的に吹き替え版による映画鑑賞が多かったというのは言うまでもありません。当時はまだまだ西部劇が人気をはくしている時代で、この「襲われた幌馬車」もそれに違わず吹き替え版での記憶です。というわけで、この映画が強く印象に残ることとなった背景に、この映画で吹き替えを演じている声優さんたちの存在は、自分にとっては大変大きなものです。古い洋画作品のDVDの場合、日本語吹き替えが中途半端に途切れ途切れであったり全く無かったりすることもありますが、うれしいことに今回のDVD化には、まさにあの時テレビで見た時と同じ、1973年6月22日放映 ゴールデン洋画劇場日本語吹き替え版を72分も伴っているということを知り、小躍りしたいほどです。

リチャード・ウィドマークを演じた大塚周夫さんの独特の絞りの利いた声、そして後には宇宙戦艦ヤマトのスターシアを演じ、ある意味伝説的な美しさを感じさせる故・武藤礼子さんをはじめ、一時代を築いてきた大声優さんたちの仕事ぶりが、確かに日本における多くの洋画ファンを作ってきたことを証しするこのDVDはまさに貴重な一枚であると感じているのは、多分僕独りではないはず・・・そう思ってます。
posted by フランキン at 01:37| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

9月8日のドラゴンと沈黙のテレフォン

9月8日・・・幾つもの雷
ドラゴンの如く伊豆高原の天空に荒れ狂いました。
ピカっと光って間髪をおかずドドーーーン!
またはピカっと稲妻が走ると同時にドドーーーン!
カミナリの本隊はすぐ目の前の空にあったようです。
何個落ちたんだか〜!がく〜(落胆した顔)



YouTubeにUPしたのは、その中の一発
我が家のまだ新しい電話機が・・・ああ・・・
沈黙のテレフォン。。。
 
posted by フランキン at 18:32| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミケとチャポとShinoさん、そしてゆみ子さん♪サプライズラジオでした!

列島横断のさなかに台風9号が衰えてくれて、
台風一過の晴天に!と期待したのですが、
9月9日(木)は時々青空がチラリと見えはしても、
なんとなくすっきりしない曇天…
それでも空気がすっかり秋の風情を感じさせてくれるような
過ごしやすい日となりました〜♪

シンガーソングライターのShinoさん登場です♪

そんな9日のノアノアにゲスト出演してくれたのは、
Popsユニットバジルのヴォーカル、
またソロのJazz&Popsシンガーとして活躍中の、
Shinoさんでしたexclamation×2ぴかぴか(新しい)

ゲスト予告の記事でも紹介してましたが、
はじめてお会いしたのはもう数年前・・・
その時の印象は、ふだんはロックンロールをBGMに、
絶対オートバイを駆って跳んでいきそうなイメージだったんですが、
実際にお話してみると、とっても正義感の強い
心優しい淡い桜色を感じさせる日本女性なのでした!

Shinoさんがバジルとしてまたソロとして歌ってきたのは、
時にドラマチックに、
また別の時にはとってもリリカルに・・・

まだ始まったばかりの昔に
ティーンエージャーの頃の記憶を残しながら
少しずつ重なっていく大人の日々がもたらす
身の回りの人や季節や風景への愛しさと
その中で移ろいゆく気持ち・・・

新しいのだけど70年代の懐かしさも感じさせる…

そんなサウンドとヴォーカルに心地好さを見出す音楽ファンは、
きっと幅広い年齢層にわっているだろうなぁ〜と思う。

番組ではもう円熟したアーティストとしてのShinoさんの
ここ最近経験しているたくさんの変化と新たな挑戦について
いくつも語っていただきました。

都会っ子を自認するShinoさんですが、
今は音楽活動とともに、活動を別のステージにも広げて、
なんと農作業にも挑戦をはじめたのだそうです。
自分が絶対にムリだと思っていた、自然と関わり、
自然の成り立ちに身を合わせながら作物をつくる農家という体験・・・
それを今、いつのまにか楽しんでいる自分もいる。

未知の領域が自分のフィールドへと変化していく中で、
Shinoさんも、自分自身の中に
幾つもの新しい発見をしているようです。

さて、これまでは犬ネコ猫たちとの関わりもあまりなかった彼女ですが、
今は何匹もの猫たち犬たちにも囲まれて、
今まで感じることのなかった感情も経験するようになり、
それとともに、最近の気づきの中で自然と発展してきた
ひとつのイベントを企画しています。

サーチ(調べる)第一回 あおばすまいる
〜ミケとチャポのうた〜チャリティコンサート


人間中心の社会の中でちゃんと共存していると思っていた
多くの猫たち犬たちが強いられている悲しい現実…
まっすぐそこへと視線を向けたこのチャリティイベント…
Shinoさんの心に深まっていく生き物への愛情を感じさせられます。
(ミケ&チャポはShinoさんとこのワンとニャン)

さて、番組途中に突然の生電話乱入〜!!っということで、
今回のノアノア、Shinoさんへのサプライズexclamation&questionも準備していました。
有馬ゆみ子さん
今回のチャリティコンサートに出演するシンガー&女優の
有馬ゆみ子さんの声がいきなりスタジオに響きわたりました!
声優として女優としてシンガーとして、様々なシーンで
その素敵なヴォイスが聴けるゆみ子さんですが、
有馬ゆみ子さんといえば、彼女が歌っている
人気アニメちびまるこちゃんのOPテーマ
夢いっぱいが僕もネロリも大好きで、
いつ聴いても元気をもらってます^^

突然のスタジオ生電話乱入!(^^)で、
スタジオは大いに盛り上がってくれたのでした!

Shinoさんをお迎えして・・・

お贈りしたナンバーは

バジル

 るんるんホッペにチョコがついてるよ
 
Shino

 るんるんMILK

有馬ゆみ子
 るんるんLook on your face

Shino
 
 るんるん君の命は地球の重さ
 
ゆかいな仲間たちが集まり、
思いをひとつにして創り上げていくチャリティステージ!
イベントの大成功をお祈りしています!
 
posted by フランキン at 13:19| 静岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

明日のノアノアは…Shinoさんに会える♪

台風9号がなんとか消えてくれて、
明日の熱海・湯河原・伊豆地方はまた暑く晴れなるのかな?
ようやく秋の空気も感じ始めたんで、
いっそこのままらしい気候になってくれたらいいのに…

そんな台風一過(?)の明日9日PM2時
ノアノアのスタジオにさわやかな風を運んでくれるのは、
シンガーソングライターのShinoさんです!

ネロリ(手前)&Shinoさん♪
ノアノアでのネロリ(手前)&Shinoさん♪

はじめてお会いした時には
バイクを駆って跳んでいきそうな、
Rock'n'Rollなイメージがあったんですが、
歌を聴いてみて、話をしてみて・・・
するととっても家庭的で正義感の強い、
それでいて控えめな日本女性
がそこにいました。

都会っ子ながら、
今は歌を歌いながら農業にも携わっている
そんなShinoさんをお迎えしてのノアノア♪
お楽しみにーーー!

サーチ(調べる)番組はサイマル放送(インターネット)でも生放送されます。
サイマル放送の聴き方
サイマルラジオのサイトに行く
東海 → Ciao!熱海の放送を聴くをクリック
メディアプレーヤーが起動してお聴きいただけます。

サーチ(調べる)iPhoneユーザーは愛ポンでも聴けますよ♪ ←聴き方はこちら
お楽しみに〜るんるん
posted by フランキン at 14:00| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト&アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

物語は残り香・・・香りはタイムマシン〜エステルの物語

この夏、ネロリとフランキンのアロマスクール&サロン花らんぷが提供するアロマトリートメントにたくさんの人たちが感動の声を残していってくれました。施術はすべてネロリが行っていますが、伊豆を訪れることがありましたら、是非ネロリの手と極上の香油をもって施されるアロマトリートメントを受けてみてください。

さて、今回はアロマを用いたリラクゼーションとして今や大変ポピュラーなものとなっている香油を用いたマッサージ(法令上「マッサージ」とは店舗等に表記できません)が、実は大変古い歴史をもったものであるというお話をしましょう。人と香りのつながりの歴史を調べていくと、古代から中世、そして近代、現代まで、さまざまな仕方でアロマセラピーは人とともにあったことがうかがえます。

3年ほど前に『300』(スリーハンドレッド)という映画がありましたが、スパルタの王レオニダスをジェラルド・バトラーが演じ、紀元前480年頃にペルシャ戦争の中で戦われた有名なテルモピュライの戦闘を描いたものでした。さて、この凄惨な戦いを描いた映画の元となった歴史に、今日のアロマセラピーの用い方にもつながる人物を見出すことができると聴いたなら意外に感じる人もいるかもしれません。

わずか300人のスパルタの兵士に殺到する100万の軍勢を率いるのが、ロドリゴ・サントロ演ずるペルシャの大王クセルクセス一世です。映画では顔や身体を幾つもの金銀の装飾品に包んだ尊大な大男として登場したクセルクセス…実はこの男の王妃とされる女性にまつわる物語がバイブルの物語の中に残されています。その名はエステルというユダヤ人の女性。フランキンもネロリも宗教とは無関係ですが、ひとつの物語の本としてのバイブルの中に、今日行われているアロマトリートメントと深く関連する記録があるのを知り、興味深く感じています。

The Bible - Esther (2000)
The Bible Esther (2000)

エステルは、王の怒りをかって退位させられた前王妃にかわる王妃候補の美女たちの中から、みごと王妃として選ばれた女性だとされています。彼女はある時、クセルクセス一世の治世中にペルシャ内で起きたとされるユダヤ人絶滅の陰謀を知ります。王妃といえ、呼ばれもせずに王の前に出れば僭越な者とみなされ命はないという厳しい城の中の掟にも関わらず、彼女はその陰謀の背後にクセルクセスの家臣であるハマンという男の企みがあることを知り、命を懸けてクセルクセス王の前に進み出てその陰謀の存在を暴露し、ユダヤ人へ危害が及ぶことのないよう王に請願します。その結果としてユダヤ人は民族として難を逃れたのだといいます。その時のエステルの勇気ある行動とそのいきさつを記念し、現代のイスラエル人たちもプリムと呼ばれる祭りとして今に残しています。

歴史上の記録に、クレオパトラ楊貴妃などのように、絶世の美女として今も語り継がれる女性たちが幾人かいます。もしかしたらクセルクセス一世の心を射とめたエステルも、そんな女性のひとりと言えるかもしれませんね。そういえば彼女の物語は幾度か映画やドラマにもされていて、70年代にはあの「ロミオとジュリエット」でジュリエットを演じたオリビア・ハッセーも、エステルを一度演じています。

エステルの健やかさと美しさに寄与していたもの・・・実はその背景にアロマセラピーの存在が浮かび上がります。前王妃が退位させられ、王は次の王妃を多数の女性たちの中から選ぶこととなったのですが、王の選びに備え、候補の女性たちはなんと今で言うアロマトリートメントを受けたのです。記録によれば、エステルは計12ヶ月という長い期間にわたって、没薬やバルサム油をも用いた美容処置、つまり香油を用いたマッサージと思われる施術を受けたようです。これは当時国家間の贈り物として採用されるほど貴重なものとみなされていた、ミルラ(没薬)やフランキンセンス(乳香)やその他の天然の香油を使ってのアロマトリートメントが、紀元前のこの当時すでに健やかさを保つための有用な手法みなされ行われていたという事実を今の時代に伝えてくれています。

過ぎ去った古代に目を向けてみると、現代にも精油として手に入れることができる多くの香油が当時大変珍重され、人々は生活の中にごく自然にそれらを取り入れていたらしい・・・ということがうかがえます。こうして考えてみると、アロマセラピーというのは時に時空を越えた感覚をもたらしてくれます。古代の王たちや女王たち、さまざまなプリンセスたち・・・彼ら、そして彼女たちは、アロマに接することを楽しみました。そしてそれらの香りと、その及ぼす影響力が生活を豊かにすることを歓迎しました。現代にアロマセラピー、そしてエステルの物語にあるようなアロマトリートメントを体験するというのは、そんな歴史に残る人たちと同じ体感を経験することを意味します。僕がしばしば、「物語は残り香…香りはタイムマシン」と表現するのはそういった理由があります。

さて、エステルの話にもどります。エステルが施されたという香油による美容処置の記録は、アロマセラピストのみならず、現代のエステティックに携わる人たち、つまりエステシャンたちの仕事にも関連しています。エステティックという言葉の語源をネットで調べてみると、ギリシャ語の言葉にいきつくようですが、それはそれとして、古代のペルシャの王宮の中での命がけの行動によって多くの人たちの命を救った美しいエステルという、ひとりの女性を想い浮かべながらエステという言葉を考えてみるのも、なんとなく夢を感じます。ユダヤ人でありペルシャの王クセルクセスの王妃となったエステル・・・そのヘブライ語名はハダス・・・ぎんばいかを意味します。祝いの木として知られるこの可憐な花の葉枝からは、精油のマートルが採れます。
 
posted by フランキン at 00:20| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | アロマセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月04日

「宇宙創造に神の居場所はない」…これはまた刺激的で思考を要するニュースですね。


基本的に僕は現在無宗教です。また考え方は流動的(自由)でもあります。そんな僕がこのニュース記事を読んで感じることをチョコッとだけ書きます。

ホーキング博士の著作を読んでいるわけではないのだけど、この記事が示しているのは、宇宙の起源についてホーキング博士自身が個人として確信するに至った考えが博士の新著の中に提示されているということであって、「宇宙は創造されたのではない」…ということを、万人が受け入れるべき事実として見なければならないわけではないと思います。宇宙の起源についての考え方は、我々人間ひとりひとりが空と月と太陽と星々を仰ぎ、深く探求しつつ、人によってはホーキング博士の著作を含め、宇宙というひとつの現象についての説明を試みる様々な科学的な書物や学問の助けを借りながら、誰もが個人としてそれぞれに考え、自分の中で答えを出していっても良いものなのでは…?などと僕は考えています。

また必ずしも、ホーキング博士が「神」と表現している概念と同様の概念ですべての人たちがそれを捉えているとも限りません。神というものを、宇宙の中で自分と他を明確に区別しているユダヤ・キリスト教的な唯一無二の絶対神的なものを意味すると捉える人もいれば、すべての現象や極大極小の万物の成り立ちの中に神が宿っていると考えている人もいます。ホーキング博士がどんな概念を想定して「宇宙創造に神の居場所はない」と述べたのかは著作を読まなければ正確には分かりませんが、僕個人としては、「宇宙の起源」という根源的な謎については、まだまだ統一された答えに科学が達しているとは考えていません。ただ、科学によって「神」という概念の中から既成のもののどれかが否定されることは有り得るとは思います。しかし同時に、もしかしたら古代から連綿として伝えられるまた別の概念が命を得るなどということも有り得るかもしれません。ホーキング博士の新著についてのこのニュース…一見には「創造者」そのものが科学によって否定が確定したような書き方をしているように感じますが、ことはそんなに簡単なことではないような気がします。

いずれにしても、このようなニュースはとても刺激的です。ホーキング博士が新著で述べているという「自発的な創造」とはいったい何なのか?存在が明らかな法則はなぜ法則として機能するに至ったのか?まだまだ謎ばかりで、それについての科学の説明を理解するのも大変なことではありますが、人はそれぞれの立場で、せっかく持って生まれてきた考え、悩み、答えを欲する能力と本性を、時に存分に楽しむべきだと思います。たいていの人にとっては、神や創造主など以上に人間である自分自身がより現実で確かな存在であることは間違いないですが、今の地球上での集団としての人間の振る舞いからすると、創造神の居場所を云々しているうちに、いずれは人間自身がこの宇宙に居場所を失くしてしまいそうな気もしてきます。

遅かれ早かれ人は誰でも自分のタイミングで我に返り、科学者であるか否かに関わらず、直感的に自らの内にしばしば沸き起こる自然と宇宙への畏怖と敬意を大切にすべきだと思います。創造の有無をどう捉えるかはそれぞれとして、科学者の多くはそんな謙虚さを伴う感性を持っている故に科学者という道を歩んだのだろうと、僕は考えています。
 
 
posted by フランキン at 11:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月03日

邂逅のころぼっくるひゅって

山 孤独と夜―小さな山小屋に暮らして

10年ほど前まで、子供たちをたくさん連れて、
総勢20人ぐらいで信州は霧ヶ峰へ毎年のようにキャンプに出かけた。
キャンプと言ってもそれほど本格的なわけじゃなかったけど、
でも一応テントで夜を過ごすっていうのは、
子供たちにとっても自分にとっても、ちょっとワクワクする体験だった。

霧ヶ峰高原に到着したはじめとして、
いつも最初に訪れていたのが、車山というところ。
ビーナスライン沿いに大きなドライブインがいくつかあって、
けっこう気軽に車で行くことができる。

チャップリンという名のドライブインがあって、
その駐車場辺りから始まっているハイキングコースを歩き、
車山山頂を目指す・・・

そしていつも歩きはじめたすぐのところに、
大きなドライブインとはまたちょっと違った佇まいで、
おそらくこの近隣の観光施設なんかまだ何もなかったころから
ずっとそこにあること間違いなしの小さな山小屋が目に入ってくる。

ころぼっくるひゅって・・・

実は9年ほど前、一冊の本に出会い、
その本は僕のお気に入りの一冊となっている。
「山-孤独と夜 小さな山小屋に暮らして」
(手塚宗求 著 山と溪谷社)

この本の中に出てくる、
使い古された薬缶(ヤカン)の話
樹の種類によって薪から得られる火が異なっていること
夜遅くラジオから感じられる奇妙で優しい連帯感であったり・・・

たぶん街の中にいたならば見逃してしまうであろう、
様々な小さな風景の中に「豊かさ」のようなものが感じられ、
読んでいるうちに
どんどん自分が内側から築き挙げられていくような、
そんな静かな力強さを感じる一冊・・・
はっきり言って、タカラモノ。

この本に出会って、
あの時に見た山小屋の主人が書いた本なのだと知り、
いつかまた霧ヶ峰を訪れて、コロボックルにも行ってみたい!
そしてできれば手塚さんにも直接お会いしてみたい!
そんな思いを抱きながら伊豆からなかなか遠出ができないまま
時間ばかりが流れてしまっていた。

ところがなんと今日!
このコロボックルヒュッテがホームページを開設していたことを発見!
これはちょっとした邂逅の恵み・・・
posted by フランキン at 14:30| 静岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

マイレージ・マイライフ

マイレージ、マイライフ [DVD]

ちょっとだけネタバレも含みます。

世界的大不況と云われるようになって久しいですが、
映画の中で解雇通告に直面する人々の表情と言葉からは、
ここまでアメリカの経済は疲弊してしまっているのかと、
改めて愕然とさせられ、この社会がこれまで形作ってきた何もかも…
そこに確かなものなど何ひとつないのだと痛感させられます。

そんな現実を突きつけられながら目にするひとりの男の生き方。
成すべき仕事と報酬、
そして誰もが羨望するステイタスにつつまれ、
軽快な人間関係を楽しみ、
いつでも空を駆け抜けていくようなライフスタイル・・・
ジョージ・クルーニーが演ずるライアン・ビンガムという男。
彼が獲得したかに見える人生には一瞬羨望を覚えます。

もちろんそれは、ただ単に彼が幸運であったとか
人よりも機会に恵まれていたと言ってしまえるものではありません。
彼がいつしか唯一の「夢」、また最も「具体的なリアル」として捉えている
マイレージを1000万マイル貯めるという目標と同じく、
小さな始まりからコツコツと努力と共に積み重ねてきたものなのでしょう。

事実ビンガムの生活は実に徹底しています。
スケジュールは常にフルスケジュール・・・
でもそんな彼から多忙な印象を受けることありません。
完璧なセルフコントロールとスケジュール管理、
自分の日常から「余計」と思えるものは徹底的にリストラし、
必要なものはバックパックひとつに仕舞い込むことができる・・・
そんな信念を自ら実践しています

厄介なものや余計なものは自分のバックパックに一切入れない・・・
でも、人々との関わりの中でいつしか彼は気づいていきます。

何ひとつ・・・本当に大切なものさえも、
何も入れないままここまで来てしまった。

自分が強く求め、望んでいるもの・・・それらは本当に
自分自身の中の本来の必要を満たしてくれるものなのか?
この映画は、見ている僕にそんな問いかけを、
無理なく投げかけてくれるものでした。

この社会に形作られている
目に見える様々にしかリアルを感じられないとしたら、
本当に大切なものを何も持たないまま、
ある日突然空の上で、
自分は地上の何処にもいないのだと気づくのかもしれない。

映画の原題「Up in the Air」が示すものと
ラストでただ大気が流れるだけの音・・・
あの空虚感がたまりませんね。

本当にに大切なことってなんだろう・・・?
それは時に泥臭かったり、面倒なことであったり、
自分自身を与えることだったり、
余計に時間や労力を費やさなければならない・・・
そんなものだったりするのかもしれません。

ジョージ・クルーニーが実に魅力的に演じている
主人公ライアン・ビンガム。
彼が数日のうちに経験する幾つかの出会いとその顛末、
そして皮肉な経験と
彼の内側に生じてもはや消えないであろう変化の兆し・・・
映画を通してその成り行きを見守る側も、
自分自身の価値観を洗いなおす機会に恵まれます。
素晴らしい109分間でした。
posted by フランキン at 20:33| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの映画見た?この本読んだ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする