2009年11月23日
一語一句語り継げていく関係…そして「華氏451度」
振り返ってみると、自分は歴史の勉強は嫌いでしたが歴史の話を聴くことは好きだったような気がします。過去の出来事や人物について何かの知識や情報を得て自分のものとするためには、先ず語ってくれる誰かが必要なのではないでしょうか。
それは過去に起きた出来事をまさに経験した人であったり、あるいはやはり、過去について語ってくれる誰かを身近にもっていた人によって語られたりと、きっと人によっていろいろな場合があるのだろうと思います。語る人がいなければ、またいなくなってしまえば、過去は書物やデジタル化されたデータの中に眠ったまま、掘り起こされるのを待つばかりの化石に等しいものとなってしまいます。
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2009年11月21日
外事警察
最近NHKのドラマが面白い。
リミット−刑事の現場2−がかなり良かったのだけど、
今日偶然チャンネルを合わせた外事警察も、
なかなかいいんじゃないの?
まぁ、好みはそれぞれだろうけど、
ディーヴァーのミステリーとかを普段読んでると、
日本の警察モノのドラマなんかも、
最低限度のリアリティと非情さは表現されていないと、
単なるコメディに見えてしまう。
警察モノのドラマにゴミみたいに吸着した、
甘さというかお笑いというか、
そういうものが極力排除された感じ・・・
役者さんの演技にゾクっ!とする瞬間も度々ある。
これはちょっと楽しみだなこれは・・・
なるほど、原作が麻生幾なんだ・・・



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リミット−刑事の現場2−がかなり良かったのだけど、
今日偶然チャンネルを合わせた外事警察も、
なかなかいいんじゃないの?
まぁ、好みはそれぞれだろうけど、
ディーヴァーのミステリーとかを普段読んでると、
日本の警察モノのドラマなんかも、
最低限度のリアリティと非情さは表現されていないと、
単なるコメディに見えてしまう。
警察モノのドラマにゴミみたいに吸着した、
甘さというかお笑いというか、
そういうものが極力排除された感じ・・・
役者さんの演技にゾクっ!とする瞬間も度々ある。
これはちょっと楽しみだなこれは・・・
なるほど、原作が麻生幾なんだ・・・
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タグ:外事警察
マックのサインが優しく見える
Don't Give Upが沁みた夜
ジェフリー・ディーヴァーにハマッてますが、
その第一作目の「ボーンコレクター」を読んでいなかった。
映画で見てしまったから読む気を失くしていたんですが、
でも映画の内容も忘れてしまっていて、
で、今夜にCSでこの映画やってたんでもう一回見ることに・・・
(ラピュタをやっていたのは知らなかった!)
で、思ったのは、
アメリア・サックス(映画ではアメリア・ドナヒュー)役は
やっぱりアンジェリーナ・ジョリーがはまってるってこと。
そしてラストに流れるエンディングナンバーが、
ピーター・ガブリエル&ケイトブッシュの
Don't Give Upがすごく沁みたってこと。
意図したかどうかは分からずも、
1999年という製作年に作られたあの映画の最後に流れたあの曲は、
いろんな意味で感慨深いと思う。



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その第一作目の「ボーンコレクター」を読んでいなかった。
映画で見てしまったから読む気を失くしていたんですが、
でも映画の内容も忘れてしまっていて、
で、今夜にCSでこの映画やってたんでもう一回見ることに・・・
(ラピュタをやっていたのは知らなかった!)
で、思ったのは、
アメリア・サックス(映画ではアメリア・ドナヒュー)役は
やっぱりアンジェリーナ・ジョリーがはまってるってこと。
そしてラストに流れるエンディングナンバーが、
ピーター・ガブリエル&ケイトブッシュの
Don't Give Upがすごく沁みたってこと。
意図したかどうかは分からずも、
1999年という製作年に作られたあの映画の最後に流れたあの曲は、
いろんな意味で感慨深いと思う。
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2009年11月20日
清心さんが舞い降りたノアノアな風
2009年11月19日
清心さんへ
2009年11月19日(木)のノアノアにゲスト出演してくれた、マンドリンシンガーの清美〜きよみさんに宛てた、盛岡の高校生石川美咲さんの手紙。NHK盛岡放送で、岩手独自の「みんなのうた」が放送され、その中に清心さんの「手と手」という曲が、障害を持つ弟の大和君をイメージした美咲さんのイラストとともに流れました。清心さんへのサプライズメッセージと共に、電話でのサプライズ2連発!スタジオはとても幸せになりましたね。ありがとう!



清心さんへ
お久しぶりです!お元気ですか?
昨年は「手と手」という曲の挿絵を書かせていただきありがとうございました。
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清心さんへ
お久しぶりです!お元気ですか?
昨年は「手と手」という曲の挿絵を書かせていただきありがとうございました。
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マンドリンとともに響く彼女の声を…♪
2009年11月18日
すべての波長を反射すると白銀に見えるのか…
2009年11月17日
遠くから「此処」を見つめてみた。
無人探査機「ロゼッタ」が撮影した63.3万キロの彼方からの地球の画像が、欧州宇宙機関によって公開されました。63.3万キロといえば、これまで宇宙空間から撮影された地球の画像としては最も遠いところからというものではありませんが、しかし月の軌道よりも遠いところから送られてきた地球の姿には感慨があります。それにしてもこんなに水と空気に満ちている生命に溢れた星は他にあるのでしょうか…?
こういう画像を見る時に、自分たちは「あの場所」で生きているんだ…そういう感覚をふと感じます。「ここ」…「あそこ」という主観に基づく位置関係というのは、たいていは知らない間に混同されてしまいます。そうすると目の前の「そこ」しか見えなくなって、実は何も変わっていないにもかかわらず「そこ」にある問題で視野がいっぱいになり囚われてしまうことが僕もよくあります。場合によってはどっちに行けば良いのか分からず身動きが出来なくなってしまうことさえありますね。
自分が宇宙という広大な空間の「あそこ」に生きていて、数え切れないほどの奇跡が積み重なって、この瞬間の自分の命が今も確かに保たれているのだということを思い出す時、人はもっと大きな視野を取り戻して、自分が毎日異なった回数の呼吸と瞬きを繰り返しながらまさしく生息しているのは、この写真に美しく輝いている「あの地球という惑星」の「陸」と呼ばれている場所であることに再び気づきます。
苦しいことも辛いことも必ず目の前に立ちはだかりはしますが、それらは本来もっていたはずの視野を狭く隔てる「そこ」にあるだけのもので、その向こうに目をやる時に、また視点を移し変える時に、人は再び自分の立ち位置を思い出して、すべてが万事OKであることに思い至るのでしょう。
いつも思うことですが、人は時々目を上げて遠くを見つめることが必要だと思います。また、遠くから自分の有様を見つめることの大切さも、こういった彼方からの地球の姿は教えてくれているのかもしれませんね。
何があっても・・・
我々は確かに「あの場所」に変わらず生きています。
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2009年11月16日
「お辞儀」という行為と「礼砲」という行為
オバマ米大統領が14日に皇居・御所を訪問した際に天皇、皇后両陛下に対し行った「深々としたお辞儀」が米国内で波紋を呼んでいるのだそうです。保守系メディアは米大統領の外交儀典上、不適切だと批判し、大統領の際立った低姿勢ぶりに疑問を投げかけているのだそうですが・・・
お辞儀という動作が日本においてはどんな起源を持つものなのか? このニュースを見て改めて勉強になりました。お辞儀は、相手に自分の首を差し出すことにより、自分には「敵意がない」ということを印象的に象徴する意味を持つ「平和的」な動作であるようです。
日本人にとってはごく日常的な行為であるお辞儀にこのように相手との間で明確な意味があるのだということを知り、とても潔く、そして他との関係性を大切にしようとする日本人の心を感じたような気もしました。と同時に、何度もペコペコとお辞儀を繰り返す、ある種「典型的」な日本人の姿にはお辞儀を批判するのと同じぐらいのズレみたいなみのも感じてしまいました。
ずいぶん昔のことですが、東西冷戦のさなか、アジアで初の五輪開催となった72年の札幌冬季オリンピックの時に開会式で自衛隊砲兵による礼砲連射が行われました。しかしその後、平和の祭典に相応しくなかったという批判が起きたことがあります。
しかしその後、ベストセラーになった「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著)という本の中での話によれば、西洋文化の中での礼砲の意味は、港などで昔の艦船や港との間で礼砲が撃たれたのは、起源となった当時の大砲がどんなものだったかを考えれば理解できるとのことでした。
大航海時代などに砲艦に据えられた大砲に次の砲弾を込めるには、いったん砲を引き退かせなければなりませんでしでした。つまり艦船では、舷側の窓から一度大砲を引っ込めなければならなかったのです。
(パイレーツ・オブ・カリビアンとか見てるとわかりますよね)
一度撃ち放った砲を引っ込めずに出しっぱなしにして入港するということは、自分の大砲には砲弾が装填されていない状態であることを相手にはっきりと伝えることになり何よりも敵意がなく「平和」を象徴する行為でした。そのあたりの背景から考えれば、礼砲が平和的ではないとする批判はむしろ本末転倒であったことと感じられます。
ある種の行為についての是非を起源まで遡って見る時に、ほう、そうだったのか・・・という新たな気づきや、認識の修正ができたりすることがあります。
オバマさんのお辞儀も、そういった意味を理解してもらうなら、多少は自国保守派からの風当たりも違うのではないでしょうか? もちろん政治的な批判というものは探してまで行われるものですから、このお辞儀についても格好の突っ込みどころになってしまうのかもしれませんね。
外交というのはある種机越しに握手と笑顔を交わしながら、机の下では蹴り合っているようなものですね。そのどっちも大切なんでしょうが、笑顔も握手も、そして「お辞儀」も、オバマさんのように潔くできるということは、決して悪いことではなく、かえって良好な関係を育む
前向きな姿勢を感じて好感がもてます。



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お辞儀という動作が日本においてはどんな起源を持つものなのか? このニュースを見て改めて勉強になりました。お辞儀は、相手に自分の首を差し出すことにより、自分には「敵意がない」ということを印象的に象徴する意味を持つ「平和的」な動作であるようです。
日本人にとってはごく日常的な行為であるお辞儀にこのように相手との間で明確な意味があるのだということを知り、とても潔く、そして他との関係性を大切にしようとする日本人の心を感じたような気もしました。と同時に、何度もペコペコとお辞儀を繰り返す、ある種「典型的」な日本人の姿にはお辞儀を批判するのと同じぐらいのズレみたいなみのも感じてしまいました。
ずいぶん昔のことですが、東西冷戦のさなか、アジアで初の五輪開催となった72年の札幌冬季オリンピックの時に開会式で自衛隊砲兵による礼砲連射が行われました。しかしその後、平和の祭典に相応しくなかったという批判が起きたことがあります。
しかしその後、ベストセラーになった「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著)という本の中での話によれば、西洋文化の中での礼砲の意味は、港などで昔の艦船や港との間で礼砲が撃たれたのは、起源となった当時の大砲がどんなものだったかを考えれば理解できるとのことでした。
大航海時代などに砲艦に据えられた大砲に次の砲弾を込めるには、いったん砲を引き退かせなければなりませんでしでした。つまり艦船では、舷側の窓から一度大砲を引っ込めなければならなかったのです。
(パイレーツ・オブ・カリビアンとか見てるとわかりますよね)
一度撃ち放った砲を引っ込めずに出しっぱなしにして入港するということは、自分の大砲には砲弾が装填されていない状態であることを相手にはっきりと伝えることになり何よりも敵意がなく「平和」を象徴する行為でした。そのあたりの背景から考えれば、礼砲が平和的ではないとする批判はむしろ本末転倒であったことと感じられます。
ある種の行為についての是非を起源まで遡って見る時に、ほう、そうだったのか・・・という新たな気づきや、認識の修正ができたりすることがあります。
オバマさんのお辞儀も、そういった意味を理解してもらうなら、多少は自国保守派からの風当たりも違うのではないでしょうか? もちろん政治的な批判というものは探してまで行われるものですから、このお辞儀についても格好の突っ込みどころになってしまうのかもしれませんね。
外交というのはある種机越しに握手と笑顔を交わしながら、机の下では蹴り合っているようなものですね。そのどっちも大切なんでしょうが、笑顔も握手も、そして「お辞儀」も、オバマさんのように潔くできるということは、決して悪いことではなく、かえって良好な関係を育む
前向きな姿勢を感じて好感がもてます。
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